■第二話 一品料理「三途」
この世界は混迷の一途を辿っている。
人口が増えるということは、それだけ死者も増えると言う事である。まぁ、死の理由は様々ではあるのだが、強いて例を上げるならば、高齢化社会への突入であったり、過度のストレス社会であったり、終わりの見えない紛争など……上げだしてはキリがない。
現世がそうであるなら、あの世も当然同じような状況である。
そんなわけで、地獄の職員たちの労働時間は数百年前に比べて倍近くまで膨れ上がっていた。
来る日も来る日も溢れかえる亡者の裁きに追われる彼らは、残業に残業を重ね心身共に疲れ果てていた。
彼らの唯一の楽しみと言えば、地獄の職員食堂での食事と相場が決まっているのだが、営業時間が現在の地獄事情に合っていないと言う事が最近では問題になっていた。
それというのも、残業終わりに食事でもと足を向けたは良いが、営業時間が終了し食堂の扉は閉じられてしまっているのだ。
これにガックリと肩を落とし、トボトボと食堂を後にする者が後を絶えなかった。
ゴリゴリに残務をこなしたサラリーマンに、帰宅した後、自炊をする体力も気力も残っていないのは自明の理である。
だからと言って、おばちゃん三人で切り盛りしている食堂の営業時間を伸ばすと言う事は、それだけ彼女たちに負担をかけるというもの。
単純に残業で大変な思いをしている者たちが、それを他者に強要するのはナンセンスな話である。
しかし、残業終わりに楽しみの一つも無いということは、職員たちのモチベーションを酷く低下させると言うもの。
これには閻魔も酷く頭を悩ませた。
自身も仕事終わりには、いつものあのメニューを胃袋に収めるのが唯一の楽しみ。最近は残業も多く「トンカツ定食ダブルごはん特盛キャベツマシマシ」をしばらく食べられていない。
どうにかならないものかと悩みに悩んだ。
そんな折、地獄の幹部会で件の話が、ある獄卒の親方の口からポロリとこぼれた。
「しかしです大王様、仕事終わりにメシを食えないってのは、やはり獄卒共には中々堪えておるんですわ」
「うーん、その件なんだけどねぇ。私も色々考えてはいるんだけれど、中々良い考えが思いつかないんだよねぇ」
「食堂の営業時間、少しばかり伸ばせませんですかねぇ?」
「おばちゃん三人で切り盛りしてもらってるのに、それは流石に私も頼みきれないんだよねぇ」
「まぁ、確かに」
一同が深く「ハァ」とため息を吐く中、三途の川担当の獄卒である「奪衣婆」が声を上げる。
「予算さえ組んでくれたら、アタシが店開いても良いけどねぇ」
真っ白な長い白髪を掻き上げながら、随分と貫禄のあるしわくちゃの顔をニマリとさせる。
「そういえば奪衣さん、料理とか得意だったよね」
「昔取った杵柄さね、どうだい夕刻から開ける居酒屋なんてのは。どいつもこいつもストレス発散が出来ないってなら、一品つまんで酒を煽るのが一番さ」
この奪衣婆は生前、一品料理屋の女将と言う経歴を持っている。ちなみに奪衣婆としては五代目に当たるらしい。
何故そんな彼女が地獄の職員をやっているのかというのは……それはまた別の機会に記そうと思う。
で、奪衣婆がたまに差し入れする料理が、また中々の評判だったりもする。食した獄卒衆はみな口を揃えて「母ちゃんを思い出すなぁ」とホロリと涙を流したりもする。そんな鬼どもに奪衣婆は、「なんだいだなしのない鬼だね」っと、まんざらでもない感じで返したりする位はユーモアも肝っ玉も座った鬼である。
そんな彼女が店を開くというのだから、親方衆も大いに賛同した。
「いやぁ、奪衣さんのメシが食えるってなら賛成ですわ」
「しかも酒もあるってなら、良い気分転換になりますぜ」
色めき立つ親方連中をよそに、奪衣婆は続ける。
「アタシが店を始めりゃ、雇用の問題も少しは貢献できると思うんだけど、どうだろかね大王様」
雇用問題というのは、何せ地獄の仕事である。屈強な男どもにはどうにか勤まるが、女性に関してはハード過ぎる内容である。
……まぁ、一部の天職とも呼べる女性を除けばの話ではあるのだが。
何にせよ、女性が地獄で働くには中々ハードワークの為、あまり人気のない職であるのは事実である。
以前お釈迦様との会合で、これからの時代は「男女雇用機会均等化」を視野にいれて雇用を増やさねば、働き手も救済がないままで先行きが思いやられると話し合ったばかり。
