「話はだいぶまとまってきたか?」
九月に突入したが、まだまだ蒸し暑さが残る。日が落ちそうな今頃、ようやく僅かに暑さ和らぐ。
「うん。まあ私は、実就様の話を聞いてるだけだけど」
二人で夕飯を囲みながら話す。
あれから実就様と、民間団体設立の相談をしている。今は、構想が現実になってきているところだ。
実就様は私が発案者だから、気を遣って相談相手にしたんだろう。でも何の役にも立てなくて、申し訳なく感じる。
「で、それができたら、牡丹や優一郎君もそこへ入るのか」
「うん。国の政策だし、私が言い出しっぺだから。何より、実就様に恩返ししたい」
あの時、実就様に助けてもらった。この恩はとても大きい。
「優も入るって。たぶん私に気を使ってる。口には出さないけど」
優は、私がお父さんを亡くした時に、何も助けになれなかったことを気にしている。向こうもお祖父様が倒れたとかで家族で出払ってたので、私はそんなこと別に気にしていない。
「そういうの、いらないのに」
私が困った顔で言うと、おじいちゃんは大きな声で笑う。しかし段々と力なく小さくなっていき、俯く。そしてこう聞いてきた。
「じゃあ、ここを出ていくんだな」
私はちょっと黙り込んだ後答えた。
「うん」
多く人が集まる所ほど、問題は噴出しやすい。だから、本拠地は首都の近くにする予定だ。ここからじゃ遠すぎる。現に今も、毎回優に迎えに来てもらって交葉に通っている。これから毎日それでは優に悪いので、私は引っ越す必要があるだろう。
「でも、休みの日とかはちゃんと帰ってくる」
お父さんは、ある日黙ってここを出ていったという。俺はずっと戻ってくると信じてた。おじいちゃんは悲しそうに、そう言っていた。
「約束する」
私は真っ直ぐおじいちゃんを見る。するとおじいちゃんは暗い顔を上げて箸を置き、話し始めた。
「初めてお前の存在を聞いた時、半信半疑だった。初めてお前に会った時も、実感が湧かなかった。なんせもう十五で、元服してるっていうじゃねえか。子供が結婚して赤ん坊が産まれてって段階全部すっ飛ばしてるんだからな、すんなり受け入れられる方がおかしい。それに、お前の顔は将に全然似てない。母親の睡蓮さんに似たんだな」
おじいちゃんは片眉を上げてにやっと笑う。私も釣られて笑う。これはお父さんと二人暮らしの時も、よく言われた。
「でもな、一緒に暮らし出したある日ふと気づいた。牡丹、お前の笑顔が、将そっくりだってことに」
大粒の雫がおじいちゃんの目からこぼれていく。
「その瞬間、俺はじいさんになったんだと実感した。おかえり、将」
私は奥歯を噛み締めていたが耐えきれず、涙をポロリと落としてしまう。
「そして、いってらっしゃい。牡丹」
おじいちゃんは優しく笑った。
次の日。朝日が眩しく私たちに降り注ぐ。
「おはようございます」
旗ノ柄が白地に茶色い斑点模様の馬から下りて挨拶し、私も優と一緒に「おはよう」と返す。研究所で何度か会ううちに、ようやく少し会話できるようになった。
「なんかかっこいいっすね、この羽織」
旗ノ柄が、自分や私達が着ている五つ紋の羽織を嬉しそうに眺める。深川鼠という緑みの灰色で染めた羽織で、花水木の隊服として支給された。
「建物も、最初より全然綺麗になった」
優が建物を見上げながら感心している。
ここは交葉の郊外にある、花水木の基地。小高い丘の上の広い敷地内に建物が二つ建っている。門を抜けて正面に見える三階建ての屋敷が、私たちの仕事場。その後ろの平屋は、私や旗ノ柄の居住区となっている。とても素晴らしい所だが、交葉から三十キロもある田舎にあるのが残念なところだ。
旗ノ柄は飛丸の隣の馬繋場に自分の馬を繋ぎ、私達は両開きの扉を開けて中へ入る。玄関は大きく開かれており、その左右に部屋と奥には上へ続く階段がある。中は病院の名残りで土足だ。
「実就様が補修してくれたんですか」
「いいえ、布地財団。花水木は、そこの下部組織として作られたから」
旗ノ柄の問いに、私がぎこちなく答える。
私たちは玄関の前に並んで立つ。
花水木開設初日の最初の仕事は、うちのトップに就任された人の出迎えだ。
