自分がナイフに刺されたことを認識したのは、それからすぐのことだ。
すぐと言っても、俺にはそれが、何秒も、何分も先に起こった出来事にも感じられた。
…ああ、死ぬんだ…
って、思った。
きっとその感覚は、自分自身が予期していないところからやってきた。
感情はなかった。
やばいとか、痛いとか、目の前の出来事に対する焦りは、不思議となかった。
男の肩を掴んだところまではあった。
焦りっていうか、“なんとかしなきゃ”、っていうか。
それがどういう感情だったのかは、自分でもよくわからない。
少なくとも、焦ってたのは間違いなかった。
掴みどころのない不安だけがそこにあった。
胸の奥が、ぎゅっと押さえつけられるような感じだった。
髪の毛をぐいっと引っ張られるみたいな?
それでいて…
胸にナイフが突き刺さってる。
息ができなくなった。
胸に突き立てられたそれを見た時、言いようもない悪寒が、背筋を襲った。
起こってることを理解するのに、時間は必要なかった。
…いや、多分、何秒かは経っていた。
目まぐるしいほどの慌ただしさが、意識の隙間を縫うように襲ってきていた。
わけがわからなかった。
反面、“何が起こってるのか”は、すぐに認識できた。
ただそれに対する「言葉」は、すぐには見つからなかった。
言葉も、それに対する印象でさえも。
透けていくような時間があって、足元から、何かが逃げ出していく感覚があって…
声を発することもできなかった。
気がついたら、天井を向いてた。
世界が“下から”這い上がってきていた。
グァーッと視界が歪んで、バチバチッと何かが弾けた。
だんだんと苦しくなる自分がいた。
目の奥が熱い。
思うように力が入らない。
(…嘘だろ?)
必死にナイフの柄を持った。
ほとんど無意識だった。
無意識のうちに、刺さったナイフの場所を見ていた。
Tシャツが赤く染まっていく。
全身から、汗が引いていく。
(…俺は、このまま…)
どんな状況に陥ってるかを、自分なりに解釈しようとしてた。
どうすることもできないのはわかってた。
だって、“刺さって”たんだ。
信じたくはなかった。
夢なんじゃないか?とさえ思えた。
沸騰する感情がそばにあった。
どうにかしなきゃいけないとは思ってた。
『死』
ありありと浮かんだその文字が、確かな「予感」となって現れた。
…ただ、だとしても
ふと、視界に人影が入ったんだ。
天井から落ちてくる蛍光灯の光に、ちょうどそれは重なった。
「サトシ…くん…?」
だれかが俺を呼んでる。
…誰だ?
高くて、聞き覚えのある声で。
優しく撫でるようなその音が、頭の中に響いていた。
はっきりしてるわけじゃなかった。
意識は朦朧としてた。
息の仕方もわからなくなるほど、何が何だかって感じだった。
ぼやける視点の先に、とろけるような甘い香りが掠めた。
この匂い、——どこかで
俺は、目を疑った。
消えそうになる意識の片隅で、あり得ない光景が、視界の中に入ってくる。
赤く染まっていくシャツと、遠ざかっていく景色と。
…天ヶ瀬?
それからすぐのことだった。
鈍い音がしたと同時に、意識が途切れたのは。
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