異世界転移で無双したいっ!

チートなし。少年よ、絶望に染まれ。
朝食ダンゴ
朝食ダンゴ

第3章

公開日時: 2020年11月7日(土) 14:40
文字数:9,420

 カイトの意識は、停電から復旧した照明のように突如として覚醒した。

 ぼやけた視界。混濁した思考。

 それらがはっきりしてくると、喉の渇きが小さな咳を誘い出す。

 古ぼけた梁と天井。布団と呼ぶにはあまりにも頼りない布きれ。背中から伝わるベッドの硬さに少しばかりの圧迫感を覚える。

「まだ、生きてる」

 思いの外しっかりとした声が出た。今度こそ間違いなく死んだと思ったが、どうにも死神にはひどく嫌われているらしい。

 彷徨う視界に映るのは年季の入った木造の壁。大きな窓からは清々しい日光が差し込んでいる。

「ここは……」

 広々とした部屋には何十ものベッドが等間隔で並んでおり、負傷した男達でいっぱいだった。包帯でぐるぐる巻きにされた者。呻き声を漏らす者。ぼうっと天井を眺めている者。怪我の話題で談笑している者。年齢も、負傷の度合いも様々だ。

「気がついたか」

 足元で声。

 目を向けると、浅黒い肌をした長身の青年が太い腕を組んでカイトを見下ろしていた。

「調子はどうだ。どこか痛んだり、違和感があったりするか?」

 尋ねられて、カイトは自分の身体に意識を向ける。

 多少の倦怠感はあるが、別段気になる部位はない。指先はちゃんと動くし、握力もしっかりある。視覚や聴覚もはっきりとしていて、むしろ好調とさえいえた。

 体を起こしてみる。背中に多少の痛みを感じたのは、硬いベッドで寝ていたせいだ。白い貫頭衣に包まれた五体は、出血も打撲もなくきれいな状態である。

 それを鋭い目つきで確認した青年は、カイトの呆けた顔を見て吐息を漏らした。

「傷痕もなく元通りとは。この目で見ても、にわかには信じられないな」

 カイトは何度か部屋を見渡して、ようやく状況を理解した。

 頭が働くようになってくると、森の中での記憶が徐々に蘇る。

 魔獣の咆哮。兵士達の死に様。初めて握った剣の重みと、戦いの恐怖、痛み、高揚。

 そして、ソーニャとの交わりと、全身が砕け散る感覚。

 夢じゃない。甘美な快感も、おぞましい激痛も、確かに体が覚えている。

 思わず自分を抱きしめる。体の芯が凍り付き、力んだ全身が小刻みに震えていた。

「いま君が感じているのは、生き残った者の特権だ。余すことなく味わっておけ」

 青年はカイトから目を逸らし、部屋の負傷者たちを見渡す。

「じきに慣れる」

 そんな言葉は耳に届かない。

 束の間の睡眠は、カイトに普段の感性を取り戻させていた。現代日本における男子高校生の常識的な精神は、無慈悲な殺し合いを目の当たりにして平静を保てるほど強くない。 

「俺は」

 カイトは極度の興奮状態にあった。奇声をあげたり暴れたりには至らずとも、呼気は乱れ目は虚空を泳いでいる。

 同時に、自分の中に冷静な部分があることもまた自覚していた。すんでのところで心を支えているのは、妹との約束を守ったという自負、矜持であった。

 負けてしまった。死にかけもした。

 けれど逃げなかった。勇気を振り絞り、敵に立ち向かった。

「ああそうだ。俺は、ちゃんと戦った」

 今のカイトにとっては、自身の行動だけが確固たる誇りであった。

 やがて震えは収まり、呼吸も整ってくる。

 深呼吸を一つ。カイトは傍らの青年を見上げた。

「えっと……」

 あなたは誰で、ここはどこで、果たして自分はどうなったのか。

 そんなカイトの疑問を察して、青年が口を開く。

「デュールだ。クディカ将軍の副官を務めている」

 二十代半ばくらいだろうか。精悍で生真面目な顔つきからは、力強い軍人然とした印象を受ける。

「ここはデルニエールの療養所。モルディック砦から撤退した負傷兵達が治療を受けている。フューディメイム卿の計らいで、軍の人間でない君も同じくな」

 デュールの表情は固く、口調は淡々としている。

「あの方に、感謝を忘れないように」

 正直なところ、そんな気にはなれなかった。助かったはいいが、また酷な扱いを受けるのはまっぴらである。この世界の軍人からは敵意を向けられた記憶しかない。スパイ容疑をかけられ、殴られ投獄され、挙句の果てには殺されそうにもなった。

