年休九ヶ月

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第二十四回

公開日時: 2022年12月16日(金) 20:21
更新日時: 2022年12月22日(木) 19:09
文字数:1,944

 翌日の夜、予報通りに訪れた嵐の中、大成は車を走らせていた。

 星空を覆い隠した分厚い雲の下、辺りは無明に包まれかすかな光源も存在しない。原初の闇と呼んでも差し支えない地上を、荒れ狂う暴風が渦巻いていた。

 大勢の乱雑な足音のように、大粒の雨がフロントガラスを荒々しく打ち据える。

 一瞬たりとも途切れる事の無い猛々しい風が、一点の光明も見出せぬ闇の中を吹き荒れていた。いつもならば存分に生命を謳歌していた虫や鳥などの生き物の声を完全に打ち消して、この夜、破壊の衝動のみに彩られた暴風が辺りを隈無く覆い尽くしていたのであった。

 そしてその只中を、大成は悲愴ですらある真摯な面持ちをたたえ、軽バンを走らせていたのだった。

 街灯も消え、足元すら覚束ない暗闇の中を懸命に道を辿って、青年は激しい風雨の中を進み続けた。崩れ掛けた廃墟の間をどうにか通り抜け、彼は更に濃い闇のわだかまる方向へと車を進ませる。

 一抹の不安が生じた。

 漠然としたそれは時を置かずに肥大して行き、そして今夜、吹き荒れる嵐を前にして確信へと変わったのだった。

 『彼ら』の、『彼女』の元へ急がねばならぬ。

 胸の内側を縦横に切り裂かれるような思いに駆られ、大成は嵐の中を一人突き進んだのであった。

 吹き荒ぶ風と叩き付ける雨の音が、車内に身を置いていても耳をつんざく。この日、夜はこれまでの穏やかで大らかな様相を一変させ、息くあらゆるものを厳しく打ち据えて無造作に押し流す苛烈さと無慈悲さを露わにしていた。

 斜めに降り注ぐ大粒の雨がフロントガラスを絶え間無く曇らせ、ワイパーを高速で動かしても尚視界を把握するのは困難である。ハイビームでどうにか浮かび上がる路面を懸命に確認しつつ、大成は河川敷にある筈の集落へと急いだ。

 『彼女』ともう一度会う為に。

 『彼女』の安否を確かめる為に。

 然るに、雨と風は刻々と激しさを増して行った。

 車道はすでに浅瀬と化しており、水を掻き分けるようにしか車を進める事が出来ない。いつ身動きが取れなくなってもおかしくない有様である。ビルの間を吹き抜ける風は不気味な咆哮を生み出し、全貌の見通せぬ巨大な獣の口の中へ、軽バン諸共大成を呑み込まんとするかのようであった。

 せめて、せめてこの嵐に関する周知が、もう一日早く遣されていたのなら。

 ハンドルをきつく握り締めながら、大成は歯噛みする。社会のしがらみと共に文明の利器すらも捨ててしまった『彼ら』には、目前の危機を伝えるにもこうして直接出向くより他にすべが無かった。

 野外生活に慣れている『彼ら』の事だ。すでに危機を察して逃れているかも知れない。

 こちらの単なる取り越し苦労に終わるかも知れない。

 いや、それで済んでくれればどんなにいい事か。

 胸の中央に向けてしわが寄るような不安に大成が駆られた直後、車が出し抜けに大きく揺れた。頸椎を痛めかねない程の振動が車内を襲い、次いで車は全く動かなくなった。

 ハンドルを握ったまま、大成は苦い面持ちを浮かべる。

 フロントガラスから覗く外の景色が少し傾いているのが判る。恐らくは路面のくぼみにでもまったか、気付かぬ内に路肩へ踏み出してしまったのだろう。

 いずれにせよ、今となってはアクセルをどれだけ踏み込もうとも車が前へ進む気配は全く無く、大成の乗った軽バンは激しさを増す風雨の中でえ無く立ち往生したのであった。

 表情を歪めた大成を囃し立てるかのように、フロントガラスに大粒の雨が叩き付けられて行く。暗い車内にアイドリング音とワイパーの駆動音が実に機械的に鳴り響く中で、ややあって、大成はシートベルトを外した。

 次いで彼は助手席に目を移す。隣の空のシートには、束ねられたロープとオレンジ色の救命浮環が置かれていた。

 それらを確認して、大成は一層険しい表情を湛えたのだった。

 いずれも『施設』の備品であり、大規模水害が発生した際に備えて配備されていた物であった。何年か前に職場で説明を受けた際に、こんな地下施設が水浸しになるぐらいなら首都圏全部が水没してる、と大前田が一笑に附していた事を思い出す。あの時は隣で釣られて笑っていたが、今になって必要になるとは皮肉を通り越して滑稽ですらある。

 とまれ、大成は輪になったロープと浮環を合わせて肩に担ぐと、車のドアを開けたのだった。

 吹き付ける風と横殴りの雨が、車外へ出た青年の全身をたちまちの内に濡らした。夜の更け行く中でも空気は不気味なまでに生暖かく、肌にまとわり付く雨の感触は別の生き物の唾液のようであった。

 それでも大成は意を決した眼差しを暗がりの奥へと向けると、豪雨の中を歩き出した。最後に車内から取り出した懐中電灯で足元を照らしつつ、彼は闇に覆われた道を慎重に歩いて行く。

 間も無くその姿は、置き去りにされた軽バンのヘッドライトが照らす範疇から掻き消えたのであった。



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