年休九ヶ月

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第十一回

公開日時: 2022年12月2日(金) 18:26
更新日時: 2022年12月22日(木) 19:01
文字数:2,296

 そして今、大成は晴れ上がった夏空を独り仰いでいたのであった。

 蝉の声が、林立する建物の壁に撥ね返って木霊する。

 蒸し暑い夏の空気が充満する、そこは廃墟の只中であった。

 外壁に無数の亀裂が走り、崩れ掛け、傾き掛け、或いは完全に倒壊した建造物ばかりが無惨なむくろを晒す、かつての大都市の一画であった。

 その中に、大成は佇んでいた。

 今は灰色の作業服をまとわず、これと言って特徴も無い私服姿で、彼は人の姿の消えた都市の片隅に立っていたのだった。

 振り返れば、『施設』の建つ小高い丘が朽ちたビルの間に望める。距離としてはそう遠くない筈なのに、実際に『ここ』まで足を運ぶとすでに数万里を隔ててしまったかのような錯覚にすら陥ってしまう。

 その奇妙な感慨が距離に根差したものか、はたまた過ぎ去った時間に根差したものか、大成にはすぐに判別が付かなかった。ただ一つ確かな事は、目の前に広がる死に絶えた街が紛いも無い現実の産物であり、刻々と時の重なり行く『現在いま』の有様であるという事実のみである。

 大成は、足元へと目を落とした。

 道路脇の歩道には、おびただしい量の瓦礫が堆積たいせきしていた。砕けたコンクリートやモルタル、木材の切れ端に融解した鉄骨やガラスの欠片などが、かつての歩道をほぼ隙間無く埋め尽くしていたのであった。

 物資を輸送する車両が往来する都合上、車道こそ最低限の整備がなされていたが、他の小道や歩道などはほとんど手付かずの様相を呈している。完全に朽ちた街路樹が今も尚植え込みにそのまま残されているまでに。

 時の流れも凝固する場合がある。

 それを証明するかのような街並みを、軍の設置した監視カメラだけが見下ろしていた。

 通り掛かった誰の目を通しても同様の感慨が湧くであろう。

 ここはすでに見捨てられた土地であるのだと。

 食料の完全自給自足を喫緊の課題として国土再生計画が立案された結果、復興作業は必然的に郊外の農村地帯を基点として行なわれ、都市部の復旧は政治経済の中枢を別として後回しとされたのだった。かつて往来の絶える事の無かった都市部は戦災の跡も未だ露わなまま放置され、何処の国でも市街地の至る所には廃墟が広がっていた。

 元々形在るものを何も生み出さず、実体の無い様々な数字だけが目まぐるしく飛び交っていた都市空間は、流通の激減と共にその命脈を絶たれたのであった。

 それでも人々は、過去の栄華の成れの果てを目の当たりにして自らの凋落ちょうらくを嘆く余裕も無く、ただ明日の糧を確かなものにする為だけに一途に働き続けた。

 そこで、大成はおもむろに顔を上げた。

 彼の見据えた先、傾いたビルを二つ程跨いだ先に、未だ電灯の光を窓から吐き出している生きたオフィスビルが望める。その屋上には、付近のビルのものよりも大型の貯水タンクがふんぞり返るように設置されていた。

 あれが『戦後』の社会に作られた新たな『農場』であった。

 農業従事者、及びそれに関わる技術者は都市部にける作物の栽培に従事していた。食物の生産は国を挙げての急務であり、社会的重要度は極めて高い。郊外の農耕地は未だ復興を成し遂げられずにいる為、『戦後』の『農地』は市街地で破壊を免れたビル群がもっぱら活用されたのだった。

 水耕栽培のプラントが在りし日のオフィス内に敷き詰められ、パソコンやプリンターのそれに代わって浄水を回すポンプの駆動音が昼夜を問わず鳴り響く。他国から食糧品の輸入が全く望めない現状、各都市に点在する『農場』は国民の生命線であり、管理と警備が徹底された事からプラントを有する都市はいつしか『荘園』と呼ばれ始めた。

 『施設』の置かれたこの区画も、広義に照らせば『荘園』の一部であるとも言える。ただし、そこにかつての大規模農場のような賑やかさは皆無であり、人の往来でさえ同様であった。新たな都市型農場に何より必要とされたのは、周囲の環境に左右されず常に一定の収穫量を確保する為の機密性と確実性であったからである。

 人々が周期的に眠りに入る事を義務付けられた時計仕掛けの社会に|於《お》いては、生産活動に対しても活動自体が限定的である分、事前の計画に反する事柄は何一つとして認められていなかった。そして国全体が余裕の無い中で施行された窮屈な指針は、当然の成り行きとして国民一人一人の生活にも当てめられたのであった。 

 『荘園』で栽培された作物は耕作面積の問題もあって種類が限られており、戦前のように多種多様な食材を堪能する事は不可能となっていた。収穫された作物はそのまま工場へと送られ、幾つかの栄養調整食品に加工される。ショートブレッド状の味気無い加工品が国民の主食となり、それに頼る他に人々は己の命を繋ぐ術を持ち得なかった。

 そうして最低限の糧を与えられた者達は続々と郊外へおもむき、各農地の再興に従事する事となったのだった。慣れぬ事でも、覚えが無い事でも、誰も彼もが無心に働き続けるより他に道が無かったのである。

 限られた時間というどうしようもない足枷に否応無しに繋がれたまま、人々は地表に焼き付けられんとする影のように己の責務を果たし続けた。

 幾日も幾日も、幾年も幾年も。

 この先、更にどれだけの歳月を要するのかも定かでない作業を、彼らはひたぶるに行ない続けた。大戦の終結よりすでに七年が過ぎようとしていたが、それでも復興の見通しは未だ暗く、耕作地の除染も全体の二割程度しか進んでいないのが現状であった。

 顔を戻した大成は、再び辺りを見回した。

 瓦礫の中で佇む彼を取り囲むように、蝉の声が四方から鳴り響く。

 過去を失くした街に、未来を見失った街に、これまでと変わらず、またこれからも変わらぬであろうその声は囃し立てるように響き渡ったのであった。



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