異世界転移で無双したいっ!

チートなし。少年よ、絶望に染まれ。
朝食ダンゴ
朝食ダンゴ

第6章

公開日時: 2021年3月18日(木) 21:06
文字数:3,610

 アーシィ・イーサムの勇名は、歴代めざめの騎士の中でもとりわけ強い存在感を放っている。

 そもそも騎士の個人名が広く人々に知られることは稀である。灰の乙女が秘密主義であるのに加え、メック・アデケー建国後の灰の巡礼がひっそりと行われていたことが最大の理由だった。

 永き間、乙女は顔を、騎士は名を、世界に忘れ去られていた。

 アーシィ・イーサムの名が世界中に轟く契機となったのは、七年前に勃発したボウダームとの戦争である。大陸の人間国家を統一したとはいえ、ひとたび海を越えれば友好とは言い難い列強諸国が名を連ねている。共和制国家のボウダームもその内の一つだった。

 閉鎖的かつ排他的な国柄で知られるボウダームは、島国であるが故に慢性的な資源不足に悩まされていた。問題解消のため侵略に次ぐ侵略を繰り返し、いくつかの属国を有していたが、近隣諸国の介入によりその体制は瓦解。国家危機に瀕することになる。そこで目を付けたのが、広く豊かな大地を持つメック・アデケー王国だった。

 ある時ボウダームは、メック・アデケー国王カイン三世へ国交の締結を求める使者を遣わした。体面こそ友好的であったが、ボウダームが提示した貿易の条件は、国交とは名ばかりの実質的な脅迫であった。言外に示されたのは『継続して資源を献上せよ、さもなくば侵攻する』との通告だ。ある意味、それは宣戦布告にも等しい。ボウダームの強硬的な外交姿勢が露骨に表れた結果といえる。

 激怒したカイン三世はこれを一蹴。ボウダームの使者はあえなく処刑され、両国間の軍事的緊張は一気に高まることになる。

 状況はボウダームの思惑通りに推移していた。甘んじて資源を差し出すならよし、たとえ戦争になったとしても、使者を殺されたという大義名分を掲げ堂々と侵略ができる。

 メック・アデケー=ボウダーム戦争は、このような経緯から始まった。

 過去、海上戦を経験することの少なかったメック・アデケーは、ボウダームの精強な海軍に苦しめられた。大陸の東海岸に位置するマイギーン半島は瞬く間に上陸占領され、周辺の制海権までも奪われてしまう。ここにきて、大陸内で覇を争い外に目を向けようとしなかった歴史の付けが回ってきたのだ。

 緒戦の敗北は、ただ国土を失っただけではない。大陸侵攻の橋頭保を築いたボウダームは、自らの大義名分を喧伝し世論を味方につけた。これに乗じ、大陸の領土分割を目論む列強諸国が次々と参戦を表明する。ボウダームは好機とばかりに、半島より先の侵攻を開始。世界を敵に回したメック・アデケー王国の崩壊は、誰の目にも明らかであった。

 だが、ここでボウダームにある誤算が生じる。唯一にして最大の誤算だ。

 当代の灰の乙女が、メック・アデケー王国に生まれ落ちていたことが発覚した。かてて加えて、あろうことか乙女は戦火に巻き込まれ、巡礼の中断を強いられていたのだ。この事実は世界中を震撼させた。情報は瞬く間に広まり、列強諸国は慌てて参戦を撤回する。

 そもそもメック・アデケー王国は、乙女が初めてこの世界に降臨したとされる地である。敬虔な信仰者からすればまさしく聖地。そのような地に攻め入ること自体、神に仇為す所業であると疑ってやまない。それを思い出した世界の人々は、自らの浅慮を恥じて顔を覆う他なかった。

 ところが、永く巡礼の対象になっていなかったボウダームでは、乙女への信仰が薄れていた。国家首脳陣は乙女の存在を軽視し、戦争の継続を訴える。彼らには目の前の損得しか見えていなかったのだろう。無論これを諫め、即時撤退と謝罪を進言する賢者もいたが、首脳陣は聞く耳を持たず、乙女を尊ぶ声は封殺された。

 翻って、沸き立ったのはメック・アデケーである。

 自国に乙女が降臨しているという自覚は、彼らの士気を大きく高めた。乙女を守り、ひいては世界を守るための戦い。カイン三世はこれを聖戦と銘打ち、正義を掲げて自ら最前線へと赴いた。

 この時点で既に世論は裏返っていた。乙女は不可侵であるべきとの考えから他国の参戦はなかったものの、メック・アデケーを擁護しボウダームを非難する声が各地で叫ばれていた。使者の処刑など最初からなかったかのように。世界にとって、乙女とはそういう存在なのだ。

 とはいえボウダームとしてはここで立ち止まるわけにはいかなかった。相変わらずの資源不足に加え、投入した戦費を回収する手立てもなかったからだ。撤退したとしても国家としての地位を失うのは明白。引くに引けなくなった彼らもまた、士気旺盛とならざるを得なかった。

