カーテン越しに、傾いた太陽が弱々しく最後の光を届けてくれる。
「昨日の夜、考えたの」
私は休憩室に座って話す。
「実就様が私の事を知っていて引き取らなかった理由は、百合様を連れ戻さなかった理由に繋がってるのかなって」
右隣に座った優は黙って聞いている。
「両親が幹川に引っ越してすぐ、誰かが夜中に訪ねてきたらしいの。それは多分、実就様だったんじゃないか。百合様は仕事が大きな負担になっている時期に芍薬様を亡くしていて、死亡直前の精神状態はかなり悪かったと記録されている。実就様は百合様を、三上家の人間としてよりも、一人の娘として大事にしたかった。領主として連れ戻すより、愛する人と幸せに暮らして欲しかったんじゃないか。宮峰さんは、そう言ってた」
カップの中の紅茶に、私の瞳が映る。
「実就様は私に、百合様のような決まった人生ではなく、貧しくても自由のある人生を送って欲しかったのかな。だから最後に私に、『自由だ』って言ったのかな」
私は懐から懐中時計を出す。綺麗な彫刻を指でなぞりながら、涙を落とす。
今では、全部推測の域を出ない。ちゃんと直接、実就様から聞きたかった。
「よかった。実就様も、オレの考えを後押ししてくれるんだな」
優は優しく私を見つめる。
「どういうこと?」
私が不思議な表情を浮かべると、優は答える。
「オレは、牡丹が領主になる必要はないと思ってる。常にどこかの国に自分の国を狙われて、その上国民からも突然刀を抜かれる。そんな茨の道を、自ら進む事ない」
優は真剣な表情で聞く。
「牡丹は、領主になりたい?」
私は少し俯いて、首を振る。
「私に、そんな大層な役を務められる力はない」
だったら、と優は私の手を握る。
「二人で逃げよう」
優を見上げると、目が合う。迷いのない深い茶色の瞳は、どこまでも私を引き込む。
「オレはそれでも構わない。そのためにこいつをもう一回持った」
優は腰の左側に挿さった刀の柄に手を置く。
「絶対に守り切ってみせる」
優の言葉が痛いくらい真っ直ぐ届く。
それもいいかも。三上家の人間だとか、領主になるだとか。そんなの全部知らないふりして、二人でどこか遠くへ行くの。
私は優の手を握り返した。何も言わずに、お互いの瞳に釘付けになる。
が、その時。
「ただいま戻りました!」
玄関の扉が開く音と共に、旗ノ柄の元気な声がこっちまで聞こえてくる。
私達はパッと顔を逸らして、手を離す。エンジン音を聞き逃した。
「お待たせしました。誰も来ませんでした?」
旗ノ柄が部屋のドアを開けて入ってくると、首を傾げる。
「え、どうかしましたか」
「いえ、何もないわ」
私は体中が火照ってるのを感じながら、懐中時計をしまう。
「おかえりなさいませ、代表」
後から中に入ってきた代表を見て、私達は立ち上がる。
「土井は、賢いやつとは言えなそうだった。それなのに、提案は妙案だ。誰か入れ知恵したな」
代表は顔を顰める。
「何と言われたんですか?」
私は手元の蝋燭に、マッチで火をつける。
「土井は、自分と結婚するよう要求してきた」
代表の言葉を聞いて、優は鼻に皺を入れる。
「そしたら領主は、隊長に任せてもいい。とか甘いこと言ってましたけど、絶対嘘ですよ」
旗ノ柄も腕を組む。
「政略結婚ですか」
私も眉を顰めながら言う。
「いくら国民の支持を得ているとはいえ、二百年統治し確かな信頼を築いた三上家には及ばない。少し雲行きが怪しくなれば、すぐに倒壊する危険のある政権だ。その補強材として、三上家の血を入れる。いくら庶子でも、三上家の血が流れていることに変わりない。三上家への支持と自分への支持を合わせれば、国民のほぼ全ての支持を得た事と同義だ」
