規則正しい脈拍のような機械の駆動音が、薄暗い空間に湛えられていた。
まるで薄明の中にいるかのような、ぼんやりとした光が満ちる通路に立って、大成は元来た道を顧みた。
人が余裕を持って擦れ違える程の幅を持つ通路が、灯りの落とされた部屋の端まで長く伸びている。そしてその左右には、蒼白い光を放つ四角い窓のような物が、二段一組となって通路沿いに何処までも連なっていたのだった。
景観としては、かつてのカプセルホテルが近いであろうか。
顔を前に戻した大成は、その『個室』の一つを徐に覗き込んだ。
窓越しに見える内部では、名も知れぬ一人の女が静かに眠っていた。
屈強な成人男性が横になって尚若干の余裕がある程度の広さの『個室』は、その女性にとってはそこまで窮屈ではないかも知れない。深い眠りに落ちている今なら尚更であろう。病衣に身を包み、ブランケットも掛けずにベッドに横たわって穏やかに瞼を下ろした女を、蒼白い照明が照らし続けていた。
この人物が、いや、この施設で眠る全員が目覚めるのは、あと二ヶ月程後の事である。長い通路に沿って連なる『個室』が全て同じ人工冬眠装置であり、その全てに眠れる人々が収められていたのだった。
『個室』の入口に片手を突いて、大成は眠り続ける者の相貌を暫し見つめた。
蒼白い光が満ちる『個室』内では、収まった人々の血色は随分と蒼褪めて見える。事実、全身の血行は平常時に比べて極端に緩やかになっているのだろう。そうでなければならない。
低温を維持した『個室』内にて呼吸と脈拍を制御され、脳を含めた全身の代謝機能を最低限度にまで抑えられた状態で人々は永い眠りに就く。『個室』の環境は常に最適化され続け、そこに収まっている間は、飢えとも老いとも無縁の安らかな眠りが約束されるのである。
寝息も鼾も立てず、ただ機器の作動音だけが薄暗い通路に反響する。
窓から通路へ漏れ出る蒼白い光には、何の歓喜も悲嘆も含まれてはいなかった。
ややあって大成は姿勢を戻すと、手元のタブレット端末に目を落とした。
「五百二十八ブロックまで異常無し……」
独白した後、彼は何処までも伸びる通路を一人歩き出した。
通路を挟んで同じ『個室』の窓が上下に整然かつ延々と並ぶ光景は、かつての宿泊施設と言うよりは、むしろ大規模な遺体安置所を連想させる。
だからこそ、そこで働く者達は『墓守』などと仇名されるのである。
大成は特に腹を立てるでもなく、己の役職を思い返した。
別に、根深い差別意識が社会の奥底に蟠っている訳ではない。
その呼称に自嘲的なものが含まれているのは、まず間違い無いであろうが。
『墓守』にせよ『園丁』にせよ『防人』にせよ、冬眠が日常となった『戦後』に於いてはいずれも異端と呼べる存在ではあるが、人々が目覚めた後も含めて、新たな社会に於ける市民生活を守る為にはどうしても必要な役職であり、事実として待遇も良い。
しかし一方で、如何ともし難い孤独感や疎外感に精神を蝕まれて行く者も多く、職務自体が敬遠される向きがあるのもまた一つの事実である。その為、これらの職種には同じ人間が連続して配置される傾向が強いのだった。
平たく言うなら、適性の有無という事であろうか。
己一人の足音を後ろに付き従えて、大成は薄暗い通路を独り進む。
そうした『適性』に欠ける、謂わば『脱落者』達の姿を彼も今まで幾度か目の当たりにして来た。
街から人の姿が全く消え、身近にいる人間はごく少数に限られ、別の誰かに話し掛けようにも誰も彼もが深い眠りに落ちていて、こちらの呼び掛けに答える事は絶対に無い。そんな状況下で心の均衡を崩して行く者が現れるのは、決して不自然な顛末とは呼べなかった。
職務期間の最中にありながら、眠り続ける者達の列に加わりたいと懇願し、時に、こんな所にいるのはもう嫌だと涙ながらに訴えた同僚達を、大成は傍から眺めた事が何度かあった。いずれも暗鬱そのものの面持ちを湛え、それでいて何処か和らいだ横顔を覗かせながら『個室』へと入って行った、『墓守』になり損ねた者達を。
しかし見方を変えれば、彼らこそが至極まともな感性の持ち主であったとも言えるのである。
完全に静止した、時間そのものですら他者と隔絶された環境で平静を保っていられる人間というのは、やはり何処かがおかしいのだろう。
他とは何処かがずれている。
大成は口元に自嘲を浮かべるでもなく、目元に厭悪を滲ませるでもなく、薄暗い通路に黙って歩を重ねた。
自ら時を止める事を選んだ人間達を収めた無数の『個室』は、ただ蒼白い光を漏らしながら、薄闇の中で再び開け放たれる時を待ち続けた。
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