ならばカイトがやるべきは、一秒でも長くルークを食い止めること。あわよくば、ここで撃破してしまってもいい。高望みが過ぎるか。
漆黒の大剣を受け止めたまま、必死の思いで圧力に抗う。歯を食いしばり、大地を踏みしめ腕を震わせながら、それでも鍔競りを維持するので精一杯だった。たった一度打ち合わせただけで、ルークの超越的な強さを思い知らされる。
「重い」
笑声混じりの呟きは、カイトへの短い称賛であった。
もはやルークの目に侮りの色はない。一騎討ちに相応しい相手として、カイトを認めていた。この先、ルークに一切の油断はないだろう。カイトは戦慄を禁じえなかったが、同時に奇妙な喜びも感じていた。最強の敵に認められる。戦いに挑む者として、これ以上の誉れがあろうものか。
リーティアの強化魔法が全身に馴染んでいく。手足の指先、その爪の先端にまで、強さと力が満ちていく。激しく高揚した精神は、視界の縁を赤く染めあげていた。
「うぉらッ!」
腹から捻り出した気合を乗せて、カイトはルークの剣を弾き返す。予想していたより幾分か軽い手ごたえ。
押し飛ばされたルークは、巨体に似つかわぬ軽妙な身のこなしで音もなく元の位置へと下り立った。
「ガンドルフ。今はいい」
傍に侍った眷属にルークの手が触れる。闇色の獣は黒いマナの粒子となって、大気中へと溶けていった。
仕切り直しのつもりか、ルークは大剣を担ぎあげる。その動作に併せて、背中から伸びる尾が大きくしなった。
「卿の名を聞きたい」
問いかけは真摯であった。力を信奉する魔族ならではの、強者に対する敬意がある。
「カイト・イセ」
名を先に、姓を後に答えたのは、彼の決意の表れだ。カイトはすでに自身の使命を定め、この世界で生き抜くことを決めていた。
「カイト・イセか」
復唱したルークは何を思ったか、剣を地に突き立てると、ゆっくりと両の手を重ね合わせた。右手の拳を左の掌で覆う動作。
それが何を意味するのか、カイトにはわからない。攻撃魔法でも撃ってくるのかと身構えたが、どうやら違うようだ。
驚いたのはリーティアである。魔族の文化に関しての多少の造詣がある彼女は、ルークの所作が相手に最大の敬意を示す礼儀作法であることを知っていた。
カイトは、魔王軍最強の将に好敵手だと認められたのだ。
「こんな場所で卿のような男に見えるとは、まさに夢のようだ」
「……ああそうだな。ほんと、悪夢だよ」
まさかこんなにも早く窮地が訪れるとは思っていなかった。カイトはデルニエールで力の限り戦う心づもりだったのだ。翻せば、デルニエールに到着するまでは何も起こらないと高を括っていた。体調を整え、心の準備をする時間があると。
だが違うのだ。戦うと決めた以上、常に戦場にあるとの意気込みがなければ、不測の事態に足を取られる。
「いざ」
ルークが突き立つ剣を取り、カイトがようやく剣を抜く。
瞬きの暇さえなかった。
大気の震えと共に、両者は一直線に激突。
轟音。
最初の一合はカイトに軍配が上がった。後ろに味方を背負う分、踏み出しの瞬間がほんの僅か早かった。刹那の差が、カイトに勢いを与えたのだ。
ルークの大剣を弾き上げ、がら空きの胴体に突進ざまの斬り下ろしを放つ。
殺った。カイトは意外な確信を抱く。リーティアによって強化された剣ならば、ルークの鎧とて容易く斬り裂くだろう。
そう上手くはいかない。眼前にルークの尾が滑り込み、斬撃を受け流されてしまう。
体が左に流れた。お返しとばかりに迫るルークの斬り下ろし。
「くっそ――」
致命的な隙。崩れた体勢では、回避も防御も間に合わない。勝利の確信から一転、脳裏によぎる敗北の二字。これまでなら反射的に目を閉じたであろうこの状況において、カイトの両目はしっかりと敵を捉えていた。
それ故、にわかな異変に気付くことができた。ルークの動きが、途端に鈍く緩慢なものに変わる。まるでスローモーションのように、漆黒の大剣が低く分厚い風切り音を立ててゆっくりと近づいてくる。
なんだこれは。
疑問もそこそこに、カイトは敵の間合いからの離脱を図った。崩れた体勢のまま大地を蹴りとばす。
訪れたのは凄まじい加速感。次いで強烈な衝撃。何が起きたかまったく分からない。はっきりしているのは、全身の内外に染みわたる鈍痛だけ。
「ってぇな!」
自身が木にへばりついていることを認識して、カイトはやっと理解した。跳躍の力加減を誤り、離れた位置にある大木に突っ込んだのだ。
おそらく、あの瞬間だけリーティアが魔法の強度を上げたのだ。だからルークの動きも遅く感じた。自分の力の制御すら失った。今はもう、もとの強度に戻っている。ひとまず危機は脱したが素直には喜べない。
「無様だな」
悠然と歩み寄って来るルーク。カイトは再び剣を構える。
「おーそりゃ悪かったな。こちとら慣れねぇことばっかでよ」
「いや、いい」
重々しいルークの声は、どことなく嬉しそうだ。
「俺は小綺麗な戦いなど望まない。泥臭くあってこそ、まことの戦だろう」
「かもなッ!」
再び剣を打ち交わす。
そこからは真正面からの斬り合いが始まった。駆け引きの介在しない、純粋な力と速さの衝突。
小手先の技術など女々しいと言わんばかりに、黒い大剣が豪雨の如くカイトに襲いかかる。防ぎ、いなし、避け、弾く。デュールとの訓練で身に着けた全てを駆使し、辛うじて戦いの体を為す。一片の余裕もない。集中力の途切れが即死を意味する、紛れもない死線。
剣を打ち合うたび、天を衝くような金属音が鳴り響く。剣戟の余波は突風となって草木を煽り大気を揺るがした。常人には及びもつかない境地の上で、両者はしのぎを削り合う。
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