まぁ居酒屋一軒位の予算であれば……現状を顧みれば予算が下りない程でもないかなと考えた閻魔は、早速、奪衣婆の提案を飲み、企画、監修、コンセプトやメニュー開発にと並走を始めた。
そうして、「一品料理 三途」が地獄の三悪道である「火途」「刀途」「血途」を超えた先、三途の川のほとりに、看板娘の「鈴鹿」を迎え、二人体制でのオープンを果たした。
この居酒屋は始めこそ物珍しさで、多くの獄卒が足を運んだが次第に、小料理の美味さ、豊富な酒の種類、鈴鹿の愛嬌に、奪衣婆の人柄。いつしか疲れた獄卒衆の憩いの場となり、それは繁盛した。
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「一品料理 三途」の引き戸が、ガラガラと開く。
「いらっしゃい」
店の奥から奪衣婆のしゃがれた声が、今日も来客を迎える。
「あら、大王様。今お仕事終わりですか?」
おしぼりを手に、長い黒髪を結い上げ、割烹着に身を包む女性が店に入る閻魔を迎える。
彼女の名は「鈴鹿御前」
元は神聖を備えた者であり、鬼ではあるが、まぁ鬼には程遠いというか、随分複雑な境遇の持ち主である。
彼女は死後、天に上り趣味のガーデニングの才を見出され、庭園の管理を任されていた。
しかし今回の地獄居酒屋計画を、以前から親交のあった司命から聞きつけると、お釈迦様や阿弥陀様に申し出て、自ら地獄へと降り立ち事業を手伝いたいと申し出たのであった。
端正な容姿に、透き通るような白い肌。溢れる教養でどんな者とも分け隔てなく話す彼女は、まさに看板娘と呼ぶに相応しい。
「やぁ、鈴鹿君。今日も賑やかだね」
「おかげさまで……と言うのはいささか皮肉にはなってしまいますが、皆さんここで笑顔になって頂けてるので、ワタクシとしましては大変やりがいを感じます」
「苦労かけちゃうかもだけど、無理せずに働いてね? ここの就業時間も随分遅いから」
「その辺りは心配ございませんわ、これでもワタクシ、大変充実しておりますので。さぁ大王様、立ち話もなんですのでお席にご案内差し上げますね」
鈴鹿はニコやかに笑うと、閻魔をカウンター席の奥へと案内した。
店内は仕事終わりに酒を煽る獄卒で溢れており、大変賑やかである。その様子に閻魔はフフッと笑みをこぼすと、鈴鹿に早速料理の注文を取ってもらう。
「大王様、本日は如何いたしましょう?」
「そうだね、和風オムライス特盛と、ピリ辛叩きキュウリ。それと豆腐と揚げのみそ汁をお願いしようかな」
「かしこまりました。奪衣さーん、オーダー入ります」
「あいよ」
奪衣婆がオーダー用紙にちらりと目を通すと、閻魔に視線を移しタメ息交じりに話しかける。
「閻魔様、ダイエットはもう止めたのかい?」
彼女の言葉に、閻魔は苦笑いをしながら返事をする。
「あ、あはは。わかってはいるんだけどねぇ。この時間まで働いてると、ついついお腹が空いちゃってね」
「そんなだから、健康診断で毎回渋い顔されるんだよ。オムライスはレディースサイズに変えとくよ」
「えぇ、そんな殺生な……」
「何言ってんだい。アンタの身に何かあったら、たまったもんじゃないよ。折角、ここも軌道に乗ってきたってのにウチのメシで体調崩したなんて洒落にもならないよ」
「まぁ、うん……そうですね」
この様に、奪衣婆は食堂のおばちゃんたちとは違い、注文する内容にも平気でケチを付ける。
これも、顧客との距離が近いからこそ出来る芸当でもあり、何気に彼女が一人ひとりしっかりとコミュニケーションを取っているからである。
獄卒衆から、第二の母ちゃんと親しまれるのはそういった背景もあるのかもしれない。
頼んだ料理が出来上がり、鈴鹿が閻魔の前に配膳するとそこには頼んだ覚えもない烏龍茶がスッと差し出される。
「あれ? 奪衣さん、烏龍茶は頼んでないんだけど」
「そいつは黒烏龍茶だよ。脂質の吸収をそれなりには抑えてくれるから飲んどきな」
「何か気を使わせちゃって申し訳ないね」
「そう思うんなら、さっさと健康体になっておくれ」
ハハハッと笑う奪衣婆の姿に、閻魔はこの計画進めて良かったなぁと心底感じるのであった。
