戦争は兵士だけのものではない。
剣を持たぬ者達もまた、過酷な戦いの只中にあった。
城内の一画。次から次へと運ばれてくる負傷兵の治療にあたるのは、後方で支援を行う非戦闘員だ。デルニエールに在住する医療従事者が集い、彼らの指導の下で婦女子達がせわしなく動き回っている。
その例に漏れず、ヘイスもまた戦傷者の手当てに奔走していた。彼女に課せられたのは医師の治癒魔法を待つ者達への応急処置である。出血があれば止血し、骨折していれば固定し、傷口が汚れていれば洗浄と消毒を施す。水を与えたり、気付けを行うこともあった。治癒魔法が開発される以前の原始的な治療法だ。
一帯には吐き気を催すほどの生々しい血の匂いが漂っている。惨たらしい創傷から桃色の肉を露わにする者もいれば、折れた骨が肉を突き破って体外に露出している者もいた。内臓が破裂し絶え間なく吐血する者や、眼球や四肢など肉体の一部を欠損した者も少なくない。
指示を飛ばす医師達の鋭い声と、苦痛に悶える負傷者の呻き。恐怖と焦燥と使命感とが混ざり合うこの場所もまた、紛れもなく戦場であった。
ヘイスは決して恐れなかった。目を背けたくなるような重傷者を前にしても、勇気を振り絞り処置に努めた。彼女の胸には常にカイトの姿があった。彼に襲いかかる試練に比べれば、自身に課せられた役目など易しいものだ。医療の心得はなくとも、彼の従者にふさわしい振る舞いを絶やさない。彼の名を汚してなるものか。その自覚と決意が、ヘイスを強くせしめている。
額に浮かんだ汗を拭う。日の出からどれくらいの時間が経っただろうか。陽はまだ高く、戦いの終わりは見えない。とはいえ、運ばれてくる戦傷者の数はある時を境に減少傾向にあった。この時のヘイスは知る由もないが、ハーフェイの強引な出陣が城壁で戦う兵達の損耗を抑えていたのだ。地上部隊が魔獣を引きつけたことで、城壁に布陣した軍は飛行する魔族への対応に注力できるようになっていた。
束の間の休憩を与えられたヘイスは、覚束ない足取りで陣営の幕舎へと向かう。酷使した肉体と神経は糸が切れたように弛緩していた。両手の指先にまで疲労が満ちている。
道中、閉ざされた城門前に陣を敷く騎兵隊を目にしたヘイスは、現在の戦況に思いを馳せる。戦傷者を見れば戦闘の激しさは容易に想像できたが、勝っているのか負けているのかまでは分からない。昨日の時点では趨勢は魔王軍に傾いていた。けれどもカイトがルーク・ヴェルーシェを撃破したことに加え、クディカ率いる精兵数百の参戦が戦局に与える影響は小さくないはずだ。
国の命運も、自身の安否も、この戦いの結果にかかっているのだから、ヘイスが足を止めたのも当然と言える。薄い胸に手を当て、灰の乙女に祈りを捧げる。カイトに幸あれ。デルニエールに勝利あれ。
祈りの後、顔を上げたヘイスの目に留まったのは、隊列の中心に鎮座する巨大な馬車であった。
「あれって……」
金の装飾が全面に施され、随所に色とりどりの宝石が散りばめられている。戦馬十頭立て。御者はいない。魔導の力で浮遊する箱型のチャリオット。
どう見ても一兵卒の乗る代物ではない。勇ましく戦う将の乗り物でもないだろう。あんなもので戦場に出る人物は、この城において一人しかいない。
「まさか、この戦車を動かす日が来ようとはな」
笑い交じりの声が響く。数人の従者を引き連れて城門前の広場に現れたのは、デルニエール城主ディミドゥス公その人であった。
「相変わらず素敵な戦車だね。お父上の威厳をそのまま形にしたようだ」
隣に立つ公太子ソーンの大仰な口ぶりに、ティミドゥス公は鼻を鳴らす。
「下手な世辞などいらぬ。皮肉に聞こえるぞ」
そう言いつつ満更でもなさそうなのは、彼の虚栄心の表れに相違ない。
「それよりも、ソーンよ。本当に出ていってもよいのであろうな」
「問題ないよ。地上の敵は七将軍達が駆逐しつつある。ほとんど壊滅状態と言ってもいい。お父上の仕事は、大将の威光を示し、味方を勢いづけ、勝負を決めること」
「しかしな……わざわざ戦場に出て行かずともよいではないか。城壁から姿を見せるだけでも」
ソーンは呆れたように大きな溜息を吐いた。
「さっきも言ったでしょ。ここでお父上がご出陣されないと、手柄はすべて七将軍のものだ。悪い評判が立つよ? 城主であるティミドゥス公は臆病にも城に籠ったまま、陛下より送られた援軍に助けられただけ、とかね」
ティミドゥス公の眉間にあからさまな皴が寄る。
「それは困る。事実と異なる風評だ」
「だけどいま出陣して敵を蹴散らせば、お父上の武名を王国中に知らしめることができる。そりゃあ魔王軍の襲来は危機に違いないけどさ。見方を変えれば大きなチャンスでもあるんだ。誰も止められなかった魔王軍を破ったとなれば、民はお父上を真の英雄だと称えるだろう」
「なるほど、それはよい。流石は我が息子。大局を見据え、よく心得ておる」
「すべてお父上から学んだことさ」
気をよくしたティミドゥス公は、金に輝く鎧を鳴らして馬車へと乗り込む。
ソーンは馬車の扉が閉まったのを確認すると、顔に貼り付けていた笑みを剥がし、傍に侍る女性術士に通信魔法の発動を命じた。
父子の会話、それに続く通信魔法の文言を聞いたヘイスは、ほっと胸を撫で下ろしていた。どうやら戦況は好転しているようだ。
「ティミドゥス公が出陣……」
戦場に安全を確保できた証左だろう。
「よかったぁ」
必死に負傷者の手当てをした甲斐があるというものだ。
あとはカイトの到着を待つだけ。彼の顔を見るのが待ち遠しい。
デルニエールが勝利すれば、カイトの武功も大きく取り上げられるに違いない。
ルーク・ヴェルーシェを撃退したカイトは、デルニエールの人々から、否、全ての王国民から惜しみない称賛を浴びるだろう。過去、誰も為し得なかった偉業なのだ。
弾んだ笑みを漏らしたヘイスは、疲れも忘れて足取りも軽く、陣営の幕舎へ足を運ぶ。
誇らしく愛おしい主は、きっと疲れて帰ってくる。
彼の為に、寝床を整えておかなければ。
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