ジッちゃんの言葉は重く、それでいて大それていた。
意味不明だったんだ。
“試合に勝つ”
それが全てで、それ以上でもそれ以下でもない。
剣を握るっていうのは、“生きるか死ぬかの境界線に立つ”っていうことだ。
道場の看板にもそう書いてあった。
『生の中に剣があり、死の外に剣はなし』
これは試合に於ける生死の境界線を謳ったもので、勝負は常に“一度きりだ”という意味が込められている。
ジッちゃんは口うるさく俺に言い続けてきた。
「立ち合いは生きる死ぬかの分岐点だ。
竹刀が真剣であったなら、おそらく次はないだろう。
だからこそ竹刀を握る為に準備しなければならない。
一瞬の未来を切り開くのは、常に「今」しかないのだから。」
子供の頃はなんとなくわかったような気がしていた。
言葉の意味っていうか、その意味の中に込められている気迫…?みたいなものが。
ジッちゃんの背中を見てきた俺にとって、「生死」っていうのがなんなのかを、わかったような気でいた。
勝つか、負けるか。
そこに言い訳はできず、結果だけが全ての「時間」を支配する。
ようはそういうことでしょ?って、自分なりに解釈してたんだ。
どんな手を使っても、生き残ることだけが、「次」を連れてきてくれるのだから。
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