異世界転移で無双したいっ!

チートなし。少年よ、絶望に染まれ。
朝食ダンゴ
朝食ダンゴ

第4章

公開日時: 2020年11月7日(土) 16:13
文字数:8,427

 カイトの目の前には、見上げるほどの段差が切り立っていた。

 あまりに巨大すぎて分かりにくいが、それは台座である。見るからに高級な石で造られた台座の上にはこれまた豪奢な椅子が鎮座しており、金銀宝石が散りばめられたその椅子こそがメック・アデケー王カイン三世の玉座であった。

 王の謁見を待つ最中、カイトは固い表情で周囲を見渡す。

 玉座の間には王家に仕える文官武官が立ち並び、一糸乱れぬ列を形成していた。無言を貫く騎士団がいると思えば、ひそひそと言葉を交わす官僚たちの姿もある。

「緊張していますか?」

 カイトの右隣で、リーティアがにこりと笑っていた。

「そりゃあ……」

 今のカイトの心境を表すのに、緊張という言葉は些か弱すぎる。一国の王に会うだけでも震えが止まらないのに、これから自身が異世界の勇者だと宣言しようとしている。ありえない。これが平静でいられるか。

「堂々としていろ。格好だけでもな」

 左隣のクディカは、純白の鎧姿。腰に長剣を帯びている。

 彼女の怪我はリーティアの治癒魔法によって幾分マシになっていた。鎧を着こめば負傷しているかどうかはほとんどわからない。頭部を集中的に治癒したおかげか、顔面の包帯も外れ、長い金髪も元来の美しさを取り戻していた。

 二人の女性に挟まれているこの状況に、カイトは改めて肩を竦めた。どうして自分が中央なのだろう。役職を考えるなら、クディカがここに立つべきだろうに。

 後方を一瞥する。家臣達の列の端にヘイスの姿がある。彼女は所在なさげに天井を見上げていた。無理もない。ここに通されてからもう三十分以上は経過している。

 この緊張があとどれくらい続くのか。カイトは不満だった。王といっても、会いに来た人間を待たすのはよくないと思う。あるいはその感想自体、現代日本的な考え方なのかもしれないが。

 ふと、ヘイスと目が合った。彼女はカイトに気づくと、嬉しそうに小さく手を振ってくれる。乾燥した心が少しだけ潤った気がした。

「国王陛下。ご光臨!」

 台座の傍らに立つ大臣が、高らかに声をあげた。

 この場に立つ文官武官、もちろんクディカやリーティアも含め全てが、跪いて床に右手をついた。頭を垂れ、左手は腰に。

 カイトも同じ姿勢を取る。事前に教わった王族に対する礼法だ。

 玉座の間に、重厚な金属音が鳴った。がしゃり、がしゃりと断続するのは、全身鎧が動く音。台座に刻まれた階段を上っているのだろう。

 カイトの視界には赤い絨毯しか映っていない。それでも、台座の上に辿り着いたであろう王の威圧感を明確に感じ取っていた。

「表を、あげよ」

 くぐもった男の声。

 カイトは体の芯が震えるような錯覚に陥った。たった一言に、尊貴なる者しか持ち得ぬ厳かな響きが凝縮していたからだ。

 恐る恐る、顔をあげる。

 台座の上。玉座の前に、巨大な甲冑がそびえ立っていた。

 シルエットは分厚く、太く、そして鋭い。真紅を基調とし、金彫りの装飾が施された厳めしい全身鎧。頭部を覆う兜に象られた竜は、今にも灼熱を吐き出しそうな生命の息吹を感じる。

 特に目についたのは、腰に提げた幅広の大剣だ。カイトの身の丈はあろうかという刃渡りがある。あんなものを腰に帯びることができるのも、王の肉体が巨大であるが故だ。彼の背丈は、カイトの倍以上はあった。

