紐なし青春バンジージャンプをした、翌朝の教室。
「修也。話があるんだけど」
結愛は頬をふくらませて俺に顔を近づけた。見るからにご機嫌ナナメである。
「どうしたの? なんか怒ってるみたいだけど……」
「そりゃ怒るよ! 昨日、私を置いて先に帰ったでしょ?」
「あ……先に帰るって言わなかったっけ?」
「『言わなかったっけ?』じゃないよぅ! 一人の帰り道、すっごく寂しかったんだからね!」
結愛は「もう修也なんて知らない!」と怒り、ぷいっとそっぽを向いてしまった。
「ごめんね。今日、一緒に帰ろう。お詫びにコンビニで何かスイーツおごるよ」
「なっ……ぐぬぬっ。簡単にモノで釣られる私じゃないよっ……!」
「わかった。二つ買おう」
「ほんとに? じゃあ、それで手を打ってあげよっかな」
結愛は「わーい!」と幸せそうに目を細め、アホ毛をひょこひょこ揺らしている。簡単にモノで釣られてるじゃねぇか。
幸福を噛みしめる幼なじみに呆れていると、結愛の後ろを可憐な少女が通り過ぎた。
ふんわりとした栗色の髪。くりくりした、小動物みたいな愛らしい目。キュートな小鼻。ふっくらした唇。どのパーツを取っても整い過ぎていて、おもわず見惚れてしまう。
間違いない。被り物を捨てた猫町が登校してきたのだ。
昨日は濡れていたから、まともな素顔を初めて見るけど……本当に美少女なんだな。まるでアイドルだ。
ふと目が合うと、猫町は泣きそうな顔してこちらへやってきた。
「おはようございます、修也くん」
「うん。おはよう、猫町」
「へっ? ね、猫町さん……? いつもの被り物は……ええっ?」
事態を飲み込めない結愛は目を丸くして、俺と猫町の顔を交互に見比べている。
説明するのも面倒なので、俺は猫町と会話を続けた。
「被り物を捨てての登校初日、どうだった?」
「……視線が、すごく怖かったです。学校に来るまでの間、途中で何度も引き返したくなりました。だって、この顔は私のトラウマだから」
「猫町……」
そうか。それで泣きそうな顔をしていたのか。
「今も震えが止まりません。私の素顔を見た人からどう思われるか……生意気だとか、調子に乗ってるとか。そういうふうに見られるのが、すごく怖くて――」
「断言する。うちのクラスに限ってそれはない」
言い切ると、猫町は苦笑した。
「そうでしょうか? 案外、人の心ってわからないものですよ?」
「周りを見ても、そんなことが言えるか?」
「周り……ですか?」
猫町は周囲を見回した。
クラスメイトたちは猫町を囲み、それぞれ感想を口にしている。
「あなた、猫町さん? え、嘘! めっちゃ可愛いじゃん!」
「えー! 被り物を脱いだほうが絶対いいよ!」
「よかったぁ。被り物をしているときは怖くて話しかられなかったけど、これでもうお話できるね!」
「一瞬でファンになってしまった……猫町さん、天使すぎる!」
「修也ぁぁぁ……こんな美少女と浮気していたのかぁぁぁ! ふざけやがって! 二股クソ野郎には凄惨なる死を!」
「「「死を!」」」
「その誤解、まだ解けてなかったの!?」
クラスの男子から殺気を感じる。
誰か助けて! そもそも俺、本当は彼女いないんですけど!?
「あの、修也くん」
男子たちの視線に怯えていると、猫町が震える声で俺の名前を呼んだ。
「……変人だった私に、みんなはどうして優しくしてくれるんですか?」
猫町は目に涙を溜めて、救いを求めるような眼差しをこちらに向けた。
なんだ。知らないのか?
