宝伝図書館、事務室。
太陽が別れを惜しんでいる。辺りは暗くなり始め、空気もさらに冷え始める。
「どうだ」
電気が部屋を照らしている中、館長が本棚の間から顔を覗かせた。
「ダメです」
オレは書物から顔を上げ、落胆した様子で首を振る。それを聞いて、館長もがっくりと肩を落とす。
オレが匠さんの所から帰ってきてから二人で文献を漁って、今日で五日目。一向に実就様が夜市に行ったとか、簪を買ってきたという話は見つからない。
「もうこの方法でやるのは、キリがないということが分かった。作戦を変えよう」
館長が白旗を上げたので、オレは意表を突かれる。
「どう変えるんですか」
「お前は実就様の奥様、芍薬様を調べろ。そっちの記録にも、簪のことが書かれているかもしれない。そこから何か分かるかも」
オレは大きく頷く。それを見て、館長は自慢げに「急がば回れだ」とキメ顔をした。
それから、芍薬様に関する記録を片っ端から読んでいくこと丸一日。
「ありました!」
遂に、オレは記載を見つけた。
『玄磨二十年三月十五日
百合様のお誕生日。百合様は、産んでくれた感謝の気持ちだと、芍薬様に紅色の玉簪を贈った。芍薬様は大変お喜びになっていた』
館長も急いでオレの所へ駆け寄ってくると、書物を覗き込む。
「百合様からの贈り物だと? いくら実就様の文献を探しても見つからないわけだ」
館長は渋い顔をする。
「えっとつまり、睡蓮さんと実就様の接点を考えると」
ここでオレは、一旦分かったことを整理する。
「将さんの恋人だった睡蓮さんと、将さんの客だった百合様が知り合った。そこから百合様繋がりで睡蓮さんと実就様は知り合った。って感じですかね。今のところ、同じ簪を持ってたっていう弱い状況証拠しかないですけど」
館長は長く息を吐きながら、腕を組んだ。
「立証するには、睡蓮と百合様、睡蓮と実就様が繋がっていた証拠が必要だ。どうする?」
館長に聞かれ、オレは顎を摘んで考えた後答える。
「両者とも接点のある、睡蓮さんの詳細を調べます」
「なぜ」
「さっきみたいに一方向から調べるだけより、多角的に調べた方が効率がいいです。睡蓮さんはまだ調べてませんし。それにこの仮説だと、どちらとも関わりがある重要人物なので、両方の証拠を見つけるのにも役に立ちます」
館長は「よし、いいだろう」と言うと、オレの肩を叩いた。
翌日、十二月八日。汽車に乗って、幹川まで来た。
雪がちらつく中駅から歩いて、町の中心から離れた村に着く。幹川は交葉に次ぐ栄えた街だが、外れにくればその面影はない。畑が続く土地に、幾つかの家が見える。
細い脇道に入り、小山を登っていく。山頂には、古くて小さいお寺がポツンと建っていた。
「これはこれは。客人なんて珍しい」
境内で箒を掃いていた六十代ほどのお坊様が、オレを見て手を止めた。
「お初にお目にかかります。宝伝図書館から来ました、司書見習いの宮峰 燈留です」
オレは歩み寄ると、挨拶する。
「初めまして。私は千令法師、ここの住職です」
住職はにこにこした様子で、自己紹介してくれた。
「お約束もなしに大変失礼だとは思うのですが、少しお話しを伺いたくて。お時間をいただけませんか」
オレは頭を下げてお願いする。すると住職は「構いませんよ」と快諾して、お寺の小さな和室へ招き入れてくれた。
「それで、一体どのようなお話で?」
お茶を差し出しながら、住職が尋ねてくる。私は一口いただいてから、説明する。
「花水木の伝記を書くよう、実正様から命じられまして。隊長を務めていた和歌山 牡丹様のことを調べているんです」
「それは、大変な重職を仰せ付かりましたね」
住職は感心したように、うんうんと頷く。
「地域の事情をよく知るのはそこの住職さんですから、ぜひお話をと思いまして」
「牡丹ちゃんは、和歌山さん家の一人娘です。優秀な子でした。寺子屋から推薦されて、役人を輩出した実績を持つ、街の方にある塾へ寄宿していたことがあるほどです。しかし、一年で戻ってきてしまいまいした。自分に限界を感じたようです」
住職はずずっと、お茶を啜る。
なるほど。どうりで、会話の端々から教養の高さを感じたわけだ。
「彼女の母親と面識はおありですか」
オレは懐から、小さな雑記帳と万年筆を取り出す。
「睡蓮さんですね、あります。将さんとこっちに来てから一年ほどで亡くなったから、付き合いは短かったですが。体の具合があまりよくなかったみたいですね。医者からは、気の病だと言われていたようです」
「どのような人柄でした?」
「大人しい印象ですね。ああでも、どこか良いとこ出のお嬢様なんじゃないかと、噂になってました。身なりは普通の庶民でも、所作までは隠し通せません。それでさらに、駆け落ちしてきたのではないかという噂を呼んでいましたね」
家柄の良い。ここが手がかりになりそうだな。
「出身について、何か言っていませんでしたか」
オレは万年筆を走らせる。
「さあ、聞いたことないですね」
「では、誰か親しかった人は?」
「いないと思います。あまり人付き合いを好まなかったので」
ここで、あっけなく糸口を失った。
気を落とした様子を感じ取られたのか、住職が「あまりお役に立てなかったようで」と謝る。
「いえ、そんなことはありません。あの、実就様との関係についてはどうでしょう。牡丹様は実就様の手助けを受けて、祖父を見つけ引越しました。ご両親のどちらかと、以前から親交があったのでは?」
オレは踏み込んだ質問をする。
「まさか。そんなことがあったなら、村中で噂になってますよ」
住職はあり得ないと首を振る。
でも、牡丹様が実就様のお子だとすれば、こっちに和歌山夫妻が引っ越してきてからも関わりがないと、勘定が合わない。牡丹様の誕生日は八月二十四日、夫妻が引っ越してきたのはその一年前だ。
「では、和歌山家に頻繁に訪ねてくる人はいませんでしたか」
「将さんの仕事関係の人ですかね。その他は、診ていた医者」
「夜間はどうです」
「ないと思います。ああ、でも」
住職が上を見上げて、何か思い出したような顔をする。
「引越してきてすぐ、真夜中に誰かが来て何やら密談していた。という話は、聞いたことがありますね。家の前には馬が何頭もいて、中から蝋燭の明かりが漏れていたそうです」
オレはそれに食いつく。
「それを聞いたのは誰ですか?」
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