 あんな大きな人間が存在するのか。王が放つあまりの威圧感と存在感に、カイトは完全に圧倒されていた。

 純白のマントを背負った王は、ゆっくりと首を動かして家臣団を睥睨する。そして、視線をクディカへと定めた。

「白将軍。此度はご苦労であった」

「はっ!」

 クディカが立ち上がり、敬礼をとる。

「モルディック砦の顛末は聞いている。四神将の小娘にしてやられたと」

「面目次第もございませぬ。砦を失った責任はすべてこの私にあります故、どのような罰も甘んじて受けさせて頂くつもりです」

「よい。砦の陥落はもとより想定していたこと。貴殿は余の命を全うした。罰などあろうものか」

「寛大なお心に感謝いたします。しかしながら……王よりお預かりした数百の兵をも失ってしまいました」

「ならば、死んだ命を背負って生きよ。貴殿に与えられる罰があるとすれば、それは余ではなく灰の乙女によって下されよう」

「はっ」

 クディカは今一度頭を垂れる。

 王の視線はリーティアへと移り、次いでカイトに向いた。

「して、この者たちは何用で余との謁見を望んだか」

「私を含め、どうしても陛下にお許し頂きたいことがあり、参上した次第であります」

「申せ」

 クディカの視線を受け、リーティアが立ち上がる。カイトもそれに倣った。

「私は宮廷政務官のリーティア・フューディメイムと申します。こちらはカイト・イセ。次代の、めざめの騎士であらせられます」

 リーティアの発言に、場は騒然となった。官僚達は口々に驚きと戸惑い、そして疑いを漏らす。騎士達は静かにカイトに注目していた。

 王が手をかざすと、再びの静寂が訪れる。

「続けよ」

 落ち着いた声だ。王は寸分も揺らがない。

 リーティアは一礼し、一歩前に進み出た。

「我々は、灰の乙女への拝謁を願います。もとより騎士と乙女は共にあって然るもの。離別したままでは、世界の歪みを生みましょう」

 王の兜。そこに掘られた竜の目がカイトを睨みつける。

 カイトは内心恐ろしくて仕方なかった。当然だ。王を欺くのみならず、めざめの騎士を騙っている。もしこの欺瞞に気付かれてしまえば、処刑もあり得るのではないか。

 追い打ちとばかりに、王が口を開いた。

「めざめの騎士が眠ったのは五年前。直後に転生したとして、かのお方は年端も行かぬ幼子だ。その者がめざめの騎士であるという主張。筋が通らぬ」

「仰る通り。普通に考えれば辻褄の合わない話です」

 全身に力を入れてなんとか耐えているカイトに比べ、リーティアはいたって涼しい表情である。

「ところが今の世は、魔王が出現し、魔族はその勢力を拡大し、魔物ともいうべき獣がこの国に跋扈している。このような異常事態において、乙女が手をこまねているわけがありません。必ずや、人知の及ばぬ業をもってこの世界を救済なさるはず。はたして、半身であるめざめの騎士なくしてそれは可能でしょうか?」

「愚問よ。答えるに及ばぬ」

「ご容赦を。陛下にお伝えしたいのはその先。私は灰の修道院の出であります故、少しばかり預言の知識を蓄えております」

 灰の修道院。その言葉に、再び周囲がざわめいた。

 灰の修道院というものがどれほどの意味を持つのか、カイトには見当もつかない。灰というワードから推測するに、乙女と何らかの関連がある組織なのだろう。

「乙女の生まれ落ちる時――誓願の騎士、また目覚む。あまりにも有名な預言ではありますが、実はこれには続きがあるのです」

 ぴんと背筋を立てるリーティア。彼女の眼鏡がきらりと光った。 

「避けえぬ滅びのきざしより――輪廻は乱れ、光落つ」

 神秘的な音声。皆一様に、彼女の声に耳を澄ます。

「星々またぐ声聞きて――黎明の騎士、ついぞ立つ」

 凛と響いたその声は、やはり祝詞のようだった。

「以上三句が、修道院が説き明かした騎士に関する預言のすべてです」

 しばし、間は静謐に包まれた。誰も彼もが、初めて聞く預言の一節に思いを馳せ、咀嚼しているようだ。

 この預言について、リーティアは真実を口にしていた。灰の修道院とは、乙女を通して過去から未来までを探求する女神の子らである。乙女や、それに連なる者達の足跡や言葉を収集し、研究し、解明する。乙女の口から語られる情報が極めて少ない以上、それこそが世界の真実を知る唯一の手段であるからだ。

 だが、乙女が秘密主義であるが故に、修道院もまたその性質を踏襲していた。

 新たな預言の一節が明かされたことは王国の歴史においても稀であり、立ち合う機会に恵まれた文官達の感情は大きく揺さぶられていた。 

「避けえぬ滅びのきざし。これは今の王国の情勢を示していると見て間違いありません。魔族の牙はまさに王都に届かんとしている。その発端がめざめの騎士の死であることは明らかであり、乙女と共に転生を繰り返す騎士が道半ばで倒れてしまったのは、まさに輪廻は乱れ光落つと言えるでしょう」