「今からうちの代表が来るんですよね? 和歌山さんは会ったことあるんですか」
私は首を横に振る。
「実就様は、とても優秀な人だとおっしゃってたけど」
へえと言っている旗ノ柄の隣で、私は今すぐ帰りたい気持ちを押さえていると、車の音が近づいて来て止まった。到着されたようだ。
いつも通り優はやる気のない目をしている一方、私は顔を真っ青にしている。
扉が開く音と共に、男性が入って来た。私はそっと顔を見る。
黒いスーツ姿の中年。きっちり七三分けにされた白髪混じりの髪に、縁なしの眼鏡をかけている。
目が合ってしまった。橙の三白眼から眼鏡のレンズを通しても弱まらない、鋭い眼光が私を貫く。
「諸星 数彦だ」
恐怖で固まっている私。その横の旗ノ柄も、威圧感に押されつつも自己紹介する。
「初めまして。おれは旗ノ柄 京也です」
「笹見 優一郎。こっちは、和歌山 牡丹」
優は特に顔色を変えず、代わりに挨拶してくれた。
「早速だが、お前たちの役職を伝える」
諸星代理がいきなり本題を始める。
「隊長は和歌山、副隊長は笹見だ」
私は驚いて目を見開く。ちょっと待って、嘘でしょ。
優も顔色は先程と同じく無表情だが、雰囲気が完全に「イヤだ」と意思表示している。
「花水木の表面上の創設目的は、能力を使って社会貢献することだ」
ここで旗ノ柄が手を上げて、ちょっと怯みながら発言する。
「どうしてそういう目的なんですか」
諸星代理は、怖い顔をしたまま答える。
「人助けに能力者を使って、対外に良い印象を与えるためだ。対外とは、国民だけじゃなく諸外国も指す。これも、実就様のお考えだ」
ありがとうございます、と旗ノ柄が礼を言う。
「それぞれが、これに向かって精進しろ」
「はい」
私たちは揃って返事をするが、張り切って元気よくしたのは旗ノ柄だけ。私と優はお葬式みたいに精気がない。
なんで私が。発案者だから? いや、いくらなんでも責任が重すぎない?
自分に務まるだろうかと考えると、頭痛がしてきた。
その日の夜、赤実城の領主室にて。
「そうか。諸星くんは、牡丹くんを隊長にしたか」
実就様はニコニコと笑っているが、対照的に私はどんよりしている。
「きっちりした性格の子だからね。きっと牡丹くんがこの組織を発案したと聞いて、正当な評価をしようとしたんだね」
要らないです、と私が軽く首を振る。
「まあ何はともあれ、無事開設まで辿り着いてよかったよ。ここまでありがとうね、牡丹くん」
「私は何も。全て実就様のお力です」
「それはないよ。何事も、一人で成すなんてことはありえないんだ」
実就様は優しく笑って言う。私は、実就様のこういうところを尊敬している。
「それでこれは、そのお礼だ」
実就様は引き出しから小さな木箱を取り出し、私に差し出す。
私は不思議な顔をして受け取り開ける。中には、淡い金色の丸い金属製の何かが入っていた。表面には曲線的な模様が施されている。
「上のボタンを押してごらん」
実就様に促され、手に収まる大きさの平たいそれを取り出す。そして、側面についているボタンを親指で押す。すると蓋が開いて、中から時計の文字盤と針が現れた。
「懐中時計というんだよ」
私が驚いていると、実就様が教えてくれた。
「こんな高価なそうな物、とても受け取れません」
私は困って実就様を見る。
時計のことは詳しくないが、装飾を見れば分かる。かなり手の込んだ彫刻、これだけでいい値段になるはずだ。それに加えて機械仕掛けの物だなんて、いくらになるか想像しただけで恐ろしい。
「これも正当な評価だよ。牡丹くんはそれだけの働きをしてくれた」
実就様はそう言うが、私は全然そう思わない。設立のための調整や交渉も、全部実就様がやった。私は本当に何もしていない。
「能力に時間制限がついていると聞いた。役に立つと思うよ」
持っているだけで落とさないか心配なのに、持ち歩くのかこれ。私はそっと箱に戻す。
「さあ、ここからが始まりだ。頼んだよ」
実就様が目を細めて、私を真っ直ぐ見つめる。
「はい」
私は力強く返事をした。
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