都市型山賊。
カルト集団。
蛮族の末裔。
単なる社会不適合者。
当人達の与り知らぬ所で悪し様に揶揄される彼らであったが、その日常は決して悪意に満ち溢れたものではないようだった。
河川敷の『村』をそれとなく漫ろ歩く内、大成も当初抱えていた緊張を次第に緩めて行った。『村』全体が陽気な活気に満ちている訳では無論なかったが、至って普通の集落としての営みがそこには漂っていたのである。
中天を回った太陽が、西の空へと傾き始める。
広場の片隅で先程廃墟から戻った壮年の女が、背負って来たずた袋の中身を広げ始めていた。その周囲でも同様に、襤褸を着た男女がそれぞれに持ち帰った『収穫』を仲間に晒している。
どうやら彼女らは、諸々の物資を拾い集める事でその日の糧を得ているらしい。人のいない街並みを散策し、何か使えそうな物があれば集落へと持ち帰る。それに南海子も付いて来ていたのだろう。
とまれ、集落の住人達は各々が集めて来たがらくたを土の上に並べ、互いの『収穫』を吟味し始めた。まるで小さな市でも開かれたかのようなその様子を、大成は離れた所から冷ややかに眺め遣ったのであった。
終戦から既に七年もの歳月が経過している。如何に都心の復興が遅れているとは言え、回収する値打ちのある資材ならばとうの昔に悉くが回収されている筈である。現に調達役の『村人』達が持ち帰った物は、土に埋もれていたと思しき汚れ切ったガラス瓶や壊れた工具など、他所の生活水準にある者なら誰一人として見向きもしないであろう代物ばかりであった。
かつての産廃回収業者程立派な真似をしている訳でもない。喩えるなら、昔の小学生が学校からの帰り道に変わった形の小石や、綺麗な色のガラス片を興味本意で拾って来るのと通ずる所があったかも知れなかった。
白昼のがらくた市が開催されて少し経った頃、河川敷の集落に新たな足音が伝わって来た。大成がそちらへと首を巡らせた先、河川敷の外を覆う茂みを分けて三人の男達が『村』へと入って来た所であった。
いずれもが中年以上の、他と同じくぼろぼろの衣服を纏った山賊然とした者達であるが、三人組の先頭を歩く白髪頭の男は、右の肩に一頭の犬を担いでいたのであった。茶色の中型犬は身動きする様子を一切覗かせず、男の歩く度に体躯を左右に揺らしている。
『村』へと入って来た彼らの姿を認めるなり、大成を集落に案内して来た壮年の女が喜色も露わに地べたから腰を上げる。
「まあトモさん、大漁ですねぇ」
向かいから近付いて来る年配の男は、皺だらけの顔に嬉しそうな笑みを乗せた。
「おう。こいつが罠に掛かってやがってよぉ、早速絞めて帰って来たのよ。魚も結構網に掛かってたぜ」
年配の男がそう言うと、後ろに続く二人の男がそれぞれ手にした魚籠を掲げて見せる。集落全体が俄かに活気付く中、大成一人が不安げな表情を湛えていた。
程無くして、広場の中央に置かれた火が強さを増し、河川敷の『村』は少し遅めの昼食の準備に取り掛かった。口から肛門までを鉄筋と思しき棒で貫かれた犬が火に炙られ、その周りで串焼きにされた川魚が細い煙を上げた。
野趣溢れる真昼の宴が、夏空の下に開かれようとしていた。
皮が既に飴色になっている犬の丸焼きを、広場に集まった『村人』達は銘々に目を輝かせて注視している。先に焼き上がった魚の串焼きに齧り付く者も出始める中、大成はそうした人の環から離れて、彼らの宴を痛ましげに見つめていた。
『戦後』の世界に於いては肉類など最早下手物中の下手物であるという共通の認識が、市井には遍く広まっているからである。
農耕と同様、あらゆる畜産もまた戦争によって深刻な打撃を受けた。土壌が汚染されている中で飼育された家畜は例外無く生体濃縮を起こしており、安全性に大きな懸念が生じるとの判断から食肉の流通には厳しい規制が設けられたのであった。また、飼料に回せる程の量の穀物が確保出来ない事から、かつてのような大規模な牛舎や鶏舎を用いた酪農は不可能となっており、安全安価な肉類は『戦後』に入ってから全く手に入らなくなっていたのである。