 メック・アデケー=ボウダーム戦争は、ここからが本番であった。

 マイギーン半島を舞台に繰り広げられる、激戦に次ぐ激戦。両国とも一進一退の攻防が続き、激化の一途を辿っていく。

 戦乱は英雄を生む。この戦いにおいて、王国は多くの人材を輩出した。

 不死身のジークヴァルド。双竜のブル・ベル兄弟。千人斬りのハーフェイ・ウィンドリン。三枚舌の軍師ラー・ゼーイン。爆炎のシロン。花騎士クディカ・イキシュ。名を挙げればキリがない。

 それはボウダームも同様であり、度重なる侵略戦争で鍛え上げられた豪傑、知恵者たちが居並んでいた。

 その中で際立って英名を馳せたのが、めざめの騎士アーシィ・イーサムである。

 彼の戦いはもはや神の領域だと謳われた。ひとたび剣を振るえば、天を斬り裂き大地を砕く。槍を握れば山を貫き、弓を引けば星を射抜いたという。乙女の加護を一身に受け、その身は光り輝いていたと。

 無論これは一種のプロパガンダである。士気の上昇を促し、灰の乙女は我が方にありと号するための神話。だが、一概に誇張だと言えないのがアーシィ・イーサムの凄まじいところだ。

 彼を語る上で欠かすことのできない逸話がある。

 開戦まもなく、ボウダームの兵はマイギーン半島に上陸し、数日でその半分まで前線を押し上げた。電光石化の進撃に王国軍は為す術もなかった。

 数々の街や村が略奪の被害に遭う中、ボウダーム勢力圏内にありながら占領を免れた町が一つ。そこは、偶然にも灰の乙女が滞在していた宿場町だった。

 町の人々が怯える中、アーシィ・イーサムは剣を手にし、ただ一人ボウダーム軍に立ち向かったのだ。彼は瞬く間に数百の敵を斬り伏せ、町に平穏をもたらした。翌日、ボウダーム軍は千の兵力で町を攻めた。アーシィ・イーサムは傷を負いながらもこれを撃退した。数日の後、今度は五千の軍勢が襲来したが、町を落とすこと能わず。その次も、次の次も、どれほどの戦力を投入しようと、ボウダーム軍は屍の山に変わるのみ。

 アーシィ・イーサムはたった一人で、一か月もの間その宿場町を守り抜いたのだ。

 死闘であった。何度も死にかけた。だが彼は一歩たりとも退かなかった。

 何故か。それが彼の生きる意味であったからだ。乙女は決して戦いを望まなかったが、騎士の使命は乙女を守ること。命の賭ける理由など、それ以外に必要なかった。

 一ヵ月に渡る孤軍奮闘は、宿場町の名を取りオーテルの戦いと呼ばれ、乙女と騎士の存在を世界に知らしめる発端となった。世に名高きアーシィ・イーサムの伝説は、ここから始まったのだ。

 戦争が終結するまでのおよそ一年間。アーシィ・イーサムは王国軍と協力しながら戦い続けた。昼は最前線で剣を振るい、夜は奇襲を仕掛け、求められればどこでも駆けつけた。名のあるボウダームの将の内、半数は彼が討ち取ったとされている。間断なき戦いの果てに勝利を収めた時、彼は世界に名を轟かす天下無双の英傑となったのだ。

 終戦の後、かつて栄華を誇ったボウダームは衰退の一途を辿ることになる。戦争賠償金の支払いに加え、乙女に弓引いた汚名は拭い難い。かつて多くの属国を従えたボウダームは、自らが大国の庇護下に入る選択を強いられた。

 対してメック・アデケー王国は国家としての地位を高め、その影響力は全世界に波及し始める。

 以後、王国には束の間の平穏が訪れた。乙女は灰の巡礼を再開し、アーシィ・イーサムは陰の如く付き従う。国内の巡礼はつつがなく終わり、乙女と騎士はやがて北へと歩を進めた。巡礼の対象は、魔族領へと移ったのだ。

 その後、二人の身に何が起こったのかは定かではない。

 傷付いた姿で王国へ帰還した乙女は、ただ一つ騎士の死だけを明言し、それ以降は口を閉ざし何も語ろうとしなかった。アーシィ・イーサムの訃報は国中に広まり、国民は嘆き、悼み、そして恐怖した。

 カイン三世は乙女を保護し、巡礼の中止を上奏する。騎士を失った乙女に旅を続ける力はない。乙女はそれを受け入れざるを得なかった。

 この時より、人間と魔族の関係は急速に悪化する。互いに不干渉を貫いていた双方が、徐々に敵対意識を持ち始めたのである。ついには魔王の出現が引き金となり、今日まで続く人間と魔族の全面戦争に至ったのだ。

 かくして、めざめの騎士アーシィ・イーサムの伝説は幕を閉じた。

 ここから先は、彼の後を継ぐ異界の勇者の物語だ。

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