擦れ違う相手に出くわす事も滅多に無いと言うのに、無駄に広い廊下は何処までも真っ直ぐに伸びていた。
高速道路の二車線程の幅もあるだろうか。誇張抜きで車が行き来出来る程の太さを持つ白い廊下に、一つきりの足音が木霊する。
さながら、辺りは蝋石をくり抜いて作られたかのようである。床も壁も天井も、四方を囲う視界に入る全てが全き白で覆い尽くされていた。
長さだけ見れば滑走路にも使えそうな白い廊下には窓と呼べるような物は一切無く、何の装飾も施されていなければ瑕や染みの一つとして見当たらぬ無表情な外見を、消失点まで几帳面に晒し続けていたのであった。
好意的に評するのなら、清潔感溢れる様相と呼べるだろう。
否定的に切り捨てるなら、ただひたすらに窮屈である。
間取りが幾ら広かろうと余りに清潔な、換言すれば潔癖過ぎる装いというのは見る者へ無言の圧力を加えて来る。差異や違反を絶対に認めない同化圧力とでも呼ぶべきものであろうか。
何事も過ぎたるは及ばざるが如し。
こんな環境に居心地の良さを覚える者も珍しいであろう。
果てしなく伸びる廊下の奥へと、投げ出すような、不貞腐れたような足取りの音が淡々と吸い込まれて行った。
灰色の作業服に身を包んだ青年が一人、突き当りも見えぬ廊下を歩いていた。
向こうから近付いて来る者も、後ろから続いて来る者も、誰一人の姿も辺りには見当たらない。ただ遠くから囃し立てているかのように反響する己一人の足音を、その主たる青年は実に不機嫌そうに聞き流していたのであった。
接する物を強引に脱色するかのような白い照明が、煌々と辺りを照らす。事実、床も壁も天井も、種々の色味を余さず吸い上げられてしまったかのように純白に照り返り、今その中を歩むこちらをすら漂白しようと、表情の無い様相を淡々と晒し続けていた。
無限に続くようにさえ見える幅広の廊下は静まり返っており、その果てへと刻々と吸い込まれては消えて行く足音が余計に寂寞を強調した。
せめて何かの音楽でも掛けておけばいいものを、と青年は不機嫌そうな面持ちの裏で愚痴を零した。
若しくは、あからさまな白々しさは感じるにせよ、小鳥の囀りや動物の鳴き声などの環境音を流せばこちらの足取りも少しは軽くなるだろうに。
この次に職場アンケートを提出する際、ノイローゼを装ってその辺りの要望を強引にでも呑ませてやろうか。
白けた調子で響く他ならぬ己の足音を聞き流しつつ、如何ともし難い鬱憤を胸中に蟠らせていた青年は、そこでふと息をついたのであった。
誰もいない空間で独りで腹を立てている自分の有様が、急に馬鹿馬鹿しく思えて来たのである。
次いで、彼は無性に疲れを覚えたのであった。
つまらない事でこれ以上頭を悩ませていても仕方が無い。どうした所で今更、自分達の毎日が明るく軽やかなものへ変わる道理も無いのだ。小手先の小細工で救われる程、現状に対するこちらの認識が軽い訳でもない。
そう結論付けた青年は、徐に首を横へ巡らせた。
光沢ある白い壁に、他の誰でもない己の姿が映り込んでいる。わざわざ汚す者もいないのだから当然ではあるが、鏡面のように磨かれた壁面には、黙って歩を進める彼の姿が投影されていたのであった。
灰色の作業服を着込んだ何とも冴えない男の姿が、嫌味なまでに煌めく白い壁に映っていた。作業服自体が何ら目立つ所の無いありふれた代物である事を差し引いても、往来で擦れ違ったとて誰も気に留めぬであろう。
壁面に映る虚像と並んで歩く内、園田大成は不機嫌な面持ちを更に顰めて行った。
何とも冴えない面だ。
やはり、メリハリに欠けた毎日を繰り返していると、顔形にも影響が出て来るものだろうか。或いは、周りが時折愚痴を零しているように、この建物の中にいると徐々に生気を吸い上げられてしまうのだろうか。
軽い溜息の音が、廊下に撥ね返る足音の間に差し込まれた。
そして灰色の作業服を着た青年は、未だ先の見通せぬ白亜の通路を独り進む。
床や壁に反響する己の足音に先導されるようにして。
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