同刻。
大きな屋敷の縁側に座っている男が、膝に猫を乗せ撫でている。すると、廊下をドタドタと慌ただしく走る音が近づいてきて、猫は驚いて外へ駆け出す。
男はそばに置かれた緑茶を口にして、不満を飲み込む。
「軍本部で、和歌山様が領主宣言をされました」
駆けてきた使用人が跪いて、報告する。
自ら領主に?
男は少し目を見開いたが、すぐに微笑を浮かべた。
「分かった」
すると今度は廊下から濡烏色のおかっぱを揺らして、かよ子が歩いて来た。
「早く逃げるわよ。ここもいずれ警察が来る」
女は、男を見下ろしながら冷静に言う。
「そうだね」
男は笑みを絶やさず、同意する。それを受けて、女は使用人に「居間に荷物が置いてあるから、それを車に運んで」と命じる。
二人は屋敷の玄関から出て、敷地の車に乗る。
「諸星代表の車は、朝早くに雷芯城方面に向かったって聞いてから、そっちを警戒させてたのに。嵌められたわ」
後部座席で、かよ子が悔しそうに顔を歪める。
「それに、軍本部の出入りも、兵士以外見当たらなかったと報告された。どうやって入り込んだのよ」
そして荷物をトランクに積んだ使用人も運転席に乗り込み、車を出した。
しかし、門を出て道に入りかけたその時。
「止まれ!」
低く太い声がしたと思ったら、兵士達が茂みから銃を構えて五人ずつ車の前と後ろに出てくる。その隙に、他の兵士達と旗ノ柄は刀を手に、屋敷の中へ入っていく。
「お前達は包囲されている。大人しく車から出て来なければ、発砲する」
前方の真ん中にいる、五十代くらいの背は低い筋肉質の兵士が、警告する。
運転席の人は、怯えた様子で両手を挙げている。しかし、かよ子は後部座席から乗り出し、何やら必死な様子で運転手を怒鳴りつけている。
「轢き殺しなさいよ!」
「その前に撃たれます」
そうこうしている中、後部座席に座っていた男の方はさっさと車を降りてしまった。
「誰が仕向けたんです、三守少佐」
片手を腰に当て苦笑いする男を見て、その場の兵士全員が驚愕した。
すると、茂みから笹見優一郎が出てきた。それを見て、男は天を仰ぐ。
「ああ。やっぱり諸星代表か」
笹見は静かに返す。
「どういうことでしょう。実正様」
実正は着物に挿した刀を素早く抜いて、構える。
「悪いけど、君には死んでもらうよ。恨むなら、牡丹ちゃんを恨んでね」
周りの兵士は皆戸惑っていて、銃を撃つ様子はない。それを見て、笹見は応戦するしかないのだと悟る。
笹見は目を閉じながら、ゆっくり抜刀する。そして目を開いた時、いつもは見られないはっきりとした闘志が瞳の奥で燃えたぎっていた。
「断っておきます。殺しにかかってくる人を、殺さないように戦えるほどの技量は、オレにはありません」
三守少佐が声を上げる。
「なりません実正様!」
しかし実正は一瞥しただけで、気に留めていないようだ。
「遺言残しとく?」
「いいです」
実正はそう尋ねるが、笹見は即答する。
「だよね」
実正がニヤッと笑って、斬りかかる。笹見はそれを受け流し、刀を横に振る。しかし、実正はその隙に刀を突いてくる。
二人が激しく剣を振る中、かよ子がそっと車を降りて逃げようとする。
しかし目ざとくそれを見つけた三守少佐が、威嚇発砲する。そしてすぐに命令を出す。
「捕らえよ」
兵士達は二人の斬り合いを眺めていたが、それでハッとして女を追いかけ拘束する。運転席の使用人も引っ張り出されている。
一方、笹見は実正の剣を避けきれず、浅い切り傷を右腕に負う。
「能力の助けがないと、あんまり強くないんだね」
仕切り直すため距離をとった笹見に、実正は刀を構えてほくそ笑む。
「今さらですね」
袴に血が滲む笹見は、少し眉間に皺を寄せる。
そして、今度は笹見から斬りかかる。細かい剣捌きで翻弄する実正に、怪我をした笹見の腕は痛みでついていけず、実正の一突きが左脇腹を掠めた。
「うっ」
笹見が顔を歪めて片膝をつく。
「さよなら」
実正が凍るほど冷たい声色で、刀を振り上げた。
分かってた。笹見は実正を見上げながら思う。
大した腕もないやつが帯刀なんかしても、結局は決闘になった時負けて死ぬ。だから剣の師匠は、並以上の実力になってからじゃないと、帯刀を認めない。
「お前はきっといつか、負けて死ぬ」
親父はそう言った。オレはそれに抗うために努力してきたけど、結局は諦めた。
それでももう一度、剣を持った。今度は自分のためじゃない。
笹見は自分を鼓舞するように叫び、両手で刀の柄を握り締めた。
そして、大ぶりされた相手の剣を受け太刀する。
「へえ、もう決まったと思った」
微笑みを湛える余裕のある実正と、歯を食いしばって刀を震わせる笹見。
「オレを殺すことで、また牡丹に何かしようとしてるんだろ」
笹見が押し切り、後ろへ弾かれた実正。
「そこまで牡丹ちゃんのこと思ってるのに、牡丹ちゃんは君を選ばず領主に即位した。可哀想にね」
実正は刀を払い、血を飛ばす。その顔には、笹見を憐れみながら嘲笑う表情をしている。
「オレのことはオレにしか分からないように、牡丹のことも牡丹にしか分からない」
オレの体力が持たない。次で終わらせる。笹見は覚悟を決め、立ち上がる。
「刺し違えてでも勝つって顔だね。でも、僕は死ぬ気はないんだ」
実正も刀を構えた。そして、二人一斉に足を踏み込み、駆け出した。
「くそっ!」
三守少佐が悔しそうに歯を食い縛りながら、実正の方に銃を構えて引き金に指をかける。
「なら、どうしてオレに帯刀を許したの? オレが死んでもいい、ってこと?」
十二歳のオレは、恐る恐る親父に尋ねた。
「違う違う」
すると、親父は笑い飛ばして手をひらひらさせる。でも次の瞬間、キリッとした顔でオレを見下ろして、言った。
「武士には、負けると分かっていても、戦わなきゃいけない時があるからだ」
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