オオサカ地区北部
小規模ダンジョン【太陽の塔】B1F
僕がソロでダンジョンに潜り始めて一か月が経った。
ダンジョンに潜る事を生業する者達――通称ルインダイバー、そんな彼らが好んで使う衣装、ダイバースーツを僕は身に纏い、バックパックを背負って、【太陽の塔】へと降り立った。
武器は鉄棒の先を尖らせて作った簡易の鉄槍と腰にぶら下げている何の役にも立たないただの筒だけだ。
このダンジョンは階層もたった3階層しかなく、めぼしい遺産や遺物はとうの昔に他のルインダイバー達に取り尽くされている。それでも弱い小型のマモノは未だにどこからか湧いてくるのだ。
そんなダンジョンの一階層最奥に僕が辿り着いた時、そこは前まで行き止まりだったはずなのに、壁が崩れて奥から光が漏れていた。
ダンジョンは基本的に構造が変わる事はない。しかし頻発する地震により、崩れたりもしくは新たな場所が開けたりする場合もある。そういえば昨晩大きな地震があった事を思い出した。ここもそうして出来た場所なのかもしれない。
僕はゆっくりと崩れた壁を乗り越えた。
その先は見た事もない場所だった。例えるとすれば、車庫だろうか? 朽ちた大きな鉄くずがあちこちに転がっている広い空間だ。その朽ちた鉄くずは良く見れば翼がついており、それは古の時代に人を乗せ空を自由に飛んだ機械――飛行機だという事に僕は気付いた。
「実物は初めて見た……凄い」
錆びてボロボロになっており動きそうにないが、その流線型のフォルムは僕の心を強く惹きつけた。それは、僕の頭上にいた異質な存在を見逃す程度には、僕の視線を奪っていたのだ。
だから、ソレが頭上から僕へと声を掛けてきて――死ぬほど驚いた。
「人間!?」
「うわあ!!」
ソレに対する僕の第一印象は、妖精、だった。
とはいえ妖精といっても当てはまる特徴は、小さくて羽が生えた少女であるという点だけだ。
大きさは手のひらぐらいだろうか? 着ている服はなぜか僕らが着ているダイバースーツと酷似した物で、薄い生地で出来たボディラインを強調するような生地に、動きを邪魔しないように軽い素材のアーマーで各部位を覆っている。足元も同じ素材で出来たブーツのような物を履いていた。ダイバースーツには青い回路が刻まれていて、背中から生える羽らしき機械から同じ青色の光翼を出している。
その愛くるしい顔も、顔の半分近い面積をゴツいゴーグルで隠しており、その上で光翼と同じ青色のショートカットヘアーが揺れている。
僕はソレが一瞬、ダンジョン内に現れる敵性生物であるマモノかと疑ったが、彼女からは敵意も悪意も感じなかった。そもそも、喋るマモノなんてこれまで発見された事がない。
「お前は……なんだ?」
「ん? あたし? あたしはグリン! 正式名称は長ったらしいから割愛っ! ま、それ以外はイマイチ覚えてないんだけどね!」
グリンはゴーグルを手で上げると、その大きな金色の瞳で星は出そうなウィンクをした。
「グリン? いや待ってくれ、そもそもここは何処だ?」
「私の食料庫だけど? 地震のせいで、変なところに繋がったっぽいのよねえ。でも人間で良かった……」
「食料庫?」
「そうだよ? だってあたし――グレムリンだし」
グレムリン。その名を僕も聞いた事がある。それは機械と故障を司る妖精でダンジョンの深部に住んでいるとルインダイバー達の間で囁かれる都市伝説。
「まさか実在していたとは……」
「何よ、人を幽霊みたいに」
「なぜこんな浅い階層に?」
「浅い? というかどこに繋がったの?」
「ここは【太陽の塔】の第1階層だよ」
「あー、全然分かんない。なんかね、あたし記憶がないっぽいの。自分の事はわかるんだけど、なんでここにいるのか分かんないし、知識もどうも欠落してるっぽいのよねえ。力もほとんど失ってるし」
困ったわ、と言いながら全然困ってなさそうなグリンを見て、僕はどう返したらいいか分からなかった。
「んーでも、なんだろあたし、君のそのエーテル武器が妙に引っかかる」
「へ? エーテル武器? これの事か?」
僕は腰にぶら下げていた筒――【悔恨の柄】をグリンに見えるように掲げた。鈍色に光るそれはグリップが付いており、一見すると何かの柄のように見えるが、刃はなくやはりただの筒でしかない。
「それそれ……なぜだろう……見覚えがあるような……」
「これは僕の武器――ルインダイバー専用の武器で固有武装って呼んでるんだけど……僕の奴に関しては、何の役にも立たないただの筒だよ」
むむむ……と悩み始めるグリンだが、僕は少なくともグリンとは初対面だ。僕以外にも同じ物を持っている人がいた……?