 王はリーティアの通解にじっと聞き入っている。

「そして最後の句。カイトさんがめざめの騎士であるという私の主張は、ここからきています」

 きた。渇いた喉が貼りついて、カイトは唾を呑み込んだ。

「星々またぐ声。実際に天上にまで響く大きな音などあり得ません。ならばこれは何を示すのか。言い換えれば世界を跨ぐ声。つまり、歩いて行けない異界へ届く声と、そう解釈できます。では誰の声か? これは明快です。乙女の声に違いありません」

 リーティアはあえて大仰に、両腕を大きく広げて声を張る。

「黎明とは夜明け。夜明けは世界の目覚めにも例えられます。畢竟、世界という隔たりを超え、乙女が新たなめざめの騎士を召喚なさったと解釈できましょう。無論これは、無数の預言や文献を考慮しての結論です。一から十まで語ろうとすれば日が暮れてしまいます故、多く割愛致しました。あしからず」

 ひとますの論述を終えたリーティアは、一歩下がって深く一礼した。

 周囲では官僚達が密やかに言葉を交わしている。初めて聞く預言とその解釈に、戸惑いを隠せない者ばかりだ。今の話を理解している者が一体どれほどいるのか。

 王は臣下達を見渡し、彼らの反応を確かめているようだった。

「貴殿の主張。まこと論旨明快にして旗幟鮮明。知恵のみならず弁舌にも長けるようだ。些か飛躍的なところはあるが、修道院の出身である貴殿を疑いはしまい」

「恐れ入ります」

「解せぬは、預言とその者が何故結びつくか」

 このまま黙っているわけにもいかない。

 カイトは深呼吸を一つ。一歩前に出る。

「俺はこの世界に来る時、灰の乙女と会い、ある使命を授かりました。異界の勇者として、魔王を討伐して欲しいと」

 ざわつきが一際大きくなった。

「乙女はこの五年間、神殿の外には出ておられぬ。いつ、どこで会ったと言うか」

「ほんの数日前。一面灰色の空間です。乙女が言うには、創世の宮だと」

 またもや聞き慣れない言葉が出て、王は首を動かす。

「フューディメイム」

「はい。創世の宮とは、その名の通り世界が生まれた場所。この世界の元初の姿とも言われます。乙女は自らの精神世界に彼を呼び出したのでしょう。乙女と騎士は生命の奥底で繋がっていると、預言書にも明らかに記されております」

「精神世界。そんなものが存在すると?」

「あくまで仮説です。そしてそれを確かなものにする為、乙女に拝謁願いたいのです」

 もっともらしい口述だった。リーティアの口の達者ぶりには、カイトも心の中で称賛を禁じえない。

 しかし、そもそも王を前にしてここまで理屈を並べなければならないとは。この国にとって灰の乙女とはそんなにも重要な存在なのか。

「話はわかった。修道院の者に神学を語られ、めざめの騎士の名前まで出されては、大事として受け止めねばなるまい。我が忠臣達よ!」

 王が強めた声に、臣下の注目が集まる。

「この者達が乙女に見えることに、異議を唱える者はいるか!」

 びりびりと鼓膜を震わせる重厚な声だ。

 臣下達はそれぞれに顔を合わせるが、名乗り出る者はいない。

 そんな中、一人の武官が王の前に歩み出て敬礼を取る。

「七将軍が一騎。能器将軍、ハーフェイ・ウィンドリン」

 名乗りを上げたのは、澄んだ青空のような髪色の美丈夫であった。

「この者がめざめの騎士だというのなら、まず騎士としての武を示すべきかと存じます。かのアーシィ・イーサムがどれほどの豪傑であったか、陛下もよくご存じでありましょう」

