年休九ヶ月

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第十六回

公開日時: 2022年12月5日(月) 20:26
更新日時: 2022年12月22日(木) 19:04
文字数:3,463

 天井に幾つもめ込まれた昼光色の照明が、気だるげな光を部屋全体に投げ掛けている。

 合わせて、ゆったりとした曲調の音楽が満たす広々とした室内で、大成は面白くもなさそうにテーブルに頬杖を付いていた。

 職場よりも更に広い間取りの一室は『施設』内に設けられた休憩室であった。ソファとラウンドテーブルが小奇麗に並ぶ空間は気取ったレストランやカフェのようでもあり、リラクゼーションを期待出来るとされるヒーリングミュージックが抑えられた照明の下で延々と流れる。陽の光が決して届かないというただ一点さえ除けば、ここは地上の建物と違いがまるで見当たらなかった。

 『休眠期』であっても地下で働き続けねばならない『墓守』達に精一杯配慮した憩いの場を、しかし、大成はただ退屈そうに見回した。

 広々とした室内には彼の他に人の姿は見当たらず、壁際に並ぶ観葉植物がオレンジ色の光を無言で浴びるのみである。

 少しして、大成は左手の腕時計をちらと流し見る。

 時刻は午前二時半を回った辺りであった。

 こんな大深度地下施設では、ましてや地上の人々の大半が眠りに就いた時期とあっては尚更時間の移ろいなど大した意味を持たないのだが、付近の空気は心なしか昼間より静かに沈降して行くようでもあった。

 休憩室の片隅で大成はラウンドテーブルの上で両手を組むと、何とも冴えない眼差しを自身の手先に注いだ。

 中途半端な光量の照明も、眠気を誘うような音楽も、彼の意識には大して届いていなかった。彼の瞳の内側には、ずっと別のものが映っていたからである。その所為もあって、彼が自分の方へと近付いて来る足音がある事に気付いたのは、随分と後になってからの事であった。

 大成がソファの上で肩越しに振り返った時、すぐ後ろに大前田が立っていた。

「よう。今日は休憩室こっちにいたのか」

「ええ……」

 相好を崩すとまでは行かぬものの表情を緩めて、大成は首肯した。

 対する大前田はいつも通りの人懐っこい笑顔を浮かべると、テーブルをぐるりと回って大成の向かいの席へ腰を下ろす。そうしてソファに尻を沈めるが早いか、彼は小脇に抱えていた小さな包みを卓上に置いたのであった。

「こっちも見回りがようやっと終わってよぉ、やぁっと一息付けるわ。夜勤は夜勤で面倒臭ぇな、全く……」

「まあ実際、窓の無い職場に住み込みで働いてると、昼と夜の区別もどうでも良くなって来ますけどね」

「正に土竜もぐらだな。でなきゃ白蟻か」

 大前田は愚痴を垂れ流すのと一緒に、卓上の包み紙を手早くほどいて行く。初めは何とはなしにその様子を向かいから見下ろしていた大成であったが、程無くしてその下から現れた『もの』を認めるや否や、一転して露骨に顔を歪めたのであった。

「にしても歩き通しで腹減ったぁ……」

 言いながら、大前田は包みから取り出した『もの』を迷う事無く口へと運ぶ。対して大成は、口元から湿った咀嚼そしゃく音を漏らす目の前の男を呆れた眼差しで捉えたのだった。

 その大成へと向け、大前田は包み紙の中身を差し出した。

「一つどうだい? 半年前に届いたもんだが、まだまだいけるぜ?」

「要りません。てか、よく食えますね、そんなもん……」

 そう切り捨てて、大成は差し出された鮭とばの前で片手を振って見せた。

 素人目に見ても、銀色の皮と朱色の身の対比も鮮やかな逸品であった。

 然るに大成は感嘆の情を抱く事も無く、ましてや垂涎すいぜんの気色を覗かせる事もせずに、ただ角のある視線を鼻先に差し出された鮭とばに送った。こんな代物を未だにこしらえて裏で流してる連中もいるんだな、と大成は間近で目にした加工食品を実に煩わしげに見遣ったのであった。

