どれだけの時を経た末の事であったろうか。
それが起こるべくして起こった事なのか、それともただの偶然に過ぎなかったのかは定かではない。だが彼がふと顔を上げた時、荒廃した街並みの片隅に、確かに『彼女』の姿は在ったのであった。
即ち、白い衣装を身に纏った一人の少女の立ち姿が。
大成が咄嗟の事に目を見張った先で、その少女もまた不意に出くわした見知らぬ人の姿に対して戸惑いと驚きとを面に表した。
距離にすれば実に五メートルも隔ててはいないだろう。周囲に人音は無く、絶えず鳴り響く蝉時雨を除いては頭上を時折通り過ぎる鳥の囀りが降って来るのみである。
場を濁らせるものが何も無い、澄んだ空気を湛えた廃墟の只中で、一対の人影は暫し黙して見つめ合っていた。
それでもやがての末に、大成は漸くにして邂逅を果たした相手へと呼び掛ける。
「やあ」
何とも気軽な口調の、周囲の景観に対して場違いですらある挨拶が、白い服を纏った少女へと向けられた。
「どうも。いい天気だね。そっちも散歩中?」
ありふれた呼び掛けの後を、蝉のけたたましい声が塗り潰した。
大成はじっと相手を見つめた。
変に及び腰であったり、妙に親しげであったりすれば向こうの警戒を招く恐れがある。ここは既知の間柄であるかのように、自然体で接した方が却って引かれずに済むのではないかと彼は考えたのであった。
先方の与り知らぬ所とは言え、大成からすれば確かに既知ではあったのだから。
「この辺りは何も無いだろう? 俺も時々こうして外を歩き回ってるんだけども、結局広がってんのは石ころばかりだ。せめて花でも植えときゃいいものを、ほったらかしの酷い有様さ。この場所にはもう値打ちが無いから、今は構ってられないからって、たったそれだけの事で切り捨てられたんだ。今と昔の両方に蓋をするみたいに」
『墓守』の青年が一人で言葉を紡ぐ向かいで、白昼を彷徨う亡霊の如き少女は何の素振りを覗かせる事もしなかった。表情に乏しい彼女の前で、大成は喋りながらも相手を注意深く観察した。
前方からでははっきりと判らないが、髪は腰の辺りまで伸びているだろうか。背丈や体格から察するに、年の頃は十代の半ば程であると推察される。
弟と大体同じぐらいか、と大成は双眸に別の光を過ぎらせた。
それも束の間、彼は現に目の前に立つ名も知れぬ少女へ改めて意識を向ける。瓦礫の隙間から、それこそ砕けたビルの壁から今しがた生えて来たかのような錯覚すら抱かせる物言わぬ相手を、大成は双眸に収め続けた。
「あんたの姿、遠くから何度か見掛けた事があるよ。どうして一人でこんな所を出歩いてんの?」
答えとなるべきものは、すぐには返って来なかった。
凡そ予測していた反応に、大成も面持ちを些か固くする。
人当たりがいい幽霊なんてのもそうはいないか、と青年は胸中で呟いた。
然るに一方で、相手の面持ちや目付きに強い警戒や嫌悪の色は今の所浮かんではいない事を、彼は確認したのであった。一人きりで街を彷徨っている所からして、自分以外の人間を耐え難い不快感を生む不俱戴天の存在であるかのように見做しているのかも知れないと邪推もしたが、他者へ向けたそこまでの強い拒絶感は、現実に目の前に立つ少女からは滲み出ていなかった。
ならばもう少し、まだもう少しは猶予と呼べるものが残されているのかも知れない。
大成は今一度口を開く。
「俺はこの場所に来ると落ち着く……いや、別に落ち着きはしないかな。ただ何て言うか、何となく魅かれる時があるんだ。他所にいても、気にしないでいても、何となくここへ足が向く時があるんだよ」
少女が、微かに瞳を動かした。
さながら夜空の奥深くに埋もれていた小さな星が、宵の深まるにつれてごく弱い瞬きを発するように。
瓦礫だけを間に置いて、砕けた過去の断片の上で両者は尚も相対する。
互いの名も知らぬ何者かへと、それぞれに眼差しを据えながら。
「昔を思い出して辛いってのも確かにあるんだけど、でも、それだけじゃないんだよな。壊れたものでも自分の一部って言うか、ずっと目を逸らし続ける事も出来ないんだよ。変な話だけど……」
強調するでもない大成の言葉に、少女はやはり反応を遣す事はしなかった。
『彼女』はただ目の前に立っている。
それが全てであった。
この少女が何故ここに居るのか、何を目的として人通りの絶えた街並みを徘徊しているのかは定かではないが、或いはこちらを何らかの『同類』だと既に見做しているのだろうか。
とまれ、この時の大成に叶う事は、ただ呼び掛ける事のみであった。
「俺はこの近くに住んでる園田って言うんだけど、あんたは?」
数瞬の間があった。
「……なみこ……」
少女がぽつりと発した言葉を耳に入れた途端、しかし大成は憮然として眉根を寄せた。
「おいおい、『何よ』って、何もそんな風に言う事無いだろ?」
「南海子」
先程よりも幾分強い口調で、少女は大成へと告げた。
大成が一瞬だけきょとんとした面持ちを浮かべる。
空を行く鳥の影が、両者の間をさっと通り過ぎた。
「……ああ、ナミコね……」
そこで青年も面皮から漸く余計な力を抜いたのであった。
「南海子、か……」
夏の眩い日差しが、瓦礫散らばる砕けた街を白く染め上げる。
その中で佇む二人の影を、朽ちた大地に刻み込むようにして。
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