城壁から戦場を見下ろすソーンの目には、ただ焦燥だけが滲んでいた。
メイホーン戦死の報は陣営を少なからず動揺させ、士気は下落傾向にある。高い城壁で兵器を運用する兵士達は、飛空戦を行う術士隊が次々と堕とされていく様を目の当たりにしていた。たとえ地上部隊が優勢であったとしても平静ではいられない。
「ひるむなっ! 攻撃を止めるんじゃないっ!」
そのような状況で、ソーンは毅然として命令を出し続けるしかなかった。弱気になった兵達を鼓舞し、高い声を張り上げ、どこに攻撃を集中させるかを指示する。
「これ以上術士隊に犠牲を出すわけにはいかないぞ! 弩砲隊はあの四神将の女を狙って! 対空魔法は適当でいい! 城壁に敵を近づけなければいいんだ!」
頼りない父の代わりに、ソーンはできることを精一杯やっていた。
地上にはジークヴァルドの重騎兵隊に加え、七将軍ハーフェイ・ウィンドリンの援軍も到着している。放っておいてもなんとかなるだろう。
今は飛空戦の援護を優先しなければならない。多くの魔族が取りついてしまったら、いくら頑丈な城壁でも突破されない保証はない。
四神将ソーニャ・コワール率いる魔族の参戦により戦況に動きがあったが、ここにきて両軍は再び拮抗することとなった。
やがて日没が訪れ、疲弊した魔族達は一人また一人と撤退を開始する。
それはソーニャ・コワールも例外ではなく、攻撃側として決定打を欠いたまま戦場を去る選択を強いられたのだった。
傾いた陽光がデルニエールの城壁を赤く染める。
敵の撤退を確認すると、ソーンは糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。
「若様!」
「お気を確かに!」
寄ってきた側近達を、ソーンは手で制す。
「大事ない。すこし疲れただけさ。皆も同じだろう」
デルニエールの次期当主として確固たる自覚を持つ彼であるが、その年齢はわずか十歳。大軍と、十万の民の命を背負って立つには、あまりにも若すぎた。
「お父上は?」
「は。殿下は城内にいらっしゃいます」
「そうか……」
ティミドゥス公は、メイホーンの戦死を目にした途端それまでの意気を失って城の奥に引っ込んでしまっていた。敵が近づけば真っ先に狙われるのは大将だと、劣勢を見て我が身が惜しくなったのだ。
本来であれば大将の存在は兵の士気に大きく影響するものだが、今回はその限りではなかった。ソーンがいたからだ。弱冠十歳の次期当主が、懸命に軍を指揮している。その姿は皆に勇気を与えた。年端もいかぬ公太子が故郷の命運を賭けて戦っているのに、大人の民が気張らなくてどうする。口にはせずとも、誰しもそう思わずにはいられなかった。
「若様もどうか、奥でお休みを。敵はひとまず去りました」
「いや、まずはこちらの被害を把握したい。ジークヴァルド将軍はどこか?」
「ここにおりますぞ」
図ったかのようなタイミングで、ジークヴァルドが城壁に現れた。兜を小脇に抱えて大股で歩く快活さは、戦いの疲れを微塵も感じさせない。
「地上部隊は全て城内へ戻っております。歩兵部隊の損害は百五十ほど。我が重騎兵隊は……申し訳ありませぬ。私を除き、全滅しました」
その報告に、周囲の将兵達は皆一様に口を噤んだ。
ソーンはひととき瞼を落とし、長い鼻息を吐き出す。
「気にするな、というのは無理かもしれないけど。将軍、あなたはよくやったさ」
四神将ルーク・ヴェルーシェの鬼神のごとき強さは、遠目から見ても際立っていた。空の対処で精一杯であったが、ソーンは視界の端に映る一騎討ちをしっかりと目撃していた。
「あなたが生き残ってくれただけで儲けものだ。名将ジークヴァルドは決して、部下の死を無駄にはしない」
「若」
ソーンの言葉で、ジークヴァルドの沈痛な面持ちが多少和らいだ。
「さぁみんな。僕達はなんとか敵を撃退した。あくまで今日のところはだ。今は一息つけるけど、戦いが終わったわけじゃない。だから、改めて気を引き締めよう。またいつ敵が攻めてくるかわからないんだ」
ソーンは掠れた声を精一杯張った。兵士達への激励のつもりであったが、如何せん反応は薄い。
無理もない。皆疲弊しているのだ。ここにいるほとんどは、この戦いの為に徴兵された者達。最初は士気旺盛であっても、長時間の戦闘は彼らの心身を著しく消耗させていた。
こんな状態で、明日も同じように戦うことができるのだろうか。とてもそうは思えない。
能器将軍が率いてきた援軍は頼りになるだろう。だが、彼らに任せきりというわけにもいかない。政治的にも、心情的にも、デルニエールはそこに住む者達が守らねば意味がないのだ。
ソーンは赤く焼けた天を仰ぐ。
四神将の力は強大だ。メイホーンは死に、ジークヴァルドやハーフェイすらも敵わなかった。人間は数と団結を武器にするが、それだけでは四神将を倒すに及ばない。
彼らに対抗するには、こちらにも強大な個の力が必要だ。数も団結も、個の力が活きてこそ輝くのだから。
デルニエール攻防戦初日は、多くが想定外の展開だった。ソーンは頭の中で描いていたシナリオを、もう一度練り直さねばならなかった。
だが、目論見通り進む計画がないわけではない。
この戦いを通して、自ずと民の心はソーンに集まりつつあった。ティミドゥス公が持つのは権威と象徴だけであり、君主としての実がないことを民は見抜いたのだ。
その気付きこそ、ソーンが民衆に求めてやまない革命への第一歩であった。
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