同じく漁業もまた水質汚染の影響を受け、業界全体の衰退に係わる程の漁獲量不足に見舞われていた。水産資源の減少は世界規模で生じた上に、水揚げされた魚も汚染の影響を免れない事から消費者の忌避が相次いで、各地の漁港も寂れる一方であった。農業と異なり、水産物の場合は完全養殖が元々難しい事から漁業の再生は尚の事困難であった。
それでも生理的な欲求からか、はたまた単純な懐かしさからか、肉や魚を再び口に入れたいと望む者は少なからず存在し、それが壊れ掛けの世界でも密輸や密漁を根付かせる原因となっていた。
だが、『荘園』の密室内で徹底的に管理され、生産された食品以外は今や悉くが汚染されているのも誤魔化しようの無い事実であり、そうした闇ルートの食材を手に入れた者達も、羨望よりもむしろ奇異や軽蔑の眼差しを周囲から浴びる破目になったのであった。
そうした『事実』を知る大成の前で、『村人』達は焼き上がった犬の肉を切り分けては美味そうに齧り付いて行く。この日の糧となったのは、元々は廃墟を徘徊していた野犬であろう。蓄積された汚染物質は無論の事、他にどの様な病原体を持っているかも定かではないというのに、『彼ら』は実に無邪気に、或る意味では幸せそうに、肉汁の滴る狗肉を頬張るのであった。
白い服を纏った少女もまた、人の環の外れの方で口を動かしていた。
そもそも好むと好まざるとに係わらず、『彼ら』にはこのような生活を送るより他に術が無いのである。規則を拒否し、制約を拒絶し、それらの上に成り立つ『文明的』な生活を自ら放棄した時から、『彼ら』は太古の狩猟採集生活に立ち戻る以外の道を見失ったのであった。
事実も常識も、何の効力も及ぼせぬ場合がある。
『墓守』の青年が現に目の当たりにしているのは、正にそうした状況であった。
少なからず引いた様子で河川敷の集落の日常を見つめていた大成の下へ、その時、一つの人影が近付いて来た。気付いた大成が首を巡らせた先に、黒い襤褸を着た壮年の女が立っていた。
大成を集落まで案内した女。先程、仲間内からは忍ちゃんなどと呼ばれていただろうか。
その忍は、『村』の広場の外れに一人佇む大成へと手にした小皿を掲げたのであった。
端々が所々欠けた薄汚れた皿には、何か黒ずんだ空豆のような物が幾つか乗せられていた。
青年が怪訝な顔を向けた先で、壮年の女はにっこりと微笑む。
「蝉。如何かしら?」
大成は思わずぎょっとした面持ちを浮かべると、鼻先の小皿に乗った物と傍らの女の顔とを交互に見遣ったのだった。
「……頂きます」
気まずい沈黙を何秒か挟んだ後、大成は差し出された蝉の黒焼きを口に入れた。味自体は意外とあっさりしているのだが、火加減が大雑把なのか兎角苦みが口の中に残る。
「結構いけるでしょう? 私達は色々な『実り』を口にしているんですからね。他の人達は工場で作られた物しか食べさせて貰えないみたいだけど、そんなの体に良くないわよ。食べる事は命を繋ぐ事に他ならないんですもの。生命のバトンと言うべきかしら? 元々神聖な行為であり、それを忘れてしまうような行ないは断じて避けるべきなのよ」
「ええ……」
忍が隣で誇らしげに掲げた持論に、大成は気の無い相槌を打った。
木々は諸々の放射性物質を根から吸収して葉に蓄積させ、やがて舞い落ちた葉は付近の土壌に分解されて再び根から吸収される。完全に閉じたサイクルが出来上がるが故に、樹木の繁茂している箇所では放射線の値が中々下がらないのだと言う。
だとすれば、そんな木々の樹液ばかりを吸って成長した昆虫類などには、一体何がどれ程蓄積されているのだろうか。限度を超えて汚染された河の水であっても、敬虔な信徒にとっては身を清めてくれる聖水となるのと同じ理屈であろうか。
大成が浮かない面持ちで蝉を咀嚼している様子を、忍は面白そうに眺めていた。
