異世界転移で無双したいっ!

チートなし。少年よ、絶望に染まれ。
朝食ダンゴ
朝食ダンゴ

公開日時: 2020年11月7日(土) 14:38
文字数:5,246

 剣を握っていた。

 大地を駆けていた。

 カイトの口から勇敢とはほど遠い雄叫びが轟く。血走らせた目には涙が溜まっていた。

「うぉらぁっ!」

 若い兵士に噛みつく二匹の獣。そのうちの一匹が晒したがら空きの横っ腹を、助走をのせて力一杯蹴り上げる。土嚢を蹴ったみたいだ。悲鳴をあげる脚を叱咤し、歯を食いしばって獣を引き剥がす。

 すぐさまもう一方の首根っこを掴むと、その首筋にショートソードの切っ先をぶち込んだ。固い土を突き刺したような手応え。赤い目がカイトを捉え、何度か明滅し、やがて光を失う。魔獣の顎から力が抜け、兵士の鎧に食い込んでいた牙が離れる。

 脅威を感じたのだろうか。蹴り飛ばされた獣の標的は、カイトに移ったようだ。

 足を使い、魔獣の亡骸から力任せに剣を引き抜いて、迫り来る敵に備える。

「来やがれクソがぁ!」

 もうどうにでもなれ。

 ほとんど捨て身の踏み込みで、カイトは剣を振り下ろす。タイミングよく飛び込んできた獣の頭部に直撃したのは、紛れもなく僥倖だった。だが勢いを殺すには至らない。体当たりをもろに受け、カイトは大きく後ろに吹き飛ばされた。

 地面を転々とし、やっと止まったところで、激しく咳き込んでしまう。問題ない。土煙を吸い込んだだけだ。

 頭部に剣を食い込ませた魔獣はもう動かない。この獣に生命という概念があるかは分からないが、活動を停止しているのは確かだった。

「重てぇな!」

 獣を跳ね除けて立ち上がる。呆気にとられる若い兵士に歩み寄ると、土で汚れた手を差し伸べた。

「立てるか?」

「あ……」

 カイトを見上げる栗色の瞳が、いっぱいの涙で潤んでいた。

「ほら。早く立て」

 この子のことを思えば、ゆっくりと待ってやりたいのはやまやまだ。だが状況がそれを許さない。未だ魔獣は健在で、二人の兵士が必死に戦っている。

 痺れを切らしたカイトは、腕を掴んで強引に引っ張り上げる。立ち上がった兵士のズボンには染みができていた。恐怖で失禁したのだろう。無理もない。若い兵士は頬を染めて染みを押さえて俯いた。

「恥ずかしがってる場合かよ。さっさと逃げろ」

「え? あ、あの……!」

 背を向けたカイトに投げかけられたのは、不安げに震えるか細い声だった。

「どう、するんですか?」

「決まってるだろ」

 転がっていた剣を取るカイトの声に、もう迷いはない。

「戦うんだ」

 他でもない妹との約束だから。

 残り数匹の魔獣を、二人の兵士が相手取っている。彼らは半ば狂乱状態であったが、辛うじてまともな戦いを展開していた。おそらくは歴戦の兵士達なのだろう。お互いを上手くフォローしている。だが、それも長くは続くまい。兵士達に比べ、魔獣の動きは格段に素早く力強い。

 カイトは動き回る魔獣の中から比較的動きの遅いものに目を付けた。無防備に近付きその首筋に剣を突き立てると、魔獣はびくりと身体を震わせて動かなくなる。

 まずはひとつ。

 次だ。兵士とにらみ合いになっている狼に似た獣の胴体に、力一杯の斬撃を浴びせた。刃は胴の真ん中で止まり、そのまま獣は活動を停止する。

 こうなってくると兵士達も異変に気付く。敵の間者だと思っていたカイトが、助太刀をしてくれているのだ。一瞬の混乱を経て、彼らは冷静さを取り戻した。

 これまでの経験から、カイトはあることに気付いていた。魔獣はカイトに反応しない。カイトが魔力を持たないせいかもしれない。一方的に攻撃できるのは実に都合がいい。じっくりと隙を狙い一撃すればいいのだから。

