エレベーターで地下深くへと下り、大成達はまた元の部屋へと戻って来た。
扉の横に掲げられた『第七管制室』のプレートが、何処か白々しく一行を迎え入れた。
宛がわれた席に着くなり、椅子の背凭れにだらしなく寄り掛かって、大成は湿った息をついた。
そんな彼の後ろを通って、大前田もまた自分の席へと乱暴に体を投げ出した。
「……ああー、マジで疲れたな、畜生……」
照明の煌々と灯る天井を仰いで、大前田が嘆息を漏らした。
肉体労働を経た故か、室内に漂う空気は朝方よりも緩んでおり、大成らの前方でも似たような吐息や愚痴が湧いて出ていた。
そうした中で大前田は椅子に寄り掛かったまま頭の後ろで両手を組み、何やら恨めしげな眼差しを頭上へと据える。
「……ったくよぉ、軍隊の奴らも警護に付き合うんだったら、少しは積み荷降ろすのも手伝ってくれりゃいいもんを。これ見よがしに銃なんかぶら下げて突っ立ってなくたって、今時雄叫び上げて襲い掛かって来る奴らなんかいやしねえってのに……」
「主観の相違って奴じゃないすか?」
大成は机の上に行儀悪く頬杖をついて、傍らの中年男が零した不満に指摘を遣した。
「あの人らの頭ん中じゃ、今でも戦争は続いてんじゃないんすかね? 実際に銃弾やミサイルが飛び交ってないってだけで、お隣の国が今でも付け入る隙を窺ってんじゃないかと不安がってんじゃないんすか?」
億劫そうに言い捨てながら、大成は机上のディスプレイを点けた。画面上に、担当する人工冬眠処理室より逐次転送される各種データが表示される。各数値にこれと言って異常が無い事をざっと確認した後、大成は瞳だけを隣へと移した。
「実際、うちらも今は『休眠期』に入ってんですから、外から何か飛んで来たら一溜りも無い訳で」
「そん時ゃアメちゃんが押っ取り刀で駆け付けてくれるだろうさ」
やはり眼差しを頭上に据えたまま、大前田は意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「誰もが誰もの隙を窺ってんだ。起きてる奴らはいがみ合って、寝てる奴らは慄き合って、そのお陰で変なバランスが出来上がってんだからよ……」
今度の相手の弁には、大成もすぐには何も言葉を差し挟まなかった。
実際の所、現在の世界の安全保障には、危ういながらも一定の保証が成り立っていたのであった。
国毎に人工冬眠を施す期間には恣意的に差が設けられ、国連の主導で大まかなスケジュールが決められていた。休眠施行中はその国の行政機能が著しく低下する為、隣国からの不当な干渉及び侵略を防ぐ目的で主に大陸毎に異なる休眠期間が定められたのである。
日本と中国、ロシアを含めたユーラシア東部、中央アジアからエジプトまでを含めた同西部、EU圏とイギリス、アフリカ、アメリカ、オーストラリアが交互に猜疑と警戒の目を光らせつつ不本意な眠りに就いて行ったのだった。
徹底した破壊を齎した大戦の後では国際間の緊張も未だ弛んではいなかったが、互いに絶え間無く警戒の目を光らせながら、各国はそれぞれに渋々と休眠と覚醒を繰り返していたのであった。
「それに、何処の国にしたって、今更戦争始める元気なんか残ってるもんかい。皆が皆、自分の事だけで手一杯だろうに、軍隊が軍隊の仕事をする場面なんかそうそう出て来てたまるかっつーの」
大前田がそう嘯いた横で、大成は頬杖を付いたまま鼻息をついた。
「言うて、残ってる軍人さん達をあちこちの作業に回した所で、全体から見りゃ大した足しにもなんないでしょ、実際。そりゃ、俺らの仕事はなんぼか楽んなるかも知れませんけど、それでも凄い限定的な話でしょうね」
畢竟するに、働き手の数の少なさと、各種労働に割り振れる期間の短さが何処の地域でも泣き所となっているのである。
三度目の大戦は世界中に甚大な被害を及ぼした。
経済大国を自称する東洋の島国もまた例外とはならず、それまでの無軌道な消費生活を変更せざるを得なくなった。
総面積の約七割が山林に覆われ、僅かな平野と山間部に生活拠点を密集させた列島は急所を明確に晒しているも同然であり、市街地という市街地は苛烈な攻撃に見舞われた。国土の三割を死守すれば良いと取るか、その三割さえ壊滅させれば良いと取るかは攻守によって見解の割れる所であったろうが、諸々の住宅地、工業地帯、そして農村のいずれもが重度の破壊と汚染を被ったのである。
世界規模で同様の暴虐が行なわれていたのは事実であったが、元々が食糧自給率の低い島国では山間に広がる僅かな耕作地の破壊は正に致命的なものとなり、他国からの輸入や援助も見込めない中、事態の深刻さは旧先進国中でも群を抜いていた。
土壌の全面的な除染。
総数も定かでない地雷や不発弾の撤去。
そして新たな耕作。
山積する諸々の処理に取り掛かろうにも、現実に広がる被害を前にして対処すべき人員の数は圧倒的に不足しており、何よりそれらの作業を、膨大な時間投資を要求される地道な重労働を支えるだけの食糧が全く足りていなかったのである。
食糧を作る為の食糧が無い。
この全く笑えない状況に際し、暫定政府は復興への道筋が比類無く困難である事を否応無しに自覚する。この頃、同様の問題を抱える諸国に対し、活動を再開した国連の諮問委員会は一つの提案を掲げたのであった。
食糧生産に携わる人員以外を人工冬眠させ、諸々の活動とそれに伴う諸々の消費を抑制する事で餓死者を減らす。
発表当初、この提案は世界各国で大きな波紋を生んだ。人工冬眠の技術自体は既に確立されてはいたが、現在の医療技術では根治の見込めぬ傷病者に一先ず延命処置を施す程度の限定的な用途でしか使用されて来なかった。
しかし、『戦後』に露呈した危機的状況から、各国は残された国力の全てを振り絞って国民を永い眠りに就かせる施設の開発に奔走したのであった。特に日本の場合、一刻の遅れが飢餓の拡大に繋がるという危機感も手伝って施設の建設は急ピッチで進み、食糧の備蓄が底を尽く寸前で完成に漕ぎ着けたのであった。
その成果を前にして、しかし、大成は然して喜ぶ気にもなれなかった。
飢餓の蔓延という最悪の事態こそ回避出来たものの、状況は依然として五里霧中であるに違いは無いのである。
問題を解決したのではなく、飽くまでも先延ばしにしたに過ぎない。
しかも、その事実を誰もが自覚している。
先の見通せぬ復興の道筋は、未だ何処までも長く昏かった。
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