ジメジメしてカビ臭い狭い地下道を、優、私、旗ノ柄、代表の順に一列で歩く。板で軽く補強されただけのようで、頭に土がこぼれ落ちてくる度に生き埋めになるんじゃないかと、嫌な想像が胃を痛めつける。
「まだ出口につかないんですか」
旗ノ柄が不快そうに聞いてくるので、私と代表がしっと人差し指を立てる。
「怖いからやめて」
「振動を起こすな」
私達は口々に囁く。
「僅かに風を感じるから、多分近い」
優が蝋燭を手に、小さな声で告げた。
優の予想は的中。すぐに橙色の光が上から差し込む所に着いた。
優が穴の下に立って見上げる。
「花水木だ。間違いない」
外からそう声が聞こえると手が伸びてきて、私達は次々に引っ張り出される。
外は草木あふれる山の中で、既に東の空も明るくなり始めていた。
「空気ってめっちゃ美味しい!」
旗ノ柄は歓喜して、深呼吸を繰り返す。
「またお会いできて光栄です。和歌山様」
二人の兵士のうち、ランプを持った一人の屈強そうな兵士が近づいてきた。
「金田さん。お久しぶりです」
私は偶然の再会に、少しびっくりする。
「ご無事で何よりです」
金田さんは胸を張り、指先まで神経を使ったような敬礼する。すると、もう一人の兵士も同じように敬礼した。
「そんな、堅苦しいのはいいです」
私はみんなの態度に焦る。自分より年上の男性が、こんなに畏まってお辞儀するなんて。
「さあ、早く車へ」
金田さんに促され山を降ると、細い道に軍用のトラックが停めてあった。私達はドラム缶が四つ置いてある荷台部分に、もう一人の兵士は運転席に乗り込む。
「諸星代表。これは、桃谷少将からです」
金田さんは代表に車の中から取ってきた書類を、代表に渡す。
「ありがとう」
金田さんが助手席に乗り込むと、車は走り出した。
「何の資料です?」
私は代表と共に書類を覗き込む。
「亀住 はじめについてだ。昨日三守少佐の証言をお願いに行った時、一緒に頼んでおいた」
風を切り、今来た所がどんどん遠くなる。もう戻れない。
午後の軍本部会議室。
ノックされてドアが開き、桃谷少将が入ってきた。
「桃谷少将」
私の周りにいる女性兵士二人が、敬礼しようとする。
「いいから」
桃谷少将がそう聞くと、女性兵士達は手を下げる。
「身支度は整ったようですね」
桃谷少将は私の前にやってくる。そして感心したように頷きながら、私の足の先から頭の先まで目を動かす。
「慣れないです」
私は振り返って、用意された姿見に映る自分を見る。
正絹で豪華な刺繍や模様が施された着物、まとめ上げられた髪には煌びやかな簪が何本も挿さっている。そして元服の時ぶりの唇に紅。
似合わない。身の丈に合ってない。
「行きましょう」
桃谷少将がドアを開けると、女性兵士が揃って敬礼する。
私はお礼を言って、部屋を出る。廊下を歩いて本部出入り口に着くまで、職員や軍人達がどこでも足を止めて敬礼してくる。これを私は、桃谷少将に向けられていると思い込むことにした。
「心の準備はよろしいですか。和歌山様」
桃谷少将が扉の前で私を振り返る。
私は胸に手を当てて目を閉じ、ふうっと息を吐き出す。そして、ゆっくりと瞼を開けて、桃谷少将を見て頷く。
すると、桃谷少将が扉を開けた。私は足を踏み出して外へ出る。その後を、桃谷少将と兵士達がついてくる。
閉められた門の向こう側に雑記帳と万年筆を持った記者のような人が何人かと、ちらほらとそれに釣られて足を止めた市民がいた。私を見て驚いているのは、『今後の対応について』という名目で幹部から発表があると思っていたからだ。
私は、門と建物の出入り口の中間地点に立つ。そして小刻みに震えている手を胸の前で握って、少し先の建物の屋根を見て人の顔が見えないようにする。
「私は和歌山 牡丹。三上家の血を継ぐ者です」
そして、大きな、でも緊張した硬い声で言う。
「今日ここに、領主として即位することを宣言します」
ざわめきやどよめきが聞こえる。でも、聞こえない。
「それにあたって、訂正しなければいけないことが二つあります。まず、私は祖父、実就の隠し子ではありません。私は、百合の娘です。駆け落ちして死んだことにされた母が、産んだ子です。そしてもう一つ、私は蓮田様殺しの犯人ではありません。昨日の夕刊にあった通り、私にはアリバイがあります」
飲まれそうなくらい澄み切った空だ。空気が冷えているので、朝日が暖かい。
「領主になった後の方針については、最初に、三上家で確保していた食糧を布地財団に全て寄付します」
すると、驚愕の声が上がる。
「反乱騒ぎで一番の被害者である国民に謝意を示すため、領主である私が痛みを伴う行動をすることは当然と考えます。なので国力が回復するまで、租税も引き下げます」
鳥が大空を悠々と飛んでいく。
「そして、巷で噂されている開戦については、断固反対を表明します。戦争をするには、重い税金を課す必要があります。国民が苦しむ中、私にはそんなことはできません。まず国民が元の生活を取り戻すことが先決です」
頬に刺さるような冷たさの風が、落ち葉を掻き上げて舞い上がる。
「私には、領主の教育を受けた過去はありませんが、能力者として三上家に仕えてきた過去はあります。歴代のどの領主より国民に近い立場で見てきた経験を生かして、この大役を務め上げる所存です。最後に、私を信じてくれていた人達に感謝を」
大きな拍手に包まれながら、私は正面に視線を下げる。話し始めた時とは比べ物にならないくらい多くの人々が、門の向こう側に集まっていた。
なんだか頭がぼうっとする。眩しすぎて、はっきりと辺りが見えない。
これで領主になったのか。夢どころの話じゃないな。
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