最早誰も通り掛かる事の無い歩道を、大成は漫ろ歩いた。
あの破滅的な戦争が起こる前までは国内有数の目抜き通りであった大通りには何の影姿も今や見当たらず、砕けたショーウィンドウの向こうで焼け焦げたマネキン人形が佇むばかりである。
瓦礫を踏む己の足音以外で耳に届くのは蝉の声と、時折何処からか伝わる犬や猫の鳴き声ぐらいであった。
最近は野犬の数が増えているらしいから表に出る時には気を付けろ、と上司に以前忠告された事があったのを大成は思い返した。尤も、『施設』内で職務も私生活も完結している『墓守』達が、外の世界を出歩く事自体が極めて稀ではあるのだが。
食料が完全配給制となり、衣料品や薬剤などの生活物資も一般への流通は限られたものとなっている。終戦を機に諸外国との貿易も再開されはしたが、そこにもかつてのような華々しさや仰々しさは存在しなかった。『休眠期』の設定に伴う経済活動の縮小は、世界規模であらゆる物流を狭めていたからである。
車も家電製品も最早以前のようには売れず、諸外国から食糧を買い込む事も出来ない。日本が輸出出来るのは人工冬眠の器材に用いる精密部品ぐらいのものであり、それらの原料及び各種燃料を他国から輸入してどうにか収支の均衡を保っているのが実情であった。
『休眠期』との兼ね合いもあって船便の数は大幅に減らされ、何処の国もそれぞれが必要とする物資を最低限遣り取りするのみとなっていたのである。来客に提供する程の食糧の余裕などは何処の国にも存在せず、戦前の観光業は完全に成り立たなくなっており、港や空港は無愛想な船員や作業員が黙って往来を繰り返すだけの殺風景な場所と化していた。
そして一事が万事の喩え通り、そうした倦怠感溢れる経済活動は末端となる市民生活にもそのまま暗い影を落としたのである。
未曾有の食糧危機に際し生活全般に大きな制限を科せられた人々は、当初こそ自らの置かれた境遇に対する憤りや、そこから生じた発奮により逆境を跳ね除けようと奮闘していたが、幾度かの眠りを経る内に誰もが次第に気力を衰えさせて行ったのだった。
長期を休眠に当てる事による生活感及び現実感の喪失。
限られた活動期間の中では遅々として進まぬ復興作業。
その事実を有無を言わさず突き付けて来る崩れ掛けた街並み。
そうしたどうしようもない現実を瞳に焼き付ける内に、時間感覚を欠落させる長い眠りから覚める度に、人々は喜怒哀楽を少しずつ落剥させて行った。分けても、食糧の絶対的な不足という誰にも打開出来ない苦境は人々から選択の自由を奪い、あらゆる意欲を虚ろなものへと変えて行ったのだった。
我々はこれで『生きている』と言えるのか?
未来を選ぶ事も変える事も叶わず、ただ細々と生き永らえる事にどれだけの値打ちがあるというのか。
我々は種としては既に滅びたも同然で、曖昧模糊とした夢を見続ける亡霊のようなものに過ぎないのではないだろうか。
泰然自若として冷ややかにこちらを見下すように様相を変えぬ現状に疲弊した人々は、いつしか同じような感慨を抱くようになって行った。
そもそもの発端が自分達の無益な行為に起因する事、畢竟するに、天災等の突発的理不尽に無理矢理巻き込まれたが故ではなく、現在の苦境の原因が全て自分達の意思決定に基づいた結果であるに過ぎない事実も、どうしようもない倦怠と諦観を湧き上がらせる大きな要因となったのである。
意欲は益々乏しくなり、歳月の感覚すら鈍化して行き、身勝手な怒りを発散させようにもその糧となる物が何処にも無い。
今更何をした所で一切が徒労に終わる。
いや、こうして生き続ける事自体が、最早何の値打ちも無い事柄に過ぎぬのかも知れない。
明確な希望の覗けぬ鉛色の雲が掛かった時代に、そこに生きる人々の心にもまた容易に晴れぬ分厚い雲が垂れ込めていたのだった。
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