異世界転移で無双したいっ!

チートなし。少年よ、絶望に染まれ。
朝食ダンゴ
朝食ダンゴ

第1章

公開日時: 2020年11月7日(土) 14:30
文字数:2,059

 目を開くと、そこは戦場だった。

 剣を握る兵士の怒号。

 駆け回る獣の咆哮。

 爆風が大地を抉り、砂塵が宙を舞う。

 飛び交う矢と、炎と、閃光が、曇天を覆いつくさんばかり。

 死闘ひしめく戦場には、苦い土煙の匂いが立ち込めていた。それに混ざるのは、錆びた鉄のような血の臭気だ。

「いきなりかよ……!」

 意気揚々と乗り込んだ異世界。そこは慈悲の介在しない絶望の地。

 緩やかな稜線を描く荒野では、四方が激しい殺し合いで敷き詰められていた。

 戦場の喊声がカイトの身を震わせる。空気はまるで異質だった。全身を鋭い針で突き刺されている気分だ。

「これ、どうすりゃ……」

 ようやく我を取り戻した時、カイトの中に遅すぎる危機感が訪れた。

 何度もシミュレーションを重ねたはずだ。この状況ならこうする。あの状況だったらああする。どんなシチュエーションに放り込まれようと、冷静に対処できると自負していた。

 剣と魔法の世界だ。いきなり戦いに放り込まれることだって覚悟していた。

「なにか、チートは」

 実際はどうだ。その手に力はなく。着のみ着ままの学生服。

 猛烈な感情と脅威が満ちるこの場で、カイトはただただ呆然と立ち尽くすしかない。知らず、呼吸は荒くなっていた。

 肌が焼けるように熱いのは、戦場の殺気にあてられているせいか。

 病的なまでに息苦しいのは、張り詰めた空気が肺を引き裂こうとしているからかもしれない。

 風切り音を引いて飛来した一閃の輝きが、カイトの頬を掠めていった。一瞬走った熱さは、すぐにひりつくような痛みに変わる。無様に腰を抜かしてしまったのも仕方のないことだ。平和な日本で生まれ育った男子高校生が、容赦ない殺し合いの中で平静でいられるはずがない。

 尻もちをついて目線が下がると、息絶えた兵士の死骸が目に入る。

「ひっ!」

 思わず喉が引き攣った。

 目の前の戦場に、想像していた華やかさは欠片もない。人間と闇色の獣とが、狂ったように叫び、殺し合うだけ。

 人間の兵士達は剣や槍といった武器を用いて、獰猛な獣の爪牙に対抗している。

 その上空では真っ黒な飛竜や怪鳥が飛び交い、制空権を支配していた。

 最前線の真っ只中。

 息を吸おうとして、カイトは激しく咳込んだ。口内と喉の奥がヤスリでもかけられたみたいにざらついて、満足に呼吸もできない。

 苦しみに追い打ちをかけるがごとく、すぐ隣を巨獣が駆け抜けていった。軽石のように弾き飛ばされたカイトは、強かに地に叩きつけられて鈍い衝撃に喘ぐ。

「おい! 大丈夫か!」

 近くの兵士が駆けつけてくれたが、答える余裕はない。酸の海に放り出された気分だ。

 皮膚の至る所が爛れ、鼻腔にはつんとした痛みを感じ、目から涙が溢れ出す。

「いかん、マナ中毒だ。誰かこいつを後方へ運べ!」

 兵士が叫ぶと、軽鎧を纏った男二人がカイトを抱え上げた。そのまま引き摺られるように運ばれていく。カイトは苦悶の声で呻くが、彼らを振りほどく気はなかった。少なくとも彼らが自分を助けようとしていることは理解できたからだ。

 とにかく一刻も早く、こんなところから逃げ出したい一心であった。

 命からがら、とはこういうことを言うのだろうか。

 少しずつ、戦の響きが離れていく。

 視界を覆う涙を拭いたかった。自分は今どうなっているのかもわからない。とりあえずは、助かったのか。

 否、現実は甘くない。

 飛来した火炎の砲弾が至近に着弾し、激しい爆風を巻き起こす。カイトを抱える兵士もろとも、爆風に煽られて地に転がった。

 だめだ。

 早く逃げなければ。

 死んでしまう。

 殺されてしまう。

 わかっているのに、激痛と息苦しさが力を奪う。立ち上がるのも億劫だ。

 溢れる涙と鼻水に血が混じっていた。どれだけ空気を求めても、煙を吸い込んでいるみたいに苦しくなるだけ。

 脳裏を過ったのは、死の一文字。

 ちょっと待ってくれ。これは流石に夢だろう。夢に違いない。夢ならば覚めてくれ。

 おかしいじゃないか。やっと異世界に来れたんだ。

 だったら、もっとちゃんと戦えるはずだ。

 無敵とは言わないまでも、それなりの力があって、美少女と出会って、仲良くなったりして。

「こんなはずじゃない……こんなはずじゃ、ないんだ……!」

 こんなことがあってたまるか。

 神でも仏でも、悪魔でも魔王でもいい。

「助けて……くれ……」

 願いが聞き届けられることはない。

 前線を突破した闇色の獣が一直線に向かってくるのが見えた。光のない瞳には、何が映っているのだろう。眼前に迫るのは、大きく裂けた口から覗く涎に塗れた鋭利な牙。

 焦燥。嫌悪。恐怖。

 叫ぶことすら叶わない。

「何をやっている! 逃げろ!」

 誰かが勝手なことを言っている。

 無理だ。できない。

 痛いんだ。苦しいんだ。

 こんなに辛い思いをしているというのに。

 トラックに轢かれて、一思いに死んだ方がましだった。

 全てを諦めて、カイトは固く目を瞑る。

 死は間近。

 まもなく訪れた激しい衝撃が、カイトの意識を消し飛ばした。

 これは夢でも妄想でもない。

 ファンタジーじみた異世界に、厳然と横たわる現実である。

「くそっ! 衛生兵! 早くしろ!」

 耳元で聞こえているはずの大声も、遠い彼方の響きであった。

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