そうして、傍らの青年が口の中の物を呑み下すのを待ってから、壮年の女は前を向いたまま再度話し掛ける。
「……あなた、あの『施設』の職員なんでしょう?」
問われた、と言うよりはむしろ念を押すような物言いに、大成はばつの悪い顔を作る。
すぐには返答しようとしない大成へ、忍はやはり広場の方へ眼差しを据えたまま、責めるでもなく言葉を続ける。
「大方、あの娘を『施設』に引き取りに来たんでしょう」
そう告げた忍の視線は広場の隅、両者のほぼ対称点上にいる南海子へと既に向けられていたのであった。遅れて同じ相手を見た大成も、苦い面持ちを浮かべて首肯する。
「……ま、そんな所で……」
「けど、お生憎様。あの娘はお墓の中になんか入らない。今後も眠りに就く事なんかしないでしょうよ」
忍は頭上から降り注ぐ日差しと相反する冷ややかな口調で言うと、隣に立つ『墓守』の青年へと瞳を向けた。
「あの娘は『生きる』事を選んだんですもの。私達もそう。自分で自分を棺に収めて、生きているのか死んでいるのかも判らない状態にするなんて真っ平。自分の命は自分で繋げて行くからこそ価値があるの。自分で自分の一番大切なものを投げ捨ててしまった人達には判らないでしょうけれどね」
「でも……」
ぼそりと、大成は言葉を吐き出した。
「……このまま『ここ』にいれば、いずれ彼女も、他の皆も死んでしまう……」
眼差しは南海子へと据えたまま、彼は憂いを帯びた口調で指摘した。
「死ぬですって?」
途端、忍は鼻先で一笑した。
「わざわざ大勢で足並みを揃えて緩やかな『死』へ向かおうとしてる人達が、今頃何を勿体付けて誰かの『死』なんかを気にするの?」
問われて、大成は眉間を歪めた。
鞭打つようなものとは違う、されど相手の肌を隙間無く氷で覆い尽くすような口調で、黒い襤褸を着た壮年の女は『墓守』へと問い詰める。
「たとえそうだとしても、私達は後悔なんてしない。いつだって『死』は『生』の代償として存在し続けて来た。いいえ、『生』が『死』の対価であるのかも知れない。分かつ事なんて初めから出来ないのだし、無理に分かとうとするからこそ、どちらの状態にもなれないみっともない醜態を晒す事になる。あなた達が幾ら目を逸らしてみても私達はそれを知っている。だから私達は『ここ』にこうしているの」
両者の頭上で、太陽は西の空へと傾いていた。
広場の方では犬が大方平らげられ、焚き火の周りには残骸が散らばるばかりとなった。炎の傍らでは先程獲物を担いで来た初老の男が、犬の頭蓋骨に指を突っ込んで目玉や脳味噌を穿り出していたが、それも粗方片付いたのか、額の割られた頭蓋骨を焚き火の中へ無造作に放り投げたのだった。
満足げな話し声が、あちらこちらから漏れ出していた。
川のせせらぎと蝉の声とが、変わらずに淡々と時の移ろいを示した。
その中で、忍はふと鼻息をつく。
「……私達は誰も無理に引き止めたりはしない。あなたを拒絶しなかったように……」
そう言って、忍は広場で憩う仲間達の方へと歩き出した。
去り際に、大成へと背中越しに言葉を投げ掛けながら。
「……あの娘は『ここ』を離れないでしょう……」
その背を見送って、大成もここに至るまでの凡そのあらましを悟る。
彼女は恐らく、こちらの正体や意図など最初から全て見透かしていたのだろう。その上でこちらを無下に追い払うのではなく、『村』へと導く事で揺るぎ無い事実を突き付けたのである。
あの少女は最早『ここ』の、『外の世界』の住人であり、地下深くの『墓穴』に篭る『お前達』の倫理や価値観で引き離す事は叶わないのだと。
白い服を纏った少女は、いつしか『村』の広場から消えていた。
何ものにも目をくれる事をせず、大成はただ己の足元を見つめ続けた。
項垂れる孤影を、蝉の声が囃し立てるように取り囲む。
空は何処までも青く澄み渡り、大地に刻まれる影は何処までも黒く淀んでいた。
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