年休九ヶ月

退会したユーザー ?
退会したユーザー

第二十三回

公開日時: 2022年12月16日(金) 20:21
更新日時: 2022年12月22日(木) 19:08
文字数:4,009

 昼夜の区別の無い『施設』の内部は、また四季の移ろいとも無縁であった。

 夏がいよいよ盛りを迎えようとする中、地下深くに広がる空間には相変わらず虫の声も届かず、地上の熱気とも無縁で、空調の稼働音だけが隅々までを満たしていたのであった。

 耳に障るという程でもないが無視するにも少々大きなその音を聞き流しつつ、大成は休憩室で一人スマートフォンをいじっていた。

 多くの人々が『眠り』に就いた今、国内で提供される情報は極僅かであり、大成ももっぱら『活動期』にある他の国々の動画などを眺めていたのであった。

 他国の言葉は聞き取れないにせよ、画面から伝わる場の空気はおおむね察する事が出来る。水色の空を背にそびえる峻険な山脈が望める郊外で、白い防護服に身を包んだ人々が土地の除染作業を行なっている様子が、スマートフォンの小さな液晶画面に映り込んでいた。

 良い日和であるようだった。

 温度こそ伝わって来ないが、海を跨いだ異国の空は何処までも澄み渡り、辺りを覆う空気はこちらより余程透き通っているように見える。

 しかし、だからと言って、そうした環境はそこで働く人々の精神的な支えや癒しとは別段なっていないようであった。スピーカーから聞こえる労働者達の話し声に陽気な響きはほとんど含まれておらず、皆が皆淡々と、そして粛々と己の責務を果たそうと努めている様子のみが伝わって来る。

 その大方の理由を、大成もすぐに推し量る事が出来た。

 余りにも広過ぎるのである。

 土地も、景色も、何もかもが。

 小さな液晶画面から覗ける異郷の人々の作業は朗らかなものからは程遠かったが、それも陰鬱であると言うよりは、何処か萎縮している様子が滲み出ていたのであった。事実、広大な自然の景観に対し、防護服をまとってそこに散った人間達の姿はどうしようもなく矮小であった。

 大成自身は、こうした復興作業に参加した経験はほとんど無かった。人々が目覚めて社会が『活動期』に入れば、『休眠期』に活動していた者達は逆にその身を休められる僅かな時間を得られる。そして『墓守』達は次の『休眠期』に向けて、『施設』の点検と整備へすぐに駆り出されるからである。

 故に、大成は国内であっても郊外の様子など全く知らなかったし、作業の様子をじかに目にする機会も無かったのだが、それでもこうして動画を見ていれば実情は概して察する事が出来た。

 即ち、『人間』が『自然』の中へ溶け込むのが如何に難しいかを改めて見せ付けられるのである。

 漠然と眺める内、人々が除染作業を続ける先に広がる景色が、遠くに望む森や山の姿が果てし無く彼方に見えて来る。平面の画像故に実際の距離感は掴めないが、だからこそ精神的な隔たりを強く覚えるのである。

 さながら人間達を絶えず環視しながらその周囲より常に遠ざかって行くように、身を寄せようとしても決して届かぬもの、手で触れようとしても決して叶わぬ事が『そこ』に示されているかのようだった。

 人間の小ささや脆さと対極を成す姿勢が、前面にくまなく押し出されている。

 歪んでいても壊れ掛けていても、本来あるべからざる汚染と破壊を被っていても、『自然』は『自然』としてのていを決して崩そうとはしなかった。そんな泰然にして厳然たる佇まいが、その只中で蠢く人間達に所在の無さを殊更ことさらに強く与えていたのであった。

 『人間』以外にとっては、これもまた取るに足らない瑣末さまつな出来事の一つに過ぎないのかも知れない。

 たとえ今は汚れていようと何千年か何万年かの後には、それこそ自然に、地球全体の環境も必ずや再生される事だろう。事実、人間がその活動を大幅に縮小させた事により、気候変動を始めとする種々の環境問題は徐々に改善の兆しを見せているのだという。人間のように自分で自分を『休眠』させるなどの滑稽な矯正を行なわずとも、母なる大自然とやらは膨大な数の誕生と死滅を繰り返しながら、これまでと何ら変わらぬ営みを経た末に、これまでと何ら変わらぬ環境を再び作り出すに至るに違い無い。

 しかし、自然界の全てが元通りとなった暁にいて、『人間』はもう一度その一部に組み込まれる事が叶うのだろうか。

 『人間』にとって『自然』は無くてはならない存在だが、『自然』にとって『人間』などは最初から存在せずとも何ら差し障りの無い代物に過ぎぬのかも知れない。

 現に今も、木々も山々も海原も、『人間』を取り巻く環境のことごとくが何の意思も示そうとはしないのである。わずかな慈しみも憐れみも決して表に出す事は無く、ひたぶるに自分達の営みを、悠久の歳月と適者生存の原則に基づいて構築された独自の活動を続行するのみである。『人間こちら』の希望や願望とは常に別の場所で循環する、『自然』とは悉皆しっかいそういうものであった。