読者アンケート最下位の『僕ラブ』の世界に嫉妬なんてない。ましてや、いじめなんて事件性のある出来事もない。週刊少年ワンダーのコンセプトとは真逆で、平和で牧歌的な日常しかないんだ。
だから、怯える必要なんてこれっぽっちもない。
俺たちは、猫町の味方だ。
「理由なんてないよ、猫町。ここはそういう優しいクラスなんだ」
「そうだよ、猫町ちゃん!」
そう言って、結愛は猫町の両手を握った。
「被り物が怖くて、ずっと話しかけられなかったけど……私たち、今日から友達になろうよ!」
「あたしが……結愛ちゃんと友達に……?」
「うん。放課後、買い食いして帰ったり、休みの日はカラオケに行ったり。ね?」
「結愛ちゃんは……こんなあたしでも、仲良くしてくれるんですか?」
猫町の愚問を消し飛ばすように、結愛は満面の笑みを浮かべる。
「『こんなあたし』なんて言い方しないで。猫町ちゃんはもう私の『お友達』なんだから」
結愛の優しさは猫町の恐怖を溶かすのに十分すぎた。
猫町は大粒の涙を流して笑い返した。
「ありがとう、結愛ちゃん……!」
泣いてしまった猫町を心配してか、クラスメイトたちは猫町に温かい言葉をかけた。
これで猫町は学園生活を送れるようになった。
このあと学園ラブコメが起こるかはわからない。現状が何一つ変わらない可能性だってある。
だけど、今は仲間を救えたことが純粋に嬉しい。それでいいじゃないか。もしラブコメが起きなければ、そのときまた考えよう。
「修也くん。昨日はあたしに勇気をくれて、ありがとうございました」
クラスメイトたちとの会話を終えた猫町は俺に礼を言った。その目はまだ少し赤い。
「俺はたいしたことしてないよ。猫町が頑張ったからだ」
「ううん、そんなことないです。普通の人は、あんな大胆なことなかなかできません。まぁびしょ濡れになって大変でしたけど」
猫町は「にゃははは! 昨日は楽しかったです!」と思い出し笑いをした。うん。やっぱり笑顔がよく似合う。顔を隠して生きるのはもったいない。
……あれ? なんだろう。隣から視線を感じるんだが。
「……どうした、結愛。怖い顔して」
「ねぇ……猫町ちゃんを『びしょ濡れ』にした『大胆なこと』って何? なんだか『昨日はお楽しみ』だったみたいだけど……?」
「待て待て! 悪意のある変換をするな! 決してお前が考えているようなことじゃないぞ!」
「ふぅん。詳しくしてもらおうかなー。猫町ちゃん。昨日、何があったの?」
「えっと……修也くんがびしょ濡れの女の子を見て興奮しちゃう変態さんだったことがわかりました」
「昨日いろいろあったのに、切り取るところそこなの!?」
せめて猫町のために川に飛び込んだくだりを説明してくれ。
「へぇ……それはお楽しみだったねぇ?」
結愛は碁石のような黒い丸目で俺を見た。何故か眼球の白い部分がない。待って。急にホラー顔になるのやめてくれる?
「判決を言い渡します。被告人、明石修也は死刑です」
「刑が重すぎるわ! 誤解だって! 俺は猫町に被り物を取ってほしくて行動したの! それには川に飛び込む必要があったんだ! 濡れたのはそのせいだよ!」
「わかった。それが遺言でいいんだね?」
「この場で殺る気!? おい猫町! お前からもフォローしてくれよ!」
救いを求めると、猫町は意地の悪い笑みを浮かべた。その頬は薄っすらと赤い。
「また遊びましょうね……好きですよ、修也くん」
友人として好きという意味なのか。はたまた異性として好きなのか。
定かではないが、この状況でその言葉は非常にマズい。
「わ、私という健気な彼女がいながら……修也のばかぁぁぁ!」
結愛はどこから取り出したのか、三角定規とコンパスを持って俺に飛びかかってきた。
俺は結愛をかわして教室を飛び出した。
「あ、こらぁ! 逃げるなぁぁぁ!」
「殺傷能力のある文房具持って襲ってくるヤツがいたら普通逃げるわ!」
鬼の形相で追ってくる結愛。偽の恋人関係という設定に忠実なのはいいけど、さすがにやりすぎだろ。
「くそぉぉぉ! ラブコメって面倒くせぇぇぇぇ!」
叫びながら、俺は全力で結愛と鬼ごっこをするのだった。
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週刊少年ワンダー読者アンケート結果
僕たちはラブコメができない……十二位/二十位
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