一週間後。雲間に太陽が差し込んでいる午後。
私は交葉にある図書館、宝伝歴史図書館の敷地に足を踏み入れた。手前と奥に小さなが塔が二つ建っている。最近できたばかりなので、外装もまだ綺麗だ。
扉の前で、知った顔の少年と出くわす。
「隊長!」
私に気づくと、旗ノ柄は弾ける笑顔を見せた。
「久しぶり。お蕎麦屋さんはどう?」
花水木が活動停止になってから、旗ノ柄は蕎麦屋の実家に帰った。
「数量限定で営業してます。蕎麦粉や小麦粉、その他に野菜なんかも全然手に入らないので。まあ、仕方ないんですけど」
旗ノ柄が珍しく暗い顔をする。私もそれを見て同情する。
「ちゃんと食べれてる?」
「はい。うちの町長が良い人で、自分の蔵に貯蔵していた食糧をおれ達町民に分けてくれたんです。隊長の方は仕事、どうですか? 実正様の秘書ですよね」
旗ノ柄が話題を変えた。
「違うわよ。ただの雑用係」
私は苦笑いする。
実正様が雇いたいと言うので、私はお言葉に甘えてそのまま交葉に残った。
「ここへは仕事ですか」
「まあ、そんなところ。人と会う約束があって」
私がそう答えると扉が開いて、中から人が出てきた。二十代半ばほどの若い男性だ。
「兄ちゃん」
旗ノ柄がその人を見ると、ぱあっと表情を明るくする。
「京也」
黒髪に黒い瞳の男性は、旗ノ柄を見て驚いている。一方私は兄ちゃんと言う発言に驚いて、旗ノ柄の方を見る。
「紹介します。兄の宮峰 燈留です。兄ちゃん、こちらはおれの隊長、和歌山 牡丹」
旗ノ柄がお互いを紹介してくれた。
「初めまして、いつも弟がお世話になっております」
頭を下げる宮峰さんに、私も慌てて頭を下げる。
「京也。悪いけど、これからこの方と仕事なんだ。用があるなら、二、三時間ほど置いてまた来てくれないか」
宮峰さんが眉を下げて、旗ノ柄に言う。
「大丈夫。十日の日は兄ちゃんの家に行くって伝えに来ただけ。何の日か、忘れてないよね?」
「お前の誕生日、元服の日。わざわざそれを伝えに来たのか」
宮峰さんは呆れながらも、口角は上がっている。それを旗ノ柄が嬉しそうに見上げる。
「まだ早いけど、おめでとう」
「ありがとうございます」
私がお祝いを言うと、旗ノ柄は無邪気な笑みを私にも向ける。
「じゃあね、兄ちゃん。隊長もまた」
旗ノ柄は私に頭を下げると、走って敷地を出て行った。
「いい子です、本当に。ちょっとそそっかしいところが、玉に瑕ですが」
私は少し考えてから、なんとか声を絞り出して「まだ子供ですから」と言う。すると、宮峰さんはくすくすと笑う。
「ええ、そうですね」
そして私は、奥にある方の塔の中へ案内される。壁自体が棚になっており、そこに本や巻物がびっしり詰まっている。他の余った空間にも本棚が所狭しと置かれている。
「ここは、事務室です。図書館には置けない貴重なものを保管していたり、損傷が激しくなった書物の修復など行なっています」
私の方を振り向いて、宮峰さんは説明してくれた。私はそれにビクッとして、少し伏し目がちに後をついていく。
「これは、ようこそ。和歌山様」
奥から、頭の側面に髪を残した男性がやってきた。
「館長の杖野です」
私は一瞬目を合わせて会釈すると、すぐに視線を相手の腹部辺りに下げる。
しかし相手は話し出しも、去り出しもしない。どうしたのかと視線を上げると、館長は食い入るように私の目を覗き込んでいた。
私は恐怖にも似た驚きを感じて、一歩後ずさる。
「ああ、すみません。美しい瞳に、思わず見入ってしまいました。失礼をお許しください」
館長が苦笑いをしながら頭を下げる。宮峰さんもやっちゃったなという顔で館長を一瞥して、一緒に頭を下げた。
「あ、いえ。はい」
私は俯きながら、言う。
その後、部屋の中心部分にある螺旋階段を登って上へ上がる。二階も同じように壁に書物が置かれているが、真ん中の空いた所に大きな丸いテーブルが置かれ、丸椅子がいくつか無造作に置かれている。
宮峰さんはテーブルに広がる書類を適当に重ねて片付けながら、私に座るよう促す。
「それで、今回お呼び立てした件ですが」
宮峰さんも私の隣に座る。
「実正様から花水木についての伝記を依頼されまして、お話をお聞かせ願いたく」
それを聞いて、私は俯き気味にこう返答する。
「でしたら、諸星代表の方がよいかと」
「和歌山様には、和歌山様ご自身の来歴をお聞きしたいのです」
私は怪訝な顔をして、宮峰さんの方を見る。
「隊長を務めていた方の詳細も、記録対象ですので」
宮峰さんは穏やかな表情で説明したが、私はあまり気が進まなかった。後世まで残る書物に載せるような立派な経歴は、私には存在しない。平凡な庶民だった、それも貧乏な。
「生まれはどちらで?」
宮峰さんは上に載っていた雑記帳を開き、万年筆を手に取る。
「幹川の外れです。育ちもそこ」
お互い仕事だ。私はいやいやだが、小さな声で話し始める。
「どんな幼少期でしたか」
「性格は今と変わらず、極度の人見知りでした」
「では大きくなってからは」
「同じです。寺子屋で文字や計算を学んでからは、父の仕事の手伝いを。主に帳簿です」
「勉強は得意だった?」
「普通です」
「ご家族については、どうでしょう」
「母は私を産んだ時に亡くなって、父は……」
夜の事務室。暗くなったので、オレは電気をつけて本を立ち読みしていた。
内容は、三上家の歴史についてだ。実就様は妻の芍薬様との間に、百合様と実英様の二人の子を儲けた。
「どうだ、宮峰」
館長が戸を開けて入ってきた。
「はい。まだまだ情報が足りませんね。彼女の祖父と約束を取り付けたので、行ってきます。何か分かるかも」
私は館長の方へ体を向け、報告する。
「簪を追うんだな」
「今の所考えられる実就様と彼女の母親、睡蓮の接点は、それだけですから」
オレはそう答える。
「やはりあの娘の瞳は実正様の文の通り、まるで翠玉のような明るい緑色だった」
館長は顔を顰めながら、着物の袖に手を突っ込む。
「本当に実正様の予想が当たっていれば、大変なことになる。なんて厄介なことに巻き込まれたんだ」
オレも神妙な面持ちになった。
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