それから暫くして、大成は不意に肩を叩かれた。
眼前の液晶画面へ向け、意識しない間に随分と前屈みになっていた大成は、少し大仰に姿勢を正すと肩越しに振り返った。
自分の席を離れた大前田が、いつの間にか背後に立っていた。
「出迎え、出迎え」
言われて、大成も気付く。改めて室内を見回してみれば、同じく作業に当たっていた者達は既に外へと向かおうとしている最中であった。
「……あ、当番俺達でしたっけ?」
慌てて腰を上げた大成は、急ぎ足になって周りに倣った。
それから程無く、ほぼ直方体の大型エレベーターに乗った大成は、億劫そうな眼差しを宙に泳がせていたのだった。
これまでの例に漏れず、このエレベーターもまた常識的なサイズの感覚からは掛け離れた代物であった。
多少の無理をすれば、大人の四十人程も乗れるだろうか。一般的な荷物用エレベーターよりも更に大型のそれは、収容可能な人数の七分の一の人間を乗せて静かに上昇を続けた。
B10から始まった階の表示が、徐々に上がって行く。
その様子を、壁に寄り掛かった大成は、何処か僻むように見上げていた。
「何だ? また不貞腐れた面ァ覗かせて?」
先程からずっと浮かない表情を湛えた大成へと、大前田が横合いから冷やかすように声を掛けた。
「やァ、だって面倒臭いじゃないですか、どうした所で」
大成は相手の方へ首を巡らせると、肩を竦めて鼻息をついた。
「技師を募集してるって言うから応募したってのに、矢鱈だだっ広い施設を日がな行ったり来たりで、これじゃ雑用係もいいとこじゃないすか。こーんな忙しなく動き回る仕事だとは思わなかったんだけどなぁ……」
大前田もまた、相手に合わせて肩を落として見せた。
「しょうがねえよ、そりゃ。俺だってデスクワークがメインだってぇから来たのにこの様だもん。聞くと見るとじゃ大違いってのは確かにあるが、結局一千万人の世話を百人そこらで見ようってのが土台無理があんだから」
「戦前だったら確実にブラック認定ですよね」
「この御時世にブラックもホワイトも無い。おまんま食わせて貰えるだけでも有難いと思え」
大成へと突き放すように言ってのけた後、大前田はエレベーターの天井をやおら仰いだ。
「……とか思ってんだろうなぁ、実際。政府の偉いさん方は」
「充分ブラックじゃないすか」
大成は首を緩やかに傾ぐと、微かな振動を遣すエレベーターの壁に頭を付けた。
「公務員てのは気楽な稼業だと思ってたのになぁ……」
「んな、気楽な稼業なんて、今も昔も生き残ってられるかい」
若者の漏らした僻みにも似た楽観論を一言の下に切って捨てると、人生の先輩たる中年男は、ふと目元を冷めたものへ変えたのだった。
「……それに、俺達は結構恵まれた立場にあると思うぜ? 特権階級っつったら大袈裟だけども」
底に硬いものを含ませた指摘に、大成も眉を僅かに寄せた。
「……こんな風に齷齪してられるのが今や得難い特権ですか……」
「だってそうだろ? 働きたくても働けないって連中のが今じゃ数が多いんだから。いつだって少数派にのみ許されるのが特権だ」
「んじゃ、これが今時の『持てる者の責務』?」
「かも知んねえなぁ。セレブやってる実感は湧かねえけど……」
大前田が溜め息交じりに答えた所で、エレベーター内に上向きの慣性が掛かった。
パネル横の掲示板に1Fとの文字が表示された後、両開きの扉が左右に開かれて行く。
その向こうには、純白の広大な空間が広がっていた。
趣きとしては国際空港のターミナルが近いであろうか。サッカーコートが丸々一面入りそうなまでの、静けさに満ちた巨大な空間であった。
さながら水族館の大水槽から残らず水を抜いた後のような、空虚な容積を湛える明るい空間がエレベーターから降りた一同を迎えたのだった。
窓から差し込む日差しが、人っ子一人見当たらない大広間の床に眩しく照り返る。
鮮やかながらも虚ろである巨大な建造物内を、エレベーターから現れた灰色の作業服を着た一団が、特段の感慨を覗かせる事も無く横切って行った。
壁越しに伝わる蝉の声が、幾重にも重なって空虚な空間を満たした。
地上はすっかり夏になってるんだな、と大成は一行の最後尾を歩きながらぼんやりと考えた。
湿気と熱気が頬や首筋に纏わり付いて来る。
周囲と歩調を合わせながらも、大成はそれとなく周囲を見回した。
光差す広大な空間には窓口が幾つも設けられ、床には点線や矢印が記されている。腰掛ける者も無い長椅子が壁際に幾つも置かれて、天井からぶら下がる誘導灯も消えたままである。
誰かが迷い込んだとして、何を見紛う事があるだろうか。
周りに広がるのは完全な廃墟の有様であった。
顔を前へと戻した大成は湿った鼻息をついた。
そして一行は無人の屋内を滞り無く通り過ぎると、正面玄関と思しき出入口から程無く外へと出たのであった。
そこは小高い丘の上に在った。
辺りを囲う深緑の梢が風に煽られて涼しげな音を立てた。
蝉時雨が待ち兼ねていたかのように一同の頭上へと降り注いだが、それを重ね塗るようにして地面から重々しい駆動音が伝わって来た。
大成が首を巡らせた先、下方から続く緩やかな傾斜を物々しい車列がこちらへ向けて前進して来る。灰色の都市迷彩模様が施された軍用車両を先頭にして、重厚な車の一団が丘の上へとゆっくりと上って来たのであった。
車列の中心に陣取っているのは大型のトレーラーであり、その前後を挟むようにして四台の装甲車が随伴していた。
「まるで大名行列だな……」
大成の隣で、大前田が呆れたようにも感心したようにも聞こえる口調で呟いた。
程無く、彼らの前で仰々しい大型車両の一団は停車した。
思い出したかのように、駆動音に打ち消されていた蝉時雨が四方からまた押し寄せて来る。
大成は目の前に居並ぶ物々しい一団から視線を外すと、ふと己の背後を振り返った。
彼らの後ろに聳え立つ、巨大な白亜の建造物。
広大な敷地面積に対して然したる高さを持たないのは、この建物が地下へと向けて建造されたからである。
大地の奥深くへ多くの人々を招き入れる為に。
『第五処理施設』。
それが、この霊廟の如き虚ろな建造物の名称であった。
他でもない我が身を置く施設を些か物憂げに顧みた後、大成は顔を戻す。それと一緒に、車の一団がやって来た向こう、坂の下に広がる景色が青年の双眸に映り込んだ。
遥か下方、そして遠方には、崩れ掛けた廃墟の群が何処までも連なっていたのであった。
かつて大都市であっただろう街並みは、遠目からでも判る程に破壊と荒廃の疵痕が生々しく、地域全体が崩壊する瀬戸際のまま放置されているようにさえ見受けられる。そこに動くものの影姿は皆無であり、一切が凝固したかのような錯覚すら見る者に抱かせるのだった。
一瞬の後には音も無く崩れ落ちそうにして、それでいてずっと停止したままであるかのような虚脱した景観。
それがこの国の首都の、今この時の紛いも無い有様であった。
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