「何だい、こないだはめしの事で愚痴ってたってのに釣れねえなぁ……」

 大前田は渋面を作ると、差し出した鮭とばを室内の明かりに照らして見遣る。

「保存状態は悪くないんだぜぇ、これでも。むしろ旨味が増して醸造されてるっつってもいいかも知んない」

 そう言うと、大前田は朱に色付く肉筋の端に前歯を突き立てた。

「たまにゃこういう形で英気を養っとかないと。来る日も来る日も工業製品みたいな食いもんばっか機械的に食ってると、心がどんどん擦り減っちゃうぞ」

「寿命が擦り減るよかましでしょ」

 目の前で咀嚼音を撒き散らしながら悠然とさとして来る中年男へ、青年は億劫そうに切り返した。

「幾ら献立を変えたいからって、今日日汚染されてない肉や魚も無いんすから。そりゃ、戦前に作られた缶詰とかだったら頂きますけど、そういうのはちょっとねぇ……」

「いやいや、ちょっとばかしの汚染で人間そう簡単に死ぬこたぁ無い」

「そっちこそ、こないだと言ってる事が違うでしょうが……」

 堂々と言ってのけた大前田へ、大成は細めた目を向ける。

 つい先週は外の空気は体に良くないだのとあれこれ文句を垂れていた癖に、同じ風土で生み出された食べ物は嬉々として口に放り込む。行動が矛盾していると言うより、結局の所、この男は自分で決めた価値基準こそが全てであり、他を敢えて顧みるような真似は最初からしないのだろう。

 良く言えば粋人すいじん、悪く言えばただの偏屈である。

 大成はもっともらしく欠伸あくびを漏らすのと一緒に、その面倒な偏屈中年から視線を外した。

「大体そんな物わざわざ注文して、裏社会に余計な金を流す結果に繋がってんじゃないっすか? 『十三階送り』を増やす手伝いなんざ御免被りますよ?」

 『十三階』。

 それは『施設』の最下層を指すと同時に、『戦後』の世界にいて最も隔絶された領域を示す隠語でもあった。

 『施設』へ休眠に訪れる収容者に特に区分けは為されていないが、只一つ、最下層には受刑者のみが収容され、期限の設けられていない眠りに就かされている区画が存在する。『戦後』の世界にいては受刑者を養えるだけの余裕は社会に存在せず、殺人等の特に重大な犯罪を犯した者達は無期限の冬眠刑に処せられたのだった。

 この為、地下最深部の区画は普段は封鎖されており、『墓守』ら関係者からは『十三階』、若しくは『氷地獄コキュートス』の通称で呼ばれている。

 人道的見地から、又は重度の社会不適合者こそ開墾作業などに従事させて周囲への貢献を行なわせるべきだとの見解から、そうした処置に対する不満も表れたものの、結局は食糧の余裕が絶対的に欠けている点、四六時中の監視監督に人手を割けない点が考慮され、『施設』の最下層に罪人を『封印』する処置は今も尚続いている。

 もっともこれが一種の見せしめ効果を発揮し、『戦後』の世界の犯罪発生率をそれまでよりも低く抑えているという側面もあったのだった。

「おぉいおいおい、人を薬中みたく言うなよぉ」

 とまれ、今度はむっとした口振りで、向かいの席から大前田は反駁はんばくした。

「ヤクザとかマフィアとかは関係無いと思うぜぇ。憶測だが、こういうのはやっぱ、昔気質かたぎの漁師とか職人とかが使命感や責任感を持って作ってると思う訳よ。儲けとかはこの際脇に置いといて」

 大前田はつままんだ鮭とばの先端でテーブル向こうの大成を指しながら、何やら気炎を上げて推論を述べた。

「これまでの歴史や文化や伝統を絶やしちゃなんねえと思う昔ながらの職人が、静かな情熱を込めて、それこそ懸命に灯火を繋ぐ思いで作ってんだと思うなあ、こういう味のある食い物ってのは」

 一方で、大成はむずがゆそうに頬を引き攣らせた。

 変な所でロマンチストなんだよな、と彼は内心で呆れていたのだった。

 大体そんな理屈で語るのなら、むしろ時代の変化に順応出来ない、若しくはしたくない昔気質の職人連中が、鬱憤晴らしに行なっているという線の方が余程濃厚なのではないだろうか。無論、それぞれに小遣い稼ぎも兼ねて。

「だとしても今時分、食い物絡みのトラブルは後が怖いっすよ。去年だったか一昨年だったか忘れたけども、確か他所で問題になったじゃないすか。傷んだ卵使ってオムレツ作ったら『施設』内で集団食中毒が発生したとかで、注意喚起の周知がうちにも来てたでしょ。その前も、やっぱどっかの海沿いの地域で牡蛎かき取って食ったら皆ダウンしちゃったとか何とか……」

 大成は首を少し傾《かし》いで、熱弁を振るう大前田を見つめる。

「汚染の度合いもそうですけど、昔みたいにきちんとした衛生管理が為されてない状況でみだりに物を口に入れる気にゃなれませんね」

「つまんねえのぉ……」

 摘まんだ鮭とばを口へ運びながら、大前田はひがむようにぼやいた。

 そうしてまた忙しなく顎を動かす相手を、大成はいささか疲れたような面持ちで眺め遣っていた。

 何事も君子危うきに近寄らずだよ、と内心で雑に言い捨てながら。

 緩やかな音楽が流れる休憩室内に欠伸の音がまた漂った。



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