斎南海子。
それが彼女の名であった。
抜けるような青空の下、その深い懐へ今にも吸い上げられそうな瓦礫の街を軽やかに歩く白い服を纏った少女。
最初に彼女の姿を目に留めたのは、あれはいつの事だっただろうか。
通り掛かる者もいない壊れた街並みを同じく歩きながら、大成は今正に己の隣を歩く南海子の横顔を静かに見つめた。
発端となったのは『墓守』となって暫く経ってから、全くの気晴らしに始めた道楽からであった。来る日も来る日も窓の無い部屋に閉じ篭っているのも気が滅入るからと、外の様子をパソコン越しに眺め始めたのである。
元々、非番の日に『施設』周辺の廃墟を散策する事はあった。
同僚である他の『墓守』達にしても、とどのつまり、日々の職務よりもそれが終わって以降の自由時間を持て余すようになっていたのである。あれやこれやと種々の職務に追われている内はまだいいが、当面の義務から解放されてふと一人になってみれば、他者のいない世界にぽつんと置き去りにされた孤独感が氷水に浸けられたかのように全身に染みて来るのであった。
大成も初めの内は自室で過去の映画やドラマを鑑賞していたのだが、たとえ映像の中であっても過去の華やかな街並みを目にする度に言いようの無い物悲しさを、今や決して手に入る事の無いものを鼻先に突き付けられる遣る瀬無さを覚えるに至った。
そして、どうやらそれは誰もが共通して抱く感慨であったらしい。
その上で、同僚の中には他所の地域に配属された『墓守』達とビデオ通話に勤しんだり、或いは海外の『活動期』にある国々と交流を持とうと努力する者もあったのだが、大成は現に身近に在るものへと目を向けたのだった。
勤務の終わった後、就寝までの時間を市街に設置された監視カメラの記録映像を何とはなしに眺める事に費やす。寸暇を惜しんで絶えず凝視するという程ではないにせよ、閲覧出来るその日一日の外の世界の様子を飛ばし飛ばしに確認するのだった。
無論、そうした行為自体が何かを生み出す訳ではない。
自室で無人の街並みを見渡しながら、現在という瞬間を良くも悪くも実感する。
自分が光届かぬ地下深くで日々の業務に追われている間、直上の光差す地上では何が起きてどのように時が過ぎて行ったのか。漠然と映像を回しながらその日の地上の様子を顧み、また覗き見る。かつては人波でごった返していた目抜き通りを野犬や野良猫、時には狸や鴨の親子連れが闊歩する様子を見付けては独り苦笑を浮かべる。
それが職務を離れた後の、大成の密かな楽しみとなっていた。
そんな現状に或る意味では水を注す形で現れたのが、この白い服を纏った少女であった。
監視カメラの映像の中に初めて彼女の姿を認めた時には、大成は慄きに近い感情を抱いた。
表向きには在る筈の無いもの、居る筈の無い何者かが画面に映っている。
晴れた日の昼にのみ廃墟の街に訪れる孤影。
それはさながら白昼の亡霊、さもなくば時に刻まれた残像のようなものであるかとさえ思われた。
それが人々が眠りに就いてすぐ、半年程前の事だったろうか。
最初の驚きが収まって以降、大成は『彼女』の姿をその後も幾度か見掛ける内に、奇妙な拘りのような思いに次第に駆られて行った。液晶画面の向こうから、『彼女』の訪れを密かに待ち侘びるようになったのである。
時折、数日に一度、白い服を纏ったこの少女は瓦礫の積もる街を散策しているようだった。大半の人間が眠りに就いた世界で、居残った人々と出会う事を避けるようにして、『彼女』は無人の街を一人徘徊していたのであった。
恐らくは今の世界で只一人、自分だけがこの事実を知っている。
そう思い至って以来、大成は地下深くの自室で連日考え倦ねた。
自分が見た事をそれとなく周りに告げる事も出来た。
『防人』達に連絡を遣せば、若しかしたら保護に動いてくれたかも知れない。
それでも彼は『彼女』にまず会いたいと思ったのだった。
そして今、大成は自分の傍らを歩く白い服を纏った少女を見遣る。
夏の日差しの中に浮かび上がる、朧ながらも鮮やかな何者かを。
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