 山々の囲うわずかな土地を除染して回る人々の姿を機械越しに見つめながら、大成はぼんやりと考えたのであった。

 そしてふと、河川敷の集落で暮らす『彼ら』の姿が脳裏をぎった。

 『彼ら』なら、『彼ら』であれば、新しく拓かれるどの様な世界にも順応して行けるのだろうか。

 『彼ら』の脇に佇む『彼女』もまた。

 目線を下ろして一人物思いに沈む大成の向かいの席に、その時、大前田が腰を下ろした。

「よう。お疲れさん」

「お疲れっす」

 スマートフォンの画像を消しながら、大成は緩やかに相好を崩して見せた。

 そんな大成へと、大前田もテーブルの向こうから笑い掛ける。

「何かここんとこ機嫌良さそうじゃん? いい事でもあったのか?」

「や、まあ半年以上も続いた穴倉生活がもうじき終わるとなりゃ、多少は浮かれる気にもなりますって」

「だな。頑張れ。あと一月ひとつきばかりの辛抱だ」

 苦笑を交えて誤魔化した大成へ何の疑いも見せずに言葉を投げ掛けると、大前田は自身のスマートフォンを取り出した。他に寄り付く者の姿も見当たらぬ夜の休憩室の片隅で、一組の男は少しの間黙ってそれぞれの情報端末を操作していた。

 ややあって、大前田が欠伸あくび交じりに愚痴をこぼす。

「しっかし、いい加減やんなるよなぁ、情報管制ってのも。時代遅れもいいとこじゃねぇか」

 唐突に非難じみた声を上げた中年男へと、青年はやおら顔を向けた。

「何ぼやいてんです?」

 怪訝な表情を浮かべた大成の向かいで、大前田は片手でスマートフォンを掲げて見せる。

「いや何、こうした情報配信サービスにさ、軍が一々検閲設けるのも今時どうなのって話。国内の周知なんか、ろくすっぽ見れやしねえじゃん」

「ああ……」

 そこで、大成も軽くうなずいた。

「そりゃあ戦時中からの決まりですからね。何が原因で他所に付け込まれるか判んないからって、何処の国でも情報管理は徹底されてんでしょ」

「んな事言ったって、最後の戦闘が終わってもう七年も経ってんだぜぇ? ぼちぼち前向いて欲しいもんだよ、軍の偉いさんにしたって。割食わされる庶民は不便になって敵わねえ。明日の天気だってすぐに判んねえんだもんよぉ」

 言いながら、再び手元のスマートフォンへ目を戻した大前田を、大成はやや億劫そうに見遣った。

「ま、万一の事態に備えるのがあの人らの仕事な訳ですし、快晴の日和にピンポイントで首都にミサイル撃ち込まれても困るし、嵐の夜に上陸作戦決行されても何だし……」

 意気にも説得力にもはなはだ欠ける言葉が、青年の唇から緩々と這い出して来る。

 万一の事態なぞ今更起こる筈が無いというのが、大成を始め大方の共通認識であった。

 かつて無い惨禍をもたらした戦乱の後、世界は奇妙な静けさに包まれていたのである。

 実際の所、戦後の復興が滞っている現状、何処の国も他国へ干渉する余裕など持ち合わせてはおらず、自国民と国土の管理に忙殺されているのが現状であった。豊かで広大な耕作地などは今や世界の何処を見回しても存在せず、他所へ軍隊を派遣しようにもそれを支える兵站へいたんの確保が到底不可能な状況に置かれては、かつてのような大規模な軍事行動など最早起こしようが無かったのである。

 如何なる打算から来る国益の追求も、崇高な民族主義も愛国心も、或いは根深い憎悪と報復の連鎖でさえも、それを支え突き動かせるだけの即物的なリソースが存在しなければ空回りすらしなかった。腹が減っては戦は出来ぬという格言が如何に真理を突いていたのか、各国の要職者達はこの時代に入って改めて思い知らされたのであった。

 皮肉にも戦災によって引き起こされた食糧難が世界に未だかつて無い平穏をもたらし、倦怠けんたい諦観ていかんが色濃く蔓延する中で世界は静けさを取り戻したのであった。規則的な活動と休眠を繰り返しながら、人類はようやくにして平和な時代を獲得したのだった。

「にしたって、休戦と終戦の見極めぐらいそろそろ付けて欲しいよ」

 そう愚痴を漏らした所で、大前田はスマートフォンに向けた目をやおら細めた。

「……ああ、やっと来たわ、更新。へえ、明日は台風が来んだってよ」

 大した感慨も込められていない、つまんで捨てるような物言いであった。

 しかし、大前田が至極つまらなそうに呟いた刹那、大成は思わず顔を上げていた。

「台風……」

「うん。やっぱ情報管制が敷かれてやがったんだよなぁ。ここ二三日、天気予報だけが更新されてなかったもん。またぞろ防衛上の機密がどうのこうので……」

「……それ、首都圏こっちに来んですか?」

 目の前で気の無い愚痴を積み上げる大前田へと、大成は一転して真摯な口調で訊ねた。この時、彼自身もほとんど意識しないまま、大成は椅子から腰を浮かせていたのであった。

 大前田は手元の液晶画面に視線を這わせた後、小さく首肯しゅこうして見せる。

「みたいだねぇ。何年振りかの関東直撃になるらしいわ。だからって、こんな事伏せとく措置に何の意味があんだろうなぁ、今更……」

「ええ……」

 大前田が欠伸あくび交じりに言い捨てた向かいで、大成は力無く相槌を打った。

 次いで、それきり大成の意識には、大前田の言葉も空調の稼働音もぱったりと伝わらなくなったのであった。

 胸の奥深くより伝わる言い知れぬ動悸だけが、漠然とした混乱に襲われた彼の頭を脈打たせていた。



読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート