部屋の扉が小気味良い音を立てた。
ちょうど戦支度を終えたところだったカイトは、響いたノックの音に生返事を送る。
「カイト、いるか?」
クディカの声だ。ひとときヘイスと顔を見合わせる。彼女がこの部屋を訪れるのは珍しい。
「将軍、どうぞ。お入りください」
「ああ。ヘイスもいたか」
カイトに代わってヘイスが扉を開き、来客を招き入れる。
平服姿のクディカは、一通り部屋を見渡してからカイトに視線を戻した。
「準備の方はどうだ?」
「ちょうど今終わったところです。いつでも出発できますよ」
「それはいい。夜までゆっくりできるな」
長い金髪をさらりとかき上げる仕草に、カイトはどきりとした。
鎧兜を身に着けていないクディカは、一見将軍には見えない。どこぞの貴婦人とでも言われた方がまだ納得できる。だが、今のカイトにはすこしだけわかることがある。彼女が秘める騎士としての貫禄と将軍としての矜持。美貌に隠された鋼の精神と、強靭な意志を。
それはただ容姿によらず、人間を見抜く力が備わってきたことを意味しているのかもしれない。
「こちらへ」
「うむ」
「すぐにお茶をご用意しますね」
ヘイスが椅子を引き、クディカをテーブルにつかせた。軍人として、またカイトの従者として、こういった手際のよさを心がけている彼女に、クディカもまた感心したように頷く。ここしばらくで親しくなった身としてはすこし畏まりすぎている感があるかもしれないが、身分と役職の差を考えれば妥当である。この邸宅の中ならいざ知らず、公の場に出れば立場と建前というものがあるからだ。
カイトはクディカの向かいに腰を下ろす。
「ときにカイト。その、なんだ……調子はどうなのだ?」
「調子、ですか」
咳払いを枕に口を開いたクディカに、カイトは眉を上げた。
「うむ。叙任式の時のお前はそれなりの立ち振る舞いであったが、実のところどうなのかと思ってな。初陣の前は誰しもいつも通りではいられないものだ」
「クディカさん……」
カイトにじっと見つめられ、クディカは気まずそうに目を逸らした。
「リーティアさんに言われて来ましたね?」
「なっ」
その指摘に、クディカは肩を震わせた。驚きを湛えた蒼い目がカイトに向く。
短い付き合いではあるが、カイトはなんとなく彼女達の人間性というものを理解しつつあった。
クディカは率先してカイトの様子を見に来たりはしない。胸の内では心配していても、行動に移すことを躊躇うタイプだ。どこか羞恥を感じる部分があるのだろう。
逆にリーティアはそういった心遣いを惜しげもなく言動に表す気質である。そして自分だけでなく、親しい他者にもそれを促す。幼馴染のクディカなら尚の事。
故にカイトは、クディカのぎこちない行動の所以を察してしまったのだ。
「……よくわかったな」
「こう言うとなんですけど、わかりやすいですからね。クディカさんは」
「なにを。お前までそういうことを言うか」
口をへの字にするクディカに、思わず笑いを漏らしてしまう。
「ありがとうございます。心配してくれて」
和やかな表情のまま、カイトは率直な思いを口にした。クディカがここに来たきっかけはリーティアの助言だったかもしれない。けれどそれとは関係なく、自分を心配してくれる心がありがたい。
「う、うむ」
素直に礼を言われるとは思っていなかったのか、クディカはすこし戸惑い気味だ。
「正直言うと、戦争は怖い。ちょっとでも気を抜けば逃げ出してしまいそうなくらい不安定だって、自分でもわかってます」
「別におかしなことではない。誰だってそうだ」
「ええ。けど俺はめざめの騎士です。たとえ偽物でも、本物を演じないといけない。プレッシャーですよ、そういうのは」
クディカは腕を組む。なんと声をかけたものかと悩んでいる。カイトを励まそうと心を砕いてくれている。
「俺は幸せ者です」
「んん? どうしてそうなる。お前はいま大変な状況に立たされていて、その原因は私やリーティアにもある。この国を救うためお前を利用している節さえあるのだぞ。私とて罪悪感がないわけではない」
「そんな風には思ってませんよ。そもそも俺を助けるために考えてくれたことです。めざめの騎士にならなかったら、俺は今頃マナ中毒で死んでました」
「そうかもしれんが……」
「クディカさんがこうやって励ましに来てくれた。そのことが嬉しいんです。さっきはヘイスにも勇気を貰いましたし」
お茶の用意をするヘイスの背中に二人の目線が行く。せっせとお茶を淹れる侍女服の後姿には大きな癒しを感じる。
「だから俺は、幸せ者です」
自分のことをここまで気にかけてくれる人がいる。さらにはそれは美女ばかりというからには、年頃の男子であるカイトは小躍りするような心地である。
それと同時に、自分の口から出た言葉と、そんな風に考えることができる自分自身にも密かに驚いていた。
「ふふ。見直したぞ、カイトよ」
クディカの頬にも、満足げな笑みが浮かんでいた。
「人というのは、こうも変われるものなのだな。今のお前は、どこに出しても恥ずかしくない一人前の騎士だ」
「買いかぶりすぎですって。それは」
二人して笑い合う。
そこに、ヘイスが紅茶を運んできた。
慣れない手つきで置かれたカップに、クディカが口をつける。
「さて。そろそろハーフェイの軍がデルニエールに到着する頃か」
ぽつりとした呟きに、カイトの目が鋭くなる。
「デルニエールは大丈夫でしょうか。俺達が行くまでもたないんなんてことは」
「それはない。いくらティミドゥス公が無能といえ、抱える将校達はみな一流だ。たった一日で勝負が決するものか」
「その言い方は、なんか嫌な予感がしますね」
カイトは苦笑する。クディカ自ら、フラグを立てている気がしてならない。
「どうかな。援軍として真っ先にハーフェイが送られたのも、奴に勢いがあるからだ。何度か魔族との戦いに出陣しているが、奴の率いる軍は常に武勲を立ててきた」
大局からすれば敗色濃厚な中ではあるが、戦場単位で見ればハーフェイ・ウィンドリンは常勝不敗であった。以前は白将軍と謳われるクディカと並び称されていたが、彼女がモルディック砦を失ったことで差が生まれてしまったのは言うまでもない。
「もしかすれば、私達が到着する前に敵将を討ち取ってしまうやもしれんな」
リラックスして言う彼女の言葉が本心でないことは明白だ。カイトを安心させるために言っているのだろう。
「そうなることを願います。本当に」
できることならもう二度とソーニャには会いたくない。
ハーフェイの奮闘に期待を寄せて、カイトは熱い紅茶に口をつけた。
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