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閻魔が食事を済ませるころには、当たりの獄卒衆もひとしきり引き上げており、店内は少々静かになっていた。
閻魔と奪衣婆それに鈴鹿が談笑をしていると、店の引き戸がガラガラと開く音が聞こえる。
奪衣婆が「いらっしゃい」と声をかけるとそこには、缶酎ハイを片手に司命がフラフラとした足取りで店内に入り込んできた。
「なんだい司命、もう出来上がってんのかい?」
「だっちゃん、梅水晶に酢モツ。あと日本酒を燗付けで」
「司命ちゃん、おしぼりどうぞ」
「ありがと、鈴鹿」
随分と酩酊している司命を見て、閻魔の顔は「嗚呼」っといった具合に何とも言えない表情へと変えた。
「おや? そこにおわすは閻魔殿」
調子よく話しかける彼女に、今日の業務なにか変な事あったっけ? と一日の出来事を閻魔は思い返そうとするが、そんな彼をよそに隣の席に陣取った司命は、普段の彼女からは想像も出来ないほど饒舌に話しかける。
「司命君、今日はそのまま帰宅したんじゃなかったっけ?」
「いやぁそれが、冷蔵庫開けたらお酒以外何もなかったんですよ。なんで、この時間ならまだ、だっちゃんの所開いてるし飲みながら歩くかあぁてなもんで」
「うら若き乙女が缶酎ハイ片手に、地獄の夜道を歩くってどうなの……」
「何を言ってるんですか閻魔殿、勝手知ったる地獄の釜戸ですよ? そこかしらには身内しかいませんわ」
「う、うーん。そう言う意味じゃないんだけどなぁ」
「ほら熱燗に梅水晶、それに酢モツだよ。酔っ払いがそう人様に絡むもんじゃないよ」
奪衣婆が手際よく、カウンター越しに料理を司命の前へと並べる。店内の照明でキラキラと輝く小鉢の料理からは、ポン酢の香りが、梅肉の爽やかな香りが彼女の食欲を刺激する。
「やっぱり足の速い料理は良いね。酒と同時に出てくるのが文句なしだよ」
「まったく、この子がこんな酒にだらしないとはね」
「アタシはだらしくなんてないよ、どんなに飲んだって記憶をなくしたりなんてないしね」
「全く褒められたもんじゃないよ。記憶を無くさなかろうが、人様に迷惑をかけたらそれは酒飲みの咎ってものさね」
「あーあー、だっちゃんは今日も厳しございますね」
話も半分、熱々の酒に手を伸ばす司命はグイッと一杯飲み干す。
「あぁ、冷たい酒も良いけれど、熱い酒も最高だね」
「そこにすかさずつまむこの酢のモノ。全く最高だね」
出された料理に舌鼓を打ち、ニコニコと笑みをこぼす彼女に鈴鹿は呆れた様子で話しかける。
「司命ちゃんって、昔っから渋い趣味してるよね」
「そう? まぁでも、一緒に飲んでたのって鈴鹿くらいだったもんね」
「そうそう、司録君は下戸だったしね」
軽く昔話に花を咲かせる二人に、奪衣婆は「鈴鹿、今日はもう上がって良いよ。たまには二人で飲んだらどうだい」と声をかける。
「えっ、でもまだ閉店まで随分ありますよ?」
「構わないさ、これくらいの客入りならアタシ一人でサバけるからね」
「それではお言葉に甘えて」
「お? 良いね、気分が上がってきたよ」
「ふふっ、本当に二人で飲むなんて久々だものね」
「それじゃあ、今日は飲み明かすといたしますか」
「あの、司命君。程ほどに楽しんでね? 一応、明日も業務があるから……」
盛り上がる二人に、閻魔は苦笑いをこぼしながら声をかける。
「心配しなくても大丈夫ですって、アタシこう見えて自制が出来るイイ女なんですから」
調子よく語る彼女に、閻魔は本当に大丈夫かなぁと心の中でぼやきながら店を後にした。
……そして次の日。
案の定、司命は朝まで飲み散らかした様で、受話器越しに聞こえる彼女の声は呂律が回っておらず、業務が出来る状態ではないと悟った閻魔は、そっと電話を切ると司命のデスクから有給用紙を取り出して、スラスラと手慣れた手つきで代筆を行い、司録へと手渡した。
「……またですか」
「まぁ、有給あるし多少は……ね?」
「あまり甘やかしすぎるのも、僕はどうかと思いますけど」
「……そうですよね」
「全く、しっかりしてくださいよ」
司録は、やれやれと言った具合に、提出された有給用紙に承認印をタメ息交じりにダンッと捺しつけた。
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