 彼らは信用に値しない。ここで安心するなどもっての他だ。

「さぁ、目が覚めたらベッドを空けるんだ。それを使うべき者が順番を待っている」

「空けろって言われても」

「君には行くべきところがある。一緒に来てもらうぞ」

「今からですか? 起きたばかりだってのに……」

「甘えたことを言うんじゃない。君はもう怪我人じゃないんだ」

 デュールは背を向けると一言「ついてこい」とだけ残して歩き出した。

 ついていく義理も必要も感じなかったが、従わなければ後が怖そうだ。カイトは渋々ベッドから下りると、心もとない貫頭衣のまま、床に置いてあったぶかぶかのサンダルを履いてデュールを追いかけた。

 部屋を出て廊下を歩く。回廊の長さや幅、窓から見える景色からして、この療養所がそれなりに大きな建物だということがわかる。面積だけでいえば高校の校舎一棟に相当するだろうか。どことなくヨーロピアンな風情を思わせる木造の建物だが、建築様式に詳しくないカイトには確かなことはわからない。思い浮かぶのは、なんとなくファンタジーな趣がある、という拙い感想だけだった。

「療養所が珍しいか?」

 よほどキョロキョロしていたのだろう。デュールが前を向いたまま尋ねてくる。

「まぁ、すこしは」

 そもそもカイトにとってはこの世界の全てが物珍しい。アニメやゲームで見るのと、実際に目にするのとでは臨場感が桁違いだ。文字通り、遠い異国の地に来たような気分である。

「どこに向かってるんです?」

「すぐわかる」

 もったいぶらず教えてくれたっていいじゃないか。という言葉は喉の奥に押し込んだ。

 間もなく目的地に到着する。扉の前に二人の兵士が立っていた。

 兵士らはデュールの姿を見とめると、足を揃えて右手を左肩に当てた。この国における敬礼の作法だろうか。

「ご苦労」

 デュールが頷くと、兵士らは機敏な所作で元の姿勢に戻る。彼らは表情こそ変えなかったが、わかりやすい好奇の視線をカイトに注いでいた。背が高く頑強な体つきの兵士の目に些か以上の威圧感を覚え、カイトは小さく肩を竦ませた。

 緊張するカイトをよそに、デュールは扉をノックする。

「デュールです。例の男を連れて参りました」

「入れ」

 扉の奥から聞こえてきた声に、カイトはぎょっとした。

 あの女将軍の声だ。剣を突きつけられた時のことを思い出して、思わず首筋を押さえる。

「失礼します」

 扉を開いたデュールが振り返り、カイトに入室を促す。

 正直入りたくないが、しょうがない。カイトは渋々デュールの後に続いた。

 部屋に入ってまず目についたのは、大きなベッドの上のクディカであった。カイトと同じ貫頭衣。四肢に巻きつけられた添木や包帯が、彼女の重症を物語っている。頭部や片目までに包帯が巻かれており、ところどころ血が滲んでいるのが非常に痛々しい。