 その考えの通りに、間もなく魔獣は全滅した。

 後には、兵士達の荒い息遣いだけが残る。

 動かなくなった魔獣の亡骸から、闇色の粒子が浮かび上がる。無数の粒子は虚空に溶け、亡骸は乾いた灰へと姿を変えた。

「……よし。案外、なんとかなるもんだな」

 呟いたのはカイト。

 次いで響いたのは、少女の歓声だった。

「すっごーい! ヴォーリスの群を倒しちゃうなんて、なかなか見所あるじゃない」

 事の顛末を傍観していたソーニャは、心底楽しそうに拍手を送っていた。

「けどー」

 その拍手が、ふと止まる。

「なんとかなるっていうのは、違うんじゃない?」

 愛らしい少女の姿。声。仕草。にも拘らず、ソーニャが放つ威圧感は言語を絶する。

 カイトを含め、その場の人間は見えない鎖で縛り付けられたように身動き一つできなくなった。

 兵士の一人が剣を構えたまま、額に冷や汗を垂らす。

「四神将……つくづく運がないな、俺ら」

 その名がどれだけの威力を持つのか、カイトには分からない。だが、この場の戦力で敵う相手でないことは理解できる。

 巨人の手中で気絶するクディカに気付いたもう一人の兵士が、にわかに顔を引き攣らせた。

「あはっ。そうそう。あなた達の大将も、こんなザマだしねー」

 巨人が腕を持ち上げると、クディカの体がだらりと垂れる。

「将軍……! クソッ! 乙女は我らを見放したか……」

 指揮官が敗れたのだ。兵士達の戦意が削がれるのも仕方ない。彼らはじりじりと後退ると、踵を返して逃走を図る。

「ばーか」

 直後、二人の兵士が死んだ。

 カイトには何も見えなかった。感じたのは重たい衝撃だけ。

 振り返った先、巨人の足と大地の間で兵士達が潰れていた。破裂した肉から鮮血が漏れ出し、巨人の足下を赤く染めていく。

「うそだろ……」

 カイトの乾いた声。体は強張り、剣を握る手がガタガタと震えていた。

「逃げれらるワケないでしょーが。あたしを何だと思ってるの」

 ソーニャの真っ赤な瞳が、カイトと若い兵士を捉える。口元は恍惚として歪み、虐殺に見出す快感を隠そうともしていない。

 これは流石に、もう無理だ。

 平和な日本でのうのうと暮らしていた一高校生には、きっとここらが限界なんだ。むしろ数匹倒しただけでも大金星じゃないか。

「死ぬ覚悟はできた?」

 唇に指を当て、可憐なウィンクを送ってくるソーニャ。とても人を殺したばかりの表情とは思えない。魔族とは、かくも恐ろしい生き物だったか。

 最後に残った若い兵士を一瞥する。腰を抜かして尻もちをついていた。せっかく立たせたのに、これでは逃がすことも難しい。

 深呼吸。

 一応、戦ってはみた。結果は見ての通りだが、怯えて死ぬよりマシだろう。

 これなら胸を張って、妹のもとに逝ける。

「――いや」

 ホントにそうか?

 ここで諦めたら、妹は何と言うだろう。よく頑張ったと、よく戦ったと、満足してくれるのか。

「んなわけあるかよ」

 戦うと決めた以上、勝ってこそ意味がある。

「こんなところで死ねるかってんだ」

 生きるんだ。

 たとえ泥の中を這いずり回り、何度挫けそうになったとしても、それが勝利の為なればこそ。

「俺は、まだやれる」

 カイトは今ひとたび剣を構えた。その手はもう、震えていない。

「早く逃げろ」

「え?」

 若い兵士を一瞥し、顎をしゃくる。

「頼むから、生き延びてくれよ」

 約束は最後まで守る。絶対に諦めない。たとえ力及ばずとも、どうせ死ぬなら戦いの中で死んだほうがいい。その方がかっこいいじゃないか。

「ふぅん? 勇気があるのね。その辺で死んでるザコよりよっぽどステキよ、あなた」

 ソーニャはカイトの目をじっと見つめる。彼の目に虚勢の二文字はない。先程までとはまるで別人の、強靭な戦意を宿している。

「いいわ。試してみなさいよ。一秒もったら、褒めてあげる!」

 言い終わるかどうかのタイミングで、巨人が拳を振りかぶった。

 ああ、終わったな。それがカイトの率直な感想である。

 拳の幅はざっと一メートルはあろう。巨人の質量からして、軽自動車に轢かれるくらいの衝撃はありそうだ。あんなものでぶん殴られたら、一体どれくらい痛いのだろうか。

 いや、ちょっと待て。

 たかが軽自動車だ。大型トラックに轢殺されたことを思えば、大したことないんじゃないか。

 数日にわたる極限状態と、フラッシュバックした過去の記憶。そして目の前で起きた残虐な光景と、僅かな勝利の体験。非日常がもたらしたあらゆる出来事が、カイトから常識的な思考回路を奪っていた。

