扉を開けた大成を、控え目な喧騒が出迎えた。
バスケットコートがすっぽり収まる程の広さの一室が、灰色の作業服を着た青年の前に広がっていた。外の廊下と同様に窓の設けられていない室内には、壁面をぐるりと囲うようにして大型の液晶ディスプレイが掲げられ、様々な数値やグラフがびっしりと表示されている。
そして、諸々のディスプレイに環視されるように部屋の中央には六つの机が並べられ、同じ数の職員が各々の席で自身の作業に没頭している所であった。
大成と同じ灰色の作業服を着た者達が、それぞれの机でそれぞれに手先を動かしている。特に賑やかな活気が満ちている訳でもなく、張り詰めた緊張感が湛えられている訳でもない。
敷居の前に立った大成は、いつもと何ら変わらぬ職場風景を冷めた眼差しで捉えた。
戸口へ掲げたIDカードを戻すのと一緒に、湿った吐息が自然と湧いて出る。耳元へ微かに届く空調の駆動音が、室内に満ちる乾いた空気を一層際立たせた。
開け放たれた扉の脇には、『第七管制室』と書かれたプレートが威張るでもなく掲げられていた。
ややあって、大成は敷居を跨いで部屋に入ると、所定の位置へと向かった。
広い室内では灰色の作業服を着た五人が机上のディスプレイと銘々に向かい合っており、特に誰と口を利く事もせず、新たに部屋へと入った青年は黙々と歩を進めた。
間も無く、最後列の角の席に大成は腰を下ろしたが、そこへ殆ど間髪を入れず横合いから声が掛けられる。
「よう。何だ、寝坊したのか?」
場に湛えられた空気に頓着しない、陽気な声であった。
「誰の所為だと思ってんですか」
相手につられてか、少し明るい口調で大成は答えた後、右隣の机へと苦笑した顔を向ける。
先の声色と相違せぬ、実ににこやかな笑顔を覗かせた壮年の男が、彼の隣に座っていた。
如何にも愛想の良さそうな人懐っこい顔、とでも評すべきであろうか。
詳しく訊ねた事は無いが、年齢は四十の後半に差し掛かっていると思われる。寄る年波には勝てぬ故か目尻には小皺が生じ始めていたが、それが却って相手の人当たりの良い雰囲気を強調するのだった。
男の名は、大前田玲と言う。
この『施設』に配属されて以来の同期であり同僚である壮年の男へ、大成は少し遅れて相好を崩して見せた。
「夜通し笑いこけてましたよ。三席ぐらい一気に聞いたんだったかな。落語ってのも真面目に聞いてみると面白いもんなんですね」
「だろ? あの話術は独特だよ。枕の語り口なんか、上手い人は本当に上手いからな」
大成の言葉に、大前田は嬉しそうに首肯した。
「やっぱ娯楽は心の滋養だよ。来る日も来る日も塞ぎ込んでばかりいちゃ体にも良くない。一日に一度は声を上げて笑わなくちゃあ」
「ええ」
机のパソコンを立ち上げつつ、大成も頷いた。机上に並べられた三つの液晶画面が読み込みを表示する前で、大成は徐に視線を持ち上げる。
「……何てんですかね……ドラマとか映画とかの映像を見てると、何かその内段々悲しくなって来んですけど、ああいう音声データだけのを聞いてる分にはそんな事も無くて、逆に身の周りが僅かでも賑やかになってくような気がして来るんですよ。不思議なもんですけど」
「ああ、皆そう言うね。今じゃテレビよりラジオの方が暖かみがあるって。俺も最初は半信半疑だったんだけども、実際体験してみるとなぁ……これがノスタルジーって奴かと思う訳よ」
何やら感慨深そうに述懐した大前田の隣で、その時、大成は真顔に戻って相手へと問い掛ける。
「それで、何か引継ぎは?」
問われた大前田も、笑顔を引っ込めて応答する。
「んー……特に無い、かな。少なくとも、夜勤の連中からは何も聞いてない」
「断線とか漏水とかも無しって事で?」
「ああ。その辺りは先週点検したばっかだからなぁ。そうすぐにトラブルが出て来られても困る」
大前田が蟀谷の辺りを掻いて言った後、顔を顰めた。
「いや実際大変だったじゃん、こないだの断線騒ぎの時なんかも。全部の階の配線を一つずつ確認して回る羽目ンなって」
「あー、ありゃもう思い出したくないっす……」
大成も苦い口調で答えた時、彼の目の前で画面の表示が切り替わる。
そうして、彼は画面上に示される諸々の数値に目を通し始めた。
「んじゃ、今日も全て世は事も無しって事で」
「ああ。俺らの頭の上からは、神様はとっくにいなくなってるかも知んねえけどなあ」
言いながら、大前田もまた椅子を引き摺って自分の席へと戻った。
程無くして、広い室内にはマウスのクリック音とキーボードの入力音が満ちるばかりとなった。灰色の作業服を着た男達は、大成を含めて談話を交える事も無く、それぞれの作業に没頭する。
壁に掲げられた無数の大型ディスプレイが、音も立てずに明滅を繰り返した。
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