それを聞いて、私と優は小首を傾げる。
「向こうは、隊長が実就様の隠し子だと思ってるんですよ。どうやら、兄ちゃんがそう話したらしくて。兄ちゃんは、土井を領主にしたかったんですかね」
旗ノ柄の説明を聞いて、合点がいった。
「違う。お前の兄さんは和歌山のために、向こうの話に合わせてくれたんだろ。和歌山が百合様の子だとバレれば、向こうは血眼になって捜し殺そうとする。嫡子ならば領主を継ぐのは和歌山だ、と考える国民は多いだろうからな。だが、庶子なら国民の支持もそう多く得られないだろう、と土井達が余裕を持てば、先に領主の座を固めることに注力するはず。つまり、時間稼ぎができたわけだ」
なるほど、と私達は納得する。
ありがとう宮峰さん。私は心の中で礼を言う。
「返答の期限は?」
「明日の正午までです」
私が聞くと、旗ノ柄が答える。
「領主にならないにしても、あいつのペットになる選択肢なんてあり得ないな。結婚したらお前は死ぬまで反乱を起こせないよう軟禁状態で、二人の血を継ぐ子供を残すことが仕事になる」
それは絶対にあり得ないですね。と優が鼻に皺を入れて、代表に同意する。
「領主になるなら、お前は既に三上家の人間という大きな有利な点を持っている。わざと話に乗って土井一派を引き込まなきゃいけないほど、支持率には困らない。それに土井一派だってお前の存在を知れば、ころっと手の平を返して勝手にこっちにつく可能性だって高い。所詮、土井なんて流行りものだからな」
即刻断ってもよかったが、お前が決めることだから。と、代表は肩をすくめる。
「その後、軍本部に寄ってきた。早く領主に即位して正式に土井達を反逆者にして欲しい。と催促された。現在軍は、お前が正当な領主であると主張し、土井から出ているお前の逮捕や城の警備などあらゆる命令を突っ撥ねている。だがこのまま時間が過ぎれば、国に従わない国軍、と犯罪者扱いされる。軍としても、そうなることは避けたいだろう。だが、そんな時間はくれないようだ」
代表は不機嫌極まりない顔で新聞を渡す。
「さっき発行されたばかりの夕刊だ」
旗ノ柄はそれを見て、私達から顔を逸らす。
私は受け取って二つ折りにされた新聞を開く。優も、隣から新聞を覗き込む。
その一面の見出しには、『牡丹様 蓮田様殺害の犯人か』と書かれていた。
「私が? あり得ない」
少し拍子抜けする私。
「前に、動機は次期領主を狙っているやつじゃないか、と予測したのは覚えてるか?」
代表に聞かれる。
「ええ。でも、三上の血を継いでない人間に国民がついてくわけないって……」
私は自分で答えながら、意味が分かった。私には動機があるのだ。三上の血を継いでいるから、蓮田様を殺して自分が領主の座に就こうとしていた。と思われる。
「でも、私は実正様と一緒にいて、殺されてない事を知っていた。それなのに、蓮田様だけ殺しても意味ないです」
蓮田様が死んでも、領主の継承順位は先に生まれた実正様が一位。仮に私がその時点で三上家の人間と知っていても、領主として名乗り出られない。
まさか、疑われてるの? 私は代表を見る。
「お前が犯人だなんて思ってない。その夜は、突貫工事の潜入作戦のために三守少佐達と打ち合わせして、城へ向かった時だ。お前にはアリバイがある」
私はほっと胸を撫で下ろす。
「問題はそこじゃない」
「国民の私への印象が最悪って事ですか」
私は他人事のように冷静に聞く。
「それもそうだが、他にもある。あの反乱騒ぎの、真の目的が分かった」
代表が怖い顔で、さらに険しい表情を作った。
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