 ハーフェイの碧眼と王の竜眼が、静かに交錯する。

 アーシィ・イーサム。五年前、魔族との戦いで命を落としためざめの騎士の名である。カイトにとって初めて耳にする名だったが、不思議とどこか懐かしい響きを感じる。

「いかにして、力を測るか」

「このハーフェイとの手合わせをもって、試金石といたしましょうぞ」

 雲行きが怪しくなってきた。

 無論この展開は予想していた。めざめの騎士を名乗るなら力を示さねばならないと、リーティアも言っていたからだ。

「お待ちください陛下」

 ハーフェイの提案に抗議したのは、クディカである。

「カイトはまだ召喚されたばかり、戦う力は育っておりません。歴代の騎士とて、目覚めた頃は凡夫であり、試練を重ねて英雄になるものです」

「異なことを申すな、白将軍」

 クディカの言葉尻に、ハーフェイが噛みついた。

「それでは間に合わぬから召喚されたのだろう。即戦力にならなければ、わざわざ異界から呼び出す意味もあるまい」

「む。それは……そうだが」

 正論を突きつけられ、クディカは口を噤んでしまう。

 嘲笑混じりに鼻を鳴らして、ハーフェイは再び王を見上げた。

「陛下、どうかお許しを。この能器将軍を下すほどの猛者であれば、誰人も文句は言いますまい」

「よかろう」

 王が重々しく首肯すると、ハーフェイの口元に小さな笑みが浮かぶ。

 やはり、こうなってしまったか。カイトは胸を押さえる。心臓は痛いほど高鳴り、全身に血を駆け巡らせている。

「予定通りです。落ち着いて、冷静に対処してください」

 リーティアの耳打ち。そんなことを言われても、怖いものは怖い。

「では決闘の場を設ける。カイト・イセ。受ける者として、望みを申せ」

 王から急に話を振られても、カイトに困惑はなかった。こういう流れになるだろうと、事前にリーティアが教えてくれていたからだ。

 王が尋ねたのは、決闘の場所と時間。それは受ける側に決める権利がある。

 今一度、カイトは大きく息を吸い込んだ。

「俺には時間がありませんから、今この場で済ませませんか?」

 我ながら肝の据わった発言だと、カイトは内心で冷や汗をかいていた。リーティアに指示された通りを言葉にしたものの、実際に声に出すと粋がっている感が否めない。

 案の定、ハーフェイがぎろりとカイトを睨んだ。

「ほう? 鎧も身に着けぬ、剣も帯びぬ身で剛毅なことだ。それに……済ませるだと? この私も随分と見くびられたものだな」

「見た目で判断するなよ。本物の騎士っていうのは、剣や鎧に頼ったりしない」

「なんだと?」

 お前ごときに装備など必要ない。決闘の場を設けるだけ時間の無駄だ。無自覚ではあったが、カイトは言外にそう伝えているのだ。

 ハーフェイの整った顔が怒りを湛えていた。彼は将軍として新任ではあったが、自身の武勇に絶対の自信を持っている。自分よりも若い、どこの馬の骨とも知らぬ男に軽んじられては、将軍としての沽券に関わる。彼の中では、すでに決闘の理由が変わりつつあった。めざめの騎士かどうかを確認するためではなく、自身の面子を保つために。

 玉座の間に、王の笑いが響き渡った。兜の奥から鳴るくぐもった重たい笑声に、臣下達は不安を募らせる。

「実に面白い。異界の勇者とやらがどれほどのものか……余に見せてみよ」

 玉座に腰を下ろした王。謁見の場で剣を抜くことを許すのは、彼の治世下で類を見ない歴史的大事件であった。にわかに緊迫感が迸り、静寂を生む。

「陛下のお許しが下った」

 ハーフェイが腰の剣を勢いよく抜き放つ。ただそれだけの動作に、彼の尋常でない戦闘技術が見て取れた。

「カイト・イセ。どれほどの論を並べ立てようと、弱き者を騎士とは呼ばぬ。啖呵を切ったのだ。相応の実力を示してもらおう!」

 長剣の切っ先を向けられ、カイトは目を細めた。先端恐怖症でなくとも、武器を向けられれば怖気づきもする。だが、カイトも少しは修羅場を潜ったのだ。これくらいではたじろぎはしない。

