「なあ、本当は居るんだよな?」
シオサイ歯科医院が店を閉めてから一週間が過ぎた。
そこで不審に感じた僕は病院の勝手口にノックをしていた。
入り口のチャイムを何度も鳴らしても中から出てくる気配はなく、スマホに電話しても応答のない燐香さんに多少の苛立ちを感じながら……。
「恐らくは高確率で居留守だな。さて、どうしたもんかな」
僕は月夜をバックに、丁寧に磨かれた燐香さんの白い軽のワンボックスカーを横目にやりながらこの解決策を練る。
車があるということは、やっぱり家にいるのだろう。
ここからスーパーは少し離れた場所にあるので、この車による交通網を使わないとは考えにくい。
「こうなったらやることは一つしかないな」
僕は中庭へと回り込み、数種類の観葉植物を育てている植え木の鉢の底を動かし、地面に置かれた光る鍵を見つける。
これは僕が鍵を忘れた時に使うスペアの合鍵だ。
日頃から鍵をよく無くす僕が燐香さんにお願いして作ってくれたものでもある。
「おっ、ちゃんと鍵はあるな」
日頃、細かく気配りができる燐香さんは仕事で疲れているのか、それとも僕の存在に興味すらないのか。
隠している場所から、ほぼ手つかずである鍵を摘まんで再び勝手口に向かう。
正面の玄関からでも入ることは可能だが、それだと防犯ライトで警戒される恐れがあったからだ。
「燐香さん、入るよ? お邪魔します」
合鍵でドアを開け、電灯もついていない暗がりの台所に粗相がないように入り込み、丁寧に靴を揃えて燐香さんを探す。
「暗くて何も見えないな。そんなことより、まずは灯りの確保だな。スイッチはどこだと……」
僕は壁を手探りでスイッチに触れて、周りの電気をつける。
「なっ、成垂太君? こんな時間にどうしたの?」
「おわっ、前にいるなら言ってよ!?」
視界が明るくなった途端、目の前にいた燐香さんに驚きながら、彼女を改めて視点に入れる。
鼻声の彼女はまぶたを腫らして、目はウサギのように真っ赤だった。
「燐香さん、ここで泣いていたの?」
「えっ、何でもないわよ。少し昔を思い出しただけ」
「辛いのなら僕に心を打ち明けて下さいよ」
「ふふっ。高校生が何をませているのやら」
「確かに。でも僕も一人の男です。泣いている女性を目の前にして今さら引き返せませんよ」
「成垂太君は優しいのね。そうね、少しだけ昔話をしようかしら」
燐香さんが手元のピンクのハンカチで涙を拭いて、僕に話し出す。
僕は彼女の告白に謙虚に耳を傾けていた……。
****
「実は私、離婚してバツイチなのよ」
「えっ、そうなんですか?」
彼氏がいないことは付き合う前から知ってはいたが、まさか結婚していたとは。
僕の心は衝撃を重ねていた。
それ相応の歳の子供とかもいるのだろうか……。
「お互いに仲が良かったのだけど、旦那が種無しでね。子宝に恵まれなかった」
種無し。
男性に見られる症状の一つ。
詳しい理由は定かではないが、女性との妊娠が望まれないため、色々と問題になりつつある病気の一種らしい。
他の男性からの遺伝子を採取して人工的に望みを叶えることもできるが、そうなると他の男性の遺伝子を引き継ぐため、様々な問題部分も出てくるとか……。
しかし子供がいないのは救いだな。
いくらバツイチでも自身が産んだ子持ちとなると話は変わってくる。
好き通しで付き合ったとはいえ、小さい子供ほど、親の入れ替わりには敏感だからな。
「彼とは子供の件で、しょっちゅうもめたわ。そして、意見の食い違いで離婚。彼にとっては私は性欲を満たす道具にしか見ていなかったの。そして専業主婦だった私はこの歯科医院で生計を立てるようになったの」
僕は黙って話を聞くことしかできなかった。
そこに愛はなく、体を重ねるだけの関係だなんて虚しすぎる。
燐香さんは若いなりに僕の知らなかった苦労を重ねてきたんだな。
「燐香さん、人間なら誰でもそういう欲はありますよ」
人間の最大の三つの欲求でもある、食欲、睡眠欲、性欲。
特に性欲に関して、男性は年齢と共に薄れていくにも関わらず、女性はその欲望が増える一方。