 気分は異常なまでに高揚し、根拠のない万能感に支配されている。

 この時ばかりは、それがカイトの助けとなった。

 死の恐怖を無視して巨人の懐に飛び込む。体格の差が大きすぎる故に、死角もまた大きい。闇色の拳はカイトに触れることなく、固い地面を打ち砕いた。

「おらよ!」

 剣の切っ先を巨人の胴体に突き放つ。意外と柔らかい。刃渡りの半分まで潜り込んだところで、カイトは身の危険を感じて巨人の股の下を転がり抜けた。

 反撃を警戒しての回避行動のつもりだったが、そう上手くはいかない。巨大な足裏がカイトを強かに蹴り飛ばす。

 宙を舞い、木に叩きつけられ、地に落ちる。呼吸ができない。鈍い痛みが全身に染みわたる。右の二の腕と、肋骨の何本かが確実に折れている。もう剣は握れない。

「はは。痛ってぇ」

 渇いた声。それでもカイトは、擦り傷だらけの顔で楽しそうに笑っていた。 

「どうだ? 数秒はもっただろ」

「そーね」

 巨人の上で膝を組むソーニャは、どことなく不満そうだ。

「ちぇー。一発で終わらせるつもりだったのにー」

「そう、上手く……いくかってんだ」

 カイトの息は絶え絶えだった。全身を襲う疲労と苦痛。実感としての死が、ほんのすぐそばに迫っている。

 なのにどうしてか、不思議なほど清々しい気分だ。

「しょーがないわねーもう」

 巨人の手がカイトを掴みあげる。痛みが声となった。持ち上げられたカイトの目線の位置が、ちょうどソーニャと同じ高さになる。

「約束だからね。ちゃんとご褒美をあげるわ。ほら」

 ソーニャに頭を撫でられ、カイトは複雑な気分になった。子どもじゃないんだ。自分より幼げな女の子にそんな褒め方をされても嬉しくない。

 いきなりだった。ソーニャの美貌が、息が触れるくらいの距離まで近付く。手袋に包まれた両手が、カイトの頬を優しく挟み込んだ。

「頑張った子には、サービスしちゃう」

 妖艶な微笑みが見えたのも一瞬。彼女は強引にカイトの唇を奪った。

 当然カイトは驚く。戸惑う。何が起こったかわからない。

 小さな舌が口内を這い回る。余すところなく隅々までを貪るような、それはまるで蹂躙だった。舌と舌が絡み合い、混ざった唾液がお互いの唇を濡らし、凶悪なまでの快感をもたらす。

 ソーニャが漏らす艶めかしい吐息。その一つ一つが興奮を促し、鼓動を加速させる。頭に血が上っている。視界はぼやけ、意識が朦朧とし始めた。

 継続して与えられる悪魔的な快楽。思春期の只中にある初心な少年に抗う術などない。

 徐々に思考は混濁し、快楽に身を委ねてしまいそうになる。

 それがいけなかったのか。

 はっとした。カイトを握る巨人の手に力がこもる。少しずつ、少しずつ。握力は次第に強くなり、胴体が締めあげられていく。

「んんんん!」

 最悪の未来を直感した。唇を塞がれたまま必死にもがいても、巨人の拳はびくともしない。

 骨が軋んでいる。胸腔を圧迫され呼吸ができず、やがて声も出せなくなる。筋肉が硬直して動くことすら叶わなかった。

 こんな状況でも、ソーニャの舌は容赦なく口腔内を這い回る。歯の一本一本をなぞられ、頬の裏をくすぐられ、舌には優しく吸い付かれる。

 そんな淫靡な快楽までも、迫る死の苦痛に塗り潰されていく。

 そして、時は訪れた。 

 骨が砕ける音。内臓が潰れる音。肉が破れる音。自身の中から聞こえた凄惨な響き。遅れて訪れた想像を絶する激痛に、カイトは白目を剥き出した。否、それはもう痛みなどという次元の感覚ではない。自分という存在が圧縮され、すり潰され、バラバラに引き千切られ、何が別のものになってしまったような。裂けた肉から鮮血が溢れ出し、カイトの直下に血だまりを作り出す。絶叫は声にならない。

 この期に及んでもソーニャは唇を離さなかった。重なった口元から血が滴り、美貌を赤く染めてなお、情熱的な口づけは続く。

 もはや快楽はない。あるのはただ死の苦痛のみ。

「はい。おしまい」

 カイトの口から溢れた血をきれいに舐めとって、ソーニャは品のある微笑を湛えた。

 巨人の握力が緩むと、カイトが地に落ちる。ぐしゃぐしゃにひしゃげた身体は、本人の意思とは無関係に痙攣していた。首から下は、もはや人としての原型を留めていない。ところどころ骨を剥き出しにした肉塊でしかなかった。

「どう? 気持ちよかったでしょー? そりゃそーよね。そーに決まってる。こーんなにかわいいあたしと、あーんなにえっちなキスできたんだもん。ほんと幸せ者なんだからー」

 胸元から取り出したハンカチで口元を拭ったソーニャは、呼吸もままならないカイトを見下ろしてくすりと笑いを漏らした。

「あら残念。もう聞こえてないみたい」

 彼女の手から離れたハンカチがひらひらと舞い落ち、カイトの顔面を覆った。面布のつもりだろうか。頼りない呼吸が、血で汚れたハンカチをわずかに動かしている。

「頭を潰して、楽にしてあげなさい」

 無慈悲な死の宣告。

 巨人が拳を振り上げる。狙いは定まり、あとはただ振り下ろすだけ。カイトはそれを見ることすらできない。

「それじゃ、さよーなら」

 無邪気なご挨拶。

 それが、カイトの聞いた最後の声だった。

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