「デュール、ご苦労だった。適当にかけていい」

「はっ」

 片隅のイスに腰を下ろしたデュールを横目に、カイトは手持無沙汰だった。

 クディカの傍ら。簡素な丸椅子に、リーティアがゆったりと腰かけている。彼女は柔和な笑みで眼鏡の弦をくいと上げると、手のひらでベッドの脇を指した。

「カイトさん。どうぞこちらへ」

 言われるがまま、カイトは躊躇いがちに二人に歩み寄った。視界の端に小柄な少女の姿があるが、気にする余裕はない。

「ふむ」

 クディカの碧い眼が、カイトの全身を隈なく観察する。負傷していると言え、その眼光は相変わらず鋭く、カイトの居心地を悪くさせる。

「とてもではないが体が潰れていたようには見えんな。たった一晩ですべて治ったというのか?」

 カイトにとっても疑問だった。思い出したくもないが、確かに巨人に握り潰されたはずだ。今はそれが嘘のように元通りになっている。

「今度こそ答えてもらうぞ。貴様が一体何者なのか」

 部屋の視線はカイトに集中していた。クディカは厳しく。リーティアは見守るように。デュールは淡々と。少女は戸惑いを湛えて。

 すぐには口を開けなかった。異世界から来たことを言うべきか。言えばどんな目に遭うか。自分は今どういった立場にいるのか。まったくわからない。

 だが、考えても仕方のないことだ。この場の雰囲気からして、曖昧な答えを許してはくれないだろう。

 しばし沈黙の後、カイトは腹を括った。

「俺は」

 それでも、やはり言いにくい。

 再びの静寂。誰しもが口を噤み、次の言葉を待っていた。

「俺は、この世界の人間じゃありません。こことはまったく別の……なんていうか、国も星も全然違う。つまり、その……異世界からやってきました」

 努めて平静に、真剣味を帯びた声で言い切った。

 ああ。やっぱり言うんじゃなかった。

 カイトの後に続く言葉はない。訪れた神妙な空気。いたたまれないにも程がある。

「それだけか?」

 しばらくの間があって、クディカがようやく口を開いた。

「えっと」

「言うべきことはそれだけか、と聞いている」

 厳しい物言い。けれど、思った通りの反応だ。

 無論、最初から信じてもらえるとは思っていない。だからこそ困惑せずに済んだ。

「嘘は言ってません。俺がわかることはそれだけです」

 カイトの堂々とした態度は、モルディック砦で問い詰められた時とは大違いだった。

 クディカはリーティアと目を合わせる。二人はそれだけで意思疎通を終えて、再びカイトに向き直った。

「あの戦場にいたのはどうしてだ」

「この世界に来た時、最初にいた場所があそこだったんです」

「するとなにか。貴様は戦場のど真ん中に突如湧いて出たというのか?」

「そうなります」

「それで、右も左も分からずマナ中毒になったと」

「はい」

「どうしてそれをあの時言わなかった」

 絶え間ない質問攻めに、次第にカイトの表情も険しくなってくる。

「言えば信じてくれたんですか? 悪いけど、そんな風には思えなかった」

 語気を強めたカイトにも、クディカは眉一つ動かさない。

「確かにそうだ。そんな荒唐無稽なことを信じる馬鹿がどこにいる。あの時の私なら間違いなくそう言っていただろうな」

 やっぱり。

 この世界には異世界からの訪問者などいない。そんな前例はないのだ。

 カイトの落胆とは裏腹に、クディカが続けたのは予想外の言葉だった。

「だが今は、お前の言葉を信じよう。カイト・イセ」

 目を閉じて吐息を漏らすクディカ。少し気が抜けたようで、研ぎ澄まされた刃のようだった雰囲気がふっと和らいだ。

 思わぬ反応に、寄っていたカイトの眉間が開く。

 どういう風の吹き回しだろうか。

「意外か?」

「そりゃあ、自分でも突拍子もないことを言っている自覚はありますから」

「ところがそうでもない。いや、異世界云々はその通りだが、お前の体質を説明するにはそれくらいでなくては納得できないのも事実だ」

「体質?」

 カイトの疑問に、今度はリーティアが言葉を紡いだ。

「あなたには魔力がないとお話ししたのを覚えていますか? それに伴ってマナへの耐性が欠如しているということも。それは、魔法の影響を誰よりも強く受けるということに他なりません。攻撃魔法には極めて弱く、覚えたての子どもが放つようなかすかな威力でも致命傷になるでしょう。裏を返せば、治癒魔法の恩恵を余すことなく享けられるということでもあります」