世の中の男性諸君もそれに対抗すべく、様々なサプリや栄養ドリンクで力を維持しているらしいけど……まあ、僕はまだ若いからそれとは無縁だろう。
「それに彼とは別れたんですよね。今は僕がいるじゃないですか」
僕も弱い女性を守る男だ。
彼氏として、自信を持って彼女の前で胸を張る。
「うふふ。成垂太君は本当におませさんよね」
「からかわないで下さい」
「ああ、話をしたら何かすっきりしちゃった」
「それは良かったです。僕も力になれて嬉しいです」
「じゃあさ、成垂太君。君のために残しておいた事務仕事の手伝いでもやる?」
「えっ、わざわざ仕事をとっとかなくても?」
「ごめんね。どうも私、パソコンの扱いが苦手だからさ」
僕にパソコンの基本を教えたのによく言えるな。
それで今までどうやって経営してきたのか。
有名菓子チェーンの濃厚でほっぺが地に落ちるほど美味しいクリームパンを差し入れするからと事務員にお願いして頼んでいたのだろうか。
「はい、ここは僕がやっておきます」
「成垂太君、ありがとう」
僕に微笑み返す燐香さんは可愛らしく天使のように美しかった。
****
あれから数年後……。
年中常夏の楽園バワイにて、舞台は新たな始まりを迎えようとしていた。
オーシャンブルーにて、優雅に空を羽ばたくカモメの声にのり、『リンゴーン、リンゴーンー♪』とチャベルが鳴る。
ネズミ色のタキシードが似合わない若い男性と、上品な白いドレスが似合う大人な女性が小さな教会の中で式を挙げていた。
「それでは誓いのキスを……」
「えっ、みんな見てるよ。こんな公衆の面前でそれをやっちゃうの!?」
「ふふっ。もう初めてじゃないでしょ。キスくらいで動揺しないの」
新郎は照れながら花嫁衣装の彼女に問いかけるが、むしろ彼女の方がこんな状況に慣れていて自然体だった。
「まあ、君は一度式を挙げているからな。平常心と……」
「あははっ、声に出てるわよ」
「うがっー、やってしまった!?」
「本当、いくつになっても子供みたい。それよりもやらないと終わらないよ?」
「ああ、分かったよ」
二人は永遠の誓いを神父の前に告げて、そっと柔らかい口づけをした……。
fin……。
医院の中で心細そうにしていた燐香に優しく手を差し伸べて、黙って話を聞く成垂太。
こんな王子様のような男が現れたら、思わず心を許してしまいそうになる。
まさにタイトル通りの甘く濃厚なクリームパンのような物語の進め方でした。
実は設定当初は燐香は既婚者であり、旦那と上手くいってなくて、成垂太に心惹かれてしまい、ずるずると三角関係になり、最終的には成垂太が彼女をのっとる……という昼ドラのような内容でした。
ですが、それは流石にやり過ぎかと感じ、バツイチで子供はなしで、成垂太も正統派な王子様風というライトな方向に変えています。
最後の式でのシーンは特にお気に入りで、久々に素敵な締めができたなと納得できるような作りとなっています。
しかし、この作品はもっと幅広い読者さんに作品を発信しようと初挑戦した ※全年齢対象版にも関わらず、第1話が少し過激な設定だったせいか、読者層が思ったように伸びず、前回に書いたホラー作品と似たような感覚を感じ、自分に文芸を語るのは無茶過ぎたのかと思っていました。
(※ここの小説サイトではRー15指定にしています)
それからもめげずに書いて、一年後、とあるゲームエッセイ作品が大きく評価され、私も小説を自分なりに自由に書いていいんだと大きく心を鼓舞され、今の創作活動に至るというわけです。
小説とは所詮、自分の作品は駄作だから、読まれないからとウジウジ悩んで引っ込み思案にならず、とりあえず考えた作品を可能性に関わらず、じゃんじゃん生み出して、沢山の人の目に触れさせてみた方がいい。
そうすることで、初めて本当の小説の書くこと、読むことの良さ、大切さを知ることができる。
そう思わせたきっかけをくれたのはこの作品からでした。
改めてこの作品と応援して下さる読者さんに感謝です。
──この作品を最後まで読んで下さり、誠にありがとうございました。
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