ボッ
沸騰する細胞。
泡立つエネルギー。
ブーニベルゼは次の動作に備えている。
——少なくとも、肘の位置は攻撃への角度を保っている。
両者が触れているのは互いの「間」だった。
斬撃が命中する距離。
その表面上には、すでに足を踏み入れている。
動こうとする動作と、斬撃が入った後の“現在”。
…止まらない?
思考が追いつけなかった。
「時間」は確かにそこにあった。
問題は、そこにあるべきはずの時間と、そこにあるはずのない【時間】が同居していたことだ。
怪物は止まらなかった。
それは“認識”できた。
ただ、その動作の渦中に起きていたことが、常識じゃ考えられないようなことだった。
止まりながら動いていた。
その「一連」は、互いに別の時間軸にあるかのように、別々の“視点”によって動いていた。
“細胞が再生する”
そんなのは正直、頭ん中じゃ理解できなかった。
「現象」として処理するには、あり得ないほど鮮明な“異常”だった。
瞬きもできないほどの両者の攻防。
剣道の戦いでもそうだが、相手の動きは目で捉えるものじゃ無い。
目はあくまで補助的な役割にすぎない。
大事なのは、「体の動き」がどこにあるか——
前に言ったかもしれないが、剣が届く“間合い”は、「動き」の延長線上にある。
静から動へと転化するには、一連の動作の中に重心を置かなければならない。
間に合うか間に合わないかの一線。
生と死の境界線。
そこに「目」は追いつけない。
追いつけるのは、剣が届く距離と“タイミング”だけ。
だからこそ、俺の目には「違和感」が走った。
「静」と「動」が同じ時間の中に“進んでいる”。
——そう
それに違いなかった。
「2つ」が1つの中にあった。
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