 そういえば、ソーニャがそんなことを言っていたような気がする。ちょっとした攻撃魔法で消し飛ぶだのなんだの。

「お前が五体満足でいられるのも、マナへの耐性がない故だ。私の姿を見ろ。同じリーティアの治癒を受けた身でも、治り方に大きく差があるだろう」

 確かにそうだ。傷一つないカイトに比べて、クディカの負傷はあまりにも痛々しい。

 ここでやっと、カイトは自分がリーティアに助けられたことを悟った。ソーニャに握り潰されてからの記憶はないが、それくらいは状況から察することができる。

 二度も命を救われたとなれば、いくら酷い仕打ちを受けた身であっても、まったく感謝しないわけにはいかなかった。

 だが果たして、助かってよかったのだろうか。あのまま死んでいた方が楽だったんじゃないか。カイトの中に残っていたネガティブな思考が蘇り、即座に消えてなくなる。

 苦しみの渦中にいる間はそんな気持ちにもなるが、いざ危機を脱してみれば助かってよかったと安堵する自分がいるのだ。

「歴史上、人に限らず魔力を持たない生物が存在したという記録はない。そうでなくともタリスマンなしでは呼吸もままならないお前が、今までどうやって生きてきたかという疑問もある。異世界からやってきたというのも頷けん話ではない」