「用心しろカイト。あやつはあらゆる武器を極めた男。一対一なら私でも後れを取りかねん。能器将軍の名は伊達ではないぞ」

 隣のクディカが言い残し、その場を離れていく。

「カイトさん。私は何も心配していません。あなたの力を、信じています」

 リーティアがそっと肩に触れ、物腰柔らかにクディカの後に続いた。

 カイトは急に心細くなる。観衆の中にありながらひとりぼっちになったような感覚。

 当然だ。いざ戦いが始まれば、他人を頼る心は捨てなければならない。

 強くなると。そして強くあると決めたのだから。

「よし。いっちょやるか!」

 カイトは両頬を叩いた。自身の肉体の変化を確かめ、努めて冷静を保つ。

 この勝負、小芝居を打ってくれた二人の為にも、どうせなら圧勝で終わらせよう。

 十歩の距離を空けて、カイトはハーフェイと対峙した。

「では――始めよ」

 王の号令が下る。

 決闘の始まりだ。

「ゆくぞっ!」

 ハーフェイが床を蹴った。鎧の重さを感じさせぬ軽快な足さばき。十歩の距離は瞬く間に消滅し、疾風の斬撃がカイトに迫る。

 速い。恐ろしく速いはずの剣。

 けれど、遅い。

 カイトはやっと動き出す。ハーフェイが剣を握る右手側に、回り込むように一歩。剣は空振りし、風切り音だけが虚しく響く。

 カイトにはハーフェイの背中が見えている。次に彼が選ぶ行動は、振り向きざまの横薙ぎか、あるいは距離を空けるのか。

 どちらでもなかった。ハーフェイは手首を翻し、逆手に返した長剣による刺突を放つ。

「うおっ」

 意表を衝かれたカイトは、しかし余裕をもってこれをいなした。はたいた剣の腹に嫌に冷たい。

 結局、後方跳びで距離を取ったのはカイトの方だ。

 周囲から感嘆の声が上がる。一瞬の攻防は、あたかも演武の一場面のようだった。

「ふん。それなりにいい動きをするじゃないか」

 改めて剣を構え直すハーフェイ。

「手加減は無用か。油断を排して臨むとしよう」

「へっ。いいのか? 負けた時の言い訳がなくなっても」

「ほざけ!」

 ハーフェイが肉薄する。

 怒涛の斬撃がカイトを襲った。問題なく、その悉くをのらりくらりと躱していく。一方、回避に徹する故、ハーフェイの動きを制することはできない。

 自由自在な動きでカイトを崩そうと試みるハーフェイだが、思い通りにいかず精神的余裕をすり減らしていった。

「そんな無駄な動きで!」

 カイトに武術の心得はない。体捌きの拙さは誰が見ても明白だ。それでも達人であるハーフェイの連撃をいなせるのは、一重にカイトの不自然な身体能力のおかげだった。

 攻撃がかすりもしないことに苛立ちを募らせ、ハーフェイの動きは次第に大味になっていく。カイトが反撃しないこともそれに拍車をかけているのだろう。

 戦いが始まってしまえば、カイトは恐怖を失った。何故ならば、彼我の力の差を理解してしまったから。奇妙な高揚感が全身を支配していた。

 周囲から見ればハーフェイの優勢。カイトは防戦一方。だが、一部の熟練した戦士だけがこの戦いの異常さを感じ取っていた。

 ハーフェイは渾身の一撃を放つべく、大上段に振りかぶる。

「遅ぇ!」

 今のカイトにとって、相手はどの瞬間を切り取っても隙だらけだった。

 満を持してカイトが反撃に移る。素人丸出しのテレフォンパンチ。達人相手に当たるわけがない。

 ただ、その動きがあまりにも速すぎた。

 ハーフェイが剣を振り下ろすより先に、カイトの拳が突き刺さる。金属の胸当てに直撃した拳撃は、ハーフェイを遥か後方に吹き飛ばした。玉座の間を転々としたハーフェイは入口の扉に背中から激突。至近にいたヘイスが声をあげる。

 直後に、彼は喀血した。胸当てには拳大のへこみが生まれ、胸部に深刻なダメージを負っていることがわかる。

 カイトはふと我に返った。拳を放った体勢のまま、動かなくなったハーフェイから目が離せなかい。

「お、おい。死んで、ないよな?」

 手ごたえはあった。感じたことのない衝撃。人を殴るのは初めてではないが、これほど脆く感じたことはない。金属製の胸当てが、まるで発泡スチロールかのように思えた。

 場はしんと静まり返る。目の前で起きたことが信じられない。それがこの場の多くに共通する感想だった。

 能器将軍ハーフェイ・ウィンドリン。過去の戦いで数々の武功を立てた若きホープが、名も無き丸腰の男に一撃で下された。それを残念に思う者もいれば、喜ぶ者もいた。

「誰ぞ、手当てを」

 驚愕の中で固まっていた臣下らを王が一喝した。すぐさま近くの文官が集まり、ハーフェイの治療を始める。

「見事だ」

 安堵も束の間。王より投げかけられた声に、カイトは肩を震わせて居住まいを正した。

「カイト・イセ。貴殿の力を認め、乙女への拝謁を許可する」

 その宣言の意味するところは、メック・アデケー王国が新たなめざめの騎士の誕生を容認したことに他ならない。

 アーシィ・イーサムの死。

 そして魔王の出現。

 王国は士気旺盛でありながら、その実、希望は深く沈みつつあった。

 ありえないと知りながら、誰もが心のどこかで切望していたのだ。

 この国を救う、英雄の誕生を。

 強大な個であり群である魔王に対抗できる、もう一つの強き力を。

 異界の勇者。

 めざめの騎士。

 肩書はなんでもいい。

「その力、存分に振るうがよい。灰の乙女の御為に」

 今この時より、カイトは英雄への道を歩み始めることになる。

 半ば、強制的に。

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