猫町が被り物をしている理由。
それはいじめの原因である素顔を隠すためだった。
「素顔を見られると、またいじめられるかもって思ってしまって……私は顔を隠しました」
そう言って、猫町は昔話を始めた。
「あたし……あの、こんなこと言ったら引かれるかもしれないけど、結構モテたんです」
「大丈夫。ぬこまろを被っている時点で引いてるから」
暗い雰囲気にならないよう、なるべく冗談っぽく言った。
猫町は俺の意図を察してくれたのか、「にゃはは。言ってくれますね」と明るい調子で返した。
「中学生の頃の話です。何度も男の子から告白されました。両手じゃ数え切れないくらいです」
異性にモテモテでうらやましい。
再び茶化そうと思ったが、俺は慌てて口をつぐんだ。
無理して明るく振る舞わなくてもいいよ、猫町。
……体、震えているじゃないか。
「いじめられたのは、水泳部を引退した後だから……だいたい三年生の九月頃の話です。クラスの中心人物に目を付けられちゃって。あたしが可愛いからって、調子に乗ってるって思われたみたいです。あ、もちろんその子はブスですけどね」
「君、結構いい性格してるな……」
「知らないんですか? いじめられたら、性格って捻じ曲がるんですよ?」
猫町は自嘲気味にそう言った。
猫町がいじめられた原因。それは同性が嫉妬してしまうほど顔が可愛いからだ。
でも被り物をかぶって顔を隠してしまえば、可愛いかどうかなんてわからない。いじめの原因は取り除かれる。
だが、被り物をしている変人に誰も近づく者はいない。学園生活は常に孤独だ。
猫町は……自分の学園生活を犠牲にして、いじめのない生活を選んだんだ。
「……いじめ、結構辛辣でした」
「辛いなら話さなくていいよ」
「最初、クラスの中心人物に調子乗るなって言われて。意味がわからなかったから『意味がわからないんだけど』って正直に言ったら、ビンタされて。彼女の仲間に囲まれて、ボコボコにされました。後で知ったんですけど、彼女が好きだった男の子が、あたしのこと好きだったみたいで。彼女、失恋したらしいんです」
「話さなくていいって」
「そこからいじめが始まりました。無視されるところから始まって、机に落書きされるわ、物を隠されるわ。トイレで水かけられて殴られることもあったし、汚いものを食べさせられたり、制服や体操着をビリビリに破かれたり――」
「もういい! やめろ!」
叫び、猫町の肩を掴んだ。
そこでようやく気づいた。
彼女が泣いていることに。
「……あたし、何かしたんでしょうか?」
「猫町……」
「あたし、調子に乗ってないですよ。普通に学校生活を送っていただけです。可愛いから気に入らないとか言われても、そんなの知りませんよ。生まれもった顔でしょ? そりゃあ努力次第で可愛くなれますけど、顔のパーツとかって運じゃないですか……なんでですか? 自分ではどうしようもないことなのに、それが理由でいじめられて……どうして、あたし、なんで……」
猫町の体は震えていて、今にも膝から崩れ落ちそうだった。
彼女は公園でおしゃべりしている女子高生二人組を見て「うらやましい」と言った。
憧れているのだ……友達と楽しく会話しながら下校することに。
何故なら、今となってはもう享受できない青春だから。
他人から見たら何気ない日常の一コマなのかもしれない。でも猫町にとっては、そんな些細な幸福さえ青春なんだ。
昨日は敵対していた俺と下校しているのも、もしかしたら、俺と友達になれるかも……そういう期待がわずかでもあるんだと思う。そうじゃなければ、被り物を脱がせようとする俺と下校したりしない。
「修也くんはいいですよね。友達に囲まれて、毎日が楽しそうで」
「楽しいよ。でも、楽しむ権利は猫町にだってある。被り物を取れば、失くした青春を取り戻せるよ」
「絶対に嫌」
「猫町……」
「同世代の子の視線が怖いんです……可愛いと思われたら、またいじめられるって思ってしまって。あんな生活に戻るくらいなら、変人と思われたほうがマシ」
猫町は頭を抱え、その場にぺたんと座り込んでしまった。
「怖いよぅ……もうあんな生活に戻りたくないよぅ……」
普段は明るい彼女からは想像もできないくらい弱々しい声音だった。
今のままでは、俺の言葉は猫町に届かない。
猫町にとって、俺はクラスに溶け込ませようとするお節介キャラ。そんな優等生の慰めの言葉、届くわけがない。
俺は別に優等生ぶっているわけじゃない。心の底から君を救いたいって思っている。
それを理解してもらうためには、俺の覚悟――『猫町を救いたい』って気持ちが本当であることを態度で示すべきだろう。
「猫町。どうしても被り物を取らないって言うんだな?」
「ごめんなさい……あの、こんなあたしに声をかけてくれてありがとうございました。ひさしぶりに同年代の子とたくさんおしゃべりできて、すごく楽しかった……修也くん?」
猫町の言葉を背に受けながら、俺は橋の手すりに手をかけた。
そして、そのまま足もかける。
「ちょ……何やってるんですか!? 危ないですよ!」
猫町は慌てて立ち上がった。
「たしかに危ない。俺、泳げないし」
「なっ……じょ、冗談ですよね?」
「この足の震えを見ても、冗談だって思う?」
手すりの上に立った俺の足は見事にガクブルだった。情けない。女の子の前くらい、かっこつけられないのかよ。
「い、意味がわからない……修也くんは何がしたいんですか!?」
「紐なし青春バンジージャンプ」
「アホですか! やめてください! 本当に死んじゃいますよ!?」
「猫町がいるから死なない」
「は?」
「お前が俺を助けてくれるって信じてる。だから死なない」
猫町に関する情報を書き留めたメモ。あの中にある『自己紹介の内容』が根拠だ。
猫町の特技の一つには『水泳』がある。だからきっと、俺が溺れても助けてくれるはずだ。
しかし、ここで問題が一つある。あの大きな被り物だ。あんなものを被って泳げば、被り物の中に水が入ってくる。そうなれば、水泳が得意な猫町でも呼吸はできないだろう。
つまり――俺を助けるなら、猫町は被り物を取らなくてはならない。
「俺も命かけるんだから……猫町も頑張れ!」
下を見ると、きっと飛び降りるのをためらってしまう。
だから目を閉じて――飛んだ。
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