 クディカに言われ、カイトは胸のタリスマンを握る。これが失われなかったことはまさしく幸運であった。

「それだけではないぞ。というより、こちらの方が重要なのだが」

 そう前置きして、クディカは咳払いを漏らす。

「お前は、我が軍の兵を命がけで守ってくれた。たった一人であの四神将に立ち向かった勇者だ。そんな男の言葉を疑うほど、私は愚かではないつもりだ」

 鼓動が一つ、大きく脈打ち、カイトは深く息を吸い込んだ。

「勇者?」

 少なくともカイトにとって、それは最大の賛辞であった。

「俺が……勇者、ですか」

 手が震える。胸に渦巻くのは得体の知れない感情。

 嬉しいのか、悲しいのか。わからないが、何故か泣きそうだった。

「そうだ、胸を張れ。お前は確かに一つの命を救ったのだ。勇者と呼ばずにしてなんという」

 その称号は、力や役割に与えられるものではない。

 自身の中に眠る勇気を、行動をもって示した者のみが得る勲章である。

 カイトが剣を取ったのは決して勇気を示したかったからではない。妹との約束を守るためには、自身の臆病に打ち勝つしかなかったからだ。

 自ら苦難の中にありながら、他人の為に命を賭ける。

 その強き決意が、今の結果をもたらした。

「勇者。勇者か」

 カイトは噛み締めるように呟く。

 もったいない評価だ。カイトが思い描く理想の勇者像には程遠い。勇者と言えば、圧倒的な力で敵を蹴散らす一騎当千の猛者であるべきだろうに。

「ヘイス・ホーネン。ここへ」

「は、はいっ!」

 クディカに呼ばれ、部屋の片隅にいた少女が口を開いた。今まで窺うように顎を引いていた彼女の表情が一気に緊張する。

 彼女はおずおずと前に進み出ると、じっとカイトを見上げた。栗色の大きな瞳はこころなしか潤んでいるようで、カイトを動揺させる。

「ほら、大丈夫」

 なかなか切り出せないヘイスの両肩を、リーティアがぽんと叩いた。

「あ、あの」

 薄い胸の前で両手を組んで躊躇っていたヘイスは、意を決したようにきゅっと唇を引き結び、短い髪を振り回すほどの勢いで深く頭を下げた。

「助けて下さって、本当にありがとうございましたっ!」

 一瞬ばかり戸惑ったカイトであったが、彼女があの若い兵士だったことをすぐに理解した。

「女の子だったのか……」

 戦場では鎧兜に身を包んでいたせいで分からなかった。幸い、顔を上げたヘイスはカイトの無礼な呟きに気付かなかったようだ。

 栗色の瞳と、同色の髪。短く切り揃えられた髪型のせいか、どことなく中性的な印象を受ける。身長はカイトより頭一つ分以上低い。

 カイトの脳裏をよぎるのは亡き妹の面影だ。ヘイスとは似ても似つかぬ顔立ちではあるが、大きな栗色の瞳だけは記憶の中の妹と同じだった。

「よかった。ちゃんと助かったんだな」

 カイトの頬が緩む。これが喜ばずにいられようか。

「はいっ。ホーネンの家名にかけて、このご恩は一生忘れません!」

「はは。大袈裟だな」

 小さな拳を握り締めて宣誓するヘイスが微笑ましく、カイトは何気なく彼女の頭に手を置いた。幼き頃は、よくこうして妹の頭を撫でてやったものだ。

 するとどうしたことか。カイトを見上げていたヘイスの顔がみるみるうちに紅潮し、ゆっくりと俯いてしまう。

「あらまぁ」

 両手で口元を隠して驚きの声を漏らすリーティア。

「おいお前っ! 我々の前でよくもそんなことを」

 クディカが血相を変えて身を乗り出し、唾を飛ばしながら声を張った。

 デュールは呆れたように真横を向いている。

「えっと……んん?」

 当のカイトはぽかんと呆ける以外になかった。

 年下の女の子の頭を撫でただけでこんなことになるものだろうか。妹にしてやるのとそう変わらない気もするが。

 とはいえ咎められたように感じたカイトは、小さな頭に乗せていた手を引っ込めた。

 ヘイスは俯いたままだ。

 わざとらしく咳払いをしたクディカが、ベッドの上に座りなおす。

「まったく。手が速いのは結構だが、少しは人目というものを気にしたらどうだ」

 カイトは首を傾げるしかなかった。

「手が速いって……頭を撫でただけじゃないですか」

 何気なく口にした一言に、クディカは信じられないといった風に目を大きくした。

 幼馴染の見慣れぬ表情を見たリーティアが、くすりと品のある笑みを漏らした。

「カイトさん。あなたのいた世界ではどうかわかりませんが、少なくとも私達の文化圏において異性の頭や髪の毛を触れるということは、たいへん恥ずかしい行為なのですよ」

「恥ずかしい?」

 なるほど。文化の違いというものか。とはいえ、カイトにいまいちピンとこない。

「具体的にはどんな風に?」

「ええ? そうですわね……」

 まさかそこを問われるとは思っていなかったのだろう。リーティアは困ったように眉を下げ、クディカに視線を投げた。

「どう思います? クディカ」

「ええいっ。私に振るな!」

 壁と顔を突き合わせたクディカと、気まずそうに眼鏡を押さえるリーティアを交互に見て、カイトはますます訳が分からなくなった。

「一つ例をあげるとすれば」

 見かねたデュールが、部屋の隅から助け舟を出す。

「男が女性の頭に触れるのは、今からお前を抱くぞ、という意思表示だぞ」

「えっ」

 それを聞いてやっと、カイトは事の重大さに思い至った。

 ヘイスが顔を真っ赤にして俯いたのも、クディカとリーティアが言葉を濁したのにも、それなら納得がいく。

「い、いや! 俺は決してそんなつもりじゃ……!」

「わかっている。だが、次からは気を付けることだ。君がどういうつもりだろうと、いらぬ誤解を生むだけだからな」

 デュールはカイトのフォローも忘れなかった。こういうところは男同士だからこそわかる機微だろう。

「ごめんっ。俺そういうの、全然わかってなくて」

「いえ……」

 慌ててヘイスに謝罪するも、彼女は顔を上げてくれない。気を悪くしてしまっただろうか。

「しかし、気安く女の頭を撫でるとは、一体どんな風習なのだ?」

「異世界の、ということになるのでしょうね」

 自己嫌悪でいたたまれなくなったカイトをよそに、クディカとリーティアは談話を続ける。

「それに気になることがもう一つ。カイトさんのヘイスを見る目は、私達に向けられるものとは違います」

「む? そうか? どのあたりが」

「クディカ。そういうところに鈍感だから、行き遅れるのですよ」

「なにを。お前とて同じではないか。自分のことを棚に上げるな」

 ムキになって言い返したクディカには反応せず、リーティアはカイトに柔らかい笑みを向けた。

「カイトさん。あなたから見て、私達二人とヘイス。どういうところが違いますか?」

「そりゃあ」

 質問の意図がわからない。カイトは後頭部をかきながら、三人を見比べる。

「大人と、子ども。で分けられると思うんですけど」

「子ども……」

 当のヘイスは、顔を上げてショックな表情を隠そうともしていなかった。

 この反応を見るに、ヘイスが子どもというのは誤りらしい。幼く見えて、実はそれなりの年齢なのかもしれない。もしそうだとしたら、カイトはものすごく失礼な発言をしたことになる。