そんな事を思っていると突如、爆音が響いた。
「っ!? 今のは?」
「んー? あ、なんか向こうの壁が今崩れたね。げ、水が入ってきてる」
グリンの視線の先を見ると、どうやら隣接していたらしい地下水路との間の壁が決壊し、水が流れ込んでいた。
「水……だけじゃないぞ!」
僕は流れ込んできている水の不自然な動きを見たせいで、脳内で最大限の警報が鳴った。
水と共に何かがこちらへと向かってきている。何が不自然かというと、その姿が見えないのだ。そのいるはずの存在は見えず、水だけがその透明な巨体から滴り落ちている。その大きさから見て、体長は3mほどだろうか?
水の落ちる軌跡で、その姿は見えないながらも二足歩行している人型だと分かるが、かなりの前傾姿勢で両手が床に届きそうなほどに長いのが気になる。
いずれにせよ、あの大きさの人型で、透明化出来てかつ水の中に潜んでいるマモノなんて僕は一つしか知らない。
「なんでここに――グレンデルが!」
グレンデル――それを狩る目安として与えられたランクはB。このダンジョンはFランクのゴブリンしか出ないはずで、そもそもグレンデルはこんな浅い階層で出るはずのないマモノだ。
普段は水中に潜んでいて、背中から尻尾へとかけて機械化しておりそれによって透明化できるのが特徴だ。少なくとも、Bランクのダイバーがソロで倒せるか倒せないかの強さを持つグレンデルを、僕一人で狩れるビジョンは一切見えない。
「まずいまずい……逃げるぞグリン!」
僕は崩れた壁の方へと逃げようとし、視線をグレンデルから少しだけ外した。たったそれだけだったのに。
「……っ! 避けて!」
グリンの警告と共に腹部に強烈な衝撃。地面を蹴って接近してきたグレンデルの拳が僕の腹部へとめり込み、その振りぬいた勢いのまま僕は吹き飛んだ。
浮遊感の後に僕は鉄くずに激突し、視界が真っ赤に染まった。強烈な吐き気と腹部の痛みで泣きそうだ。もしダイバースーツを着ていなかったらきっとあのパンチは簡単に僕の腹部を貫通していただろう。
「っ!! ち、近付くな!――【欠陥領域】」
グリンが倒れた僕の傍に飛んでくると、羽を広げた。その瞬間にグリンを中心とした半径3mほどの半透明なバリアが球状に現れ、僕とグリンを包んだ。
するとなぜかグレンデルはそれを見て、後ずさる。
「これは……?」
僕は腹部を庇いながら、起きあがった。グレンデルは依然として見えないが、床が水浸しになっていて、立っている場所の水だけが不自然に凹んでいるおかげで位置だけは把握できた。
「今唯一あたしが使える力だよ。この領域内に入ると機械部が不調になってしまうからあいつらは嫌がって近寄らないの」
「機械部が不調になる……?」
ダンジョン内に現れるマモノ達の姿形は様々だが、共通する部分がある。
・そのマモノを象徴する部分や特化している部分が機械になっている。
・その機械部のどこかにコアと呼ばれる部品が含まれており、それを取り除くもしくは破壊しないとマモノは活動停止しない
・マモノの機械部の箇所は種族で共通しているが、コアの位置は個体毎に変わる。
なので、機械部が不調になるという事は、全てのマモノに対して効果があるという事になる。
「うん、グレムリンの力。それ以外も色々あるはずなんだけど……今のあたしにはこれしかなくて、これだけだとあいつらは倒せないからこうして隠れていたんだけど……君が現れたから」
「なあ、グリン。この力を使いながら動けるか?」
僕はこのマモノ避けのバリアを張りながらここから脱出できないかと考えたのだが、グリンは力なく首を横に振った。
「発動中は動けないし、一回使うと再使用には少しだけ時間がかかるから、連続では使えないの」
「……効果時間は?」
「あと1分ぐらいしか持たないかも」
「そうか……」
僕は脳をフル回転させる。この状況は非常にまずい。
このバリアが解けた瞬間にグレンデルは僕らを襲ってくるだろう。ここから逃げるには、来た道を戻るしかない。グレンデルが現れた水路は危険過ぎる。
だけどグレンデルが素直に僕らを逃がしてくれるだろうか? 僕にはそうは思えない。それにルインダイバーの鉄則なのだが、格上に対して背中を見せて逃げるのは――最もしてはいけない事なのだ。
さっきだって視線を外しただけで襲われた。
ならば……倒すしかない。
僕が持っているのは鉄槍とこの何の役にも立たないただの筒。唯一希望があるとすれば……グリンの力だけだ。
「グリン、この力について分かる事を全部教えてくれ」
「え? うん。この力は――」
僕はグリンの説明を聞き、戦術を練る。
その中で、僕にとって最も重要な事をグリンに聞いた。
「……再使用までの時間は?」
「えっとね。大体3分ぐらいかな?」
「3分か……分かった。グリン、今すぐ【欠陥領域】を解除してくれ。3分後僕の合図でもう一度使って欲しい。そして絶対に僕から離れないで」
「良いけど……その3分の間、どうするの?」
「……足掻くだけさ。万年Fランクの逃げ足を見せてやるよ」
僕は自嘲気味に笑いながら、鉄槍を構えた。グリンの力――【欠陥領域】が彼女の説明通りなら……勝てる。
こうして万年Fランクダイバーの僕と、力を失ったグレムリンというなんとも頼りないコンビの共闘が始まったのだった。
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