彼女は、本来社交的で明るい性格を持ち、いつも笑みを絶やさない人でした。
しかし、ある時を境にその笑顔に黒い影が刺すようになったのです。そう、母親が亡くなってしまったことです。
変わってしまった彼女から始めて聞いた言葉は、『お母さんが病気で寝込んじゃった』。村の人たちは心配して、村長が代表してお見舞いへ行くことになりました。そこで見たのは、眠っているはずなのに開ききった、焦点の合わない虚ろな瞳。死人のように青白い肌からは生気を欠片も感じられませんでした。それが比喩でなく、本当に死人だと言うことには、まだ気づいていませんでした。
差し入れのりんごを切り、しぼったタオルを乗せるなど、普通の看病をしていたそう。
エルが言うには、母親に熱があるとのことだったので、額に触れたそうですが、手の平に感じるのは氷の如く冷え切った感触のみ。この時、エルの母親が既に亡くなっていることに気づいたそうです。
そのことをエルに話そうとすると、『そろそろ帰ってもいいよ。あとは私がやっておくから』と言って家から追い出されたそうです。
次の日、その次の日とエルと話す機会を伺っていましたが、いつもタイミングよく話を断られてしまうのです。その時の彼女からは、何かから逃げるような焦燥感があったそう。それと同時に、どこか狂気を感じさせる笑みをしていたそうです。
ある日突然、彼女は黄金蝶の鱗粉を集めに行く、と村を離れることが多くなりました。その隙にエルの家へ向かうも、香るのはチーズを腐らせたような腐敗臭ばかり。
やはり、彼女の母親はもう、居ない。
「……と言う訳じゃ」
「……」
母親の死を頑なに認めず、現実から逃げるように黄金蝶の鱗粉を集める少女。生きていると、そう信じ続ける狂気。
……やはり、同じ境遇に身を置いた者として、放っておくわけにはいきません。
「……彼女のこと、私に任せてくれませんか?」
「なぬ? それはつまり……」
「えぇ。エルさんに現実と向き合せます。逃げているだけじゃダメだって、そう伝えます」
「なんと……! わしからも頼もう。エルを助けてやってくれ。同じ村の仲間として、捨て置くなどできん」
「はい、任せてください」
そうです。私だって、お母さんが死んじゃったなんて本当は認めたくありません。夜、押し花を本から取り出すたびに思い出してしまうんです。お母さんはもう居ないんだ、って。でも、私は前を向くことができた。私たちを迫害するあの村から逃げると言う目標があったから頑張れた。だったら、彼女にも何か目標を与えてあげればいいのです。
私は、村長の家で一泊させてもらい、翌朝に再びエルさんの家を訪ねることにしました。エルさんの家まで行くと、ちょうど瓶を持って出掛けようとしているところでした。
「あ、旅人のお姉さん。おはよう」
「おはようございます。……今日も、鱗粉集めに行くんですか」
「はい! 早くお母さんの病気を治してあげなきゃですから」
「……エルさん、もうやめてください。あなたのお母さんはもう━━」
「私、もう行きますね。蝶が多い時間帯を逃しちゃうので」
「逃げないでくださいっ!!」
「きゃっ!?」
エルさんが走って逃げ出そうとしたところを、氷の壁で、行く手を阻みました。
「嘘をついて、目を逸らして、現実から逃げるのはもうやめにしてください! 蝶の多い時間帯はお昼頃でしょう? あなたが教えてくれたじゃないですか。こんな早朝じゃなかったはずです」
「うぅ……」
「あなたは現実と向き合うべきです。お母さんは病気なんかじゃなく、もう亡くなっているのだと。気づいているんでしょう?」
「違う! 違う違う違う!!! お母さんは、死んでなんかない! 病気を治して、また私に笑ってくれるんだ!」
事実を知っていて尚、逃げ続けようとするエルさん。私は、懐から一輪の花を取り出しました。
「いいえ。笑わなければいけないのはあなたです。これを見てください」
「それは……お母さんの部屋にあった……」
「そうです。あなたのお母さんが部屋に飾っていた花で、ミムラス、という花です。お母さんが大事にしていたというこの花ですが、花言葉を知っていますか?」
「……ううん」
「ミムラスの花言葉は、『笑顔を見せて』あなたのお母さんは、エルさんの笑顔が大好きだったみたいですよ。だから、笑ってください。大好きなお母さんのために」
「お母さん……う、ふ、あ、あぁ……」
言葉を重ねるうち、彼女の目から大粒の涙がこぼれ落ちました。エルさんが泣き止むまで、私は彼女を抱きしめていました。
静閑とした朝のカリア村に、彼女の泣く声ばかりが響きました。
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その後、エルさんの母親の葬儀が行われました。私は部外者なので離れて見ているだけでしたが、ミムラスの花を送っておきました。ミムラスは明るい赤や黄色の花で、きっとエルさんにも似合うでしょう。
葬儀が終わると、村の人々が私にお礼を言いにきました。どうやら、村のみんながエルさんを心配していたみたいですね。そして、最後にエルさんがやってきました。
「これをお姉さんに返そうと思って」
「これは……黄金蝶の鱗粉ですか?」
「うん。お姉さんが集めてた分。迷惑かけたお詫びに、私の分も入れたの」
「そうですか。では素直に受け取っておきましょう。わざわざありがとうございます」
「こちらこそありがとう!」
エルさんは満面の笑みで言いました。やはり、彼女には笑顔が似合います。ミムラスを送った母親の気持ちが少し分かった気がします。
金色に輝く蝶が、私たちの頭上を通り過ぎました。
短めのお話でした。次の第四章ではもう少し話数増えます〜
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