「ボク、これでも成人してますっ。今年で十二になったんですっ」

 右手を薄い胸に、左腕は大きく広げて、ヘイスは高い声を張った。

「十二? 二十じゃなくて?」

「十二ですっ」

 なんだ。やっぱり子どもじゃないか。

 と、安堵するのも束の間、カイトは異世界との文化の違いに思いを馳せて腕を組んだ。

 もとの世界でも成人年齢は国によって違っていた。だが、十二歳で成人というのは流石に早すぎるんじゃないか。いや、武家の元服は十代前半でも珍しくなかったようだし、異世界ともなれば十二歳で成人というのもおかしくないのかもしれない。

 現代日本の常識は通用しない。この世界の文化を、そういうものだと受け入れるべきなのだろう。

「ごめん。気を悪くしないでくれ。俺の住んでた国では、成人は二十歳だったんだ。そういう意味では俺だって子どもなんだよ」

「そうなんですか」

 ヘイスはわかっているのかそうでないのか微妙な表情である。

「とりあえず、お前はこの国の常識を学ぶところから始めなければいけないようだな」

 クディカの言う通りだ。しかしながらカイトの頭には、そんなことよりも急いで対処しなければならない懸念があった。

「それよりも、俺のマナ中毒の方をなんとかしないといけないんじゃ」

 自然と胸元のタリスマンに手が行く。これの効能もあと数日。それまでにマナ中毒を抑える方法を探さなければ、死線を乗り越えた意味もない。

「カイトさん。それに関しては後ほど、場を改めてお話しいたしましょう」

「はぁ」

 すぐにでも対策を教えてもらいたかったが、リーティアの言うことなら従おう。もしかしたら、そこまで深刻に考える必要もないのかもしれない。

「デュール殿」

「はっ」

 リーティアに呼びかけられたデュールは、立ち上がって居住まいを正す。

「カイトさんに個室を用意して差し上げてください。それから清潔な服と温かい食事を」

「承知しました」

「ヘイス。カイトさんの身の回りのお世話はあなたに一任します。よろしくお願いしますね」

「はいっ。頑張ります!」

「よろしい」

 頷くリーティアの微笑みを見ていると何故か安心感が生まれる。物腰柔らかな彼女の理知的な美貌は、見ているだけで癒されるようだ。

「カイト。ヘイスはお前をおとぎ話の英雄のように語っていたが……実際どの程度剣を使えるのだ?」

 思わずヘイスを一瞥すると、彼女ははにかみがちに目線を逸らした。具体的にどのように伝えられたのだろう。

「からっきしですよ。剣どころか、包丁だって握ったことありません」

「それでよくソーニャ・コワールの魔獣どもを一掃できたものだ。天賦の才か、あるいはただの幸運か」

 切れ長の碧眼がカイトを射抜く。見定めるような視線。それは確かに将軍の眼光であったが、カイトはもうたじろがない。

「よし。デュール、もう一つ仕事がある」

「なんなりと」

「カイトに剣術を仕込め。私が復帰するまでに使い物になるようにな」

「了解しました。部隊の訓練用装備を与えます」

「ああ、それでいい」

 とんとんと進んでいく話に、カイトはついていくので精一杯だ。驚きの連続で口を挟む隙もない。

 個室をあてがわれるのは良い。服も食事も欲しかったところだ。ヘイスに世話をされるのは少し気が引けるが、助けが必要なのも確かである。

 しかし、剣の訓練とはどういうことか。カイトは軍人ではないし、これからそうなる予定もない。

 自分が剣を握っている姿を想像すると、先日の戦いがフラッシュバックする。カイトからしてみればつい先刻の出来事だ。

「剣か」

 それは無邪気に抱いていた幻想の象徴であり、勇気の一歩を踏み出した証でもある。

「訓練は嫌か?」

「いえ。むしろ望むところですよ」

 自分の弱さも甘さも不甲斐なさも、死ぬほどよくわかった。

 だから、もう二度と逃げない。今、そう決めた。

 強くなるのだ。

 辛い時、誰かの為に戦えるように。

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