十二月十二日。霜が降り、外の雑草は白粉を塗ったようだ。
私は机から頭を上げ、背伸びをする。
領主室の隣に造られているこの部屋が、私の仕事場だ。自分の席と小さな棚だけでいっぱいの狭い部屋だが、大した仕事はないし一人でできる職に就けているだけで満足だ。
窓辺でカーテンを僅かに開け、外の様子を確認していた。
さすがに野宿はしていないようだが、深夜までいた人と早朝から来る人で入れ替わっているのか、デモ隊がずっと城を囲んでいる状態だ。おかげでここ何日か、職員用に借り上げられている家へ帰れていない。
ため息を吐きつつ、下ろしていた髪をまとめる。そして片手に簪を持ったとき、先日宮峰さんと会った時の事を思い出す。
優から文がきた。簪の事や調査官が住職の元を訪れていた事などが書かれていた。『実正様は牡丹を疑っている』とも。それを読む限り、実正様はかなり本気で調べている。
簪の紅色の玉は、カーテンを通り抜けた朝日を優しく反射している。
父と母の子だと信じたい。でも、信じきれない自分がいる。駆け落ちしたことは聞いていた。でも、それ以上は聞いていない。それに実就様に手を差し伸べられた時、何かあるんじゃないかと私も思った。
手を離すと、濁ったピンク色の髪がハラハラと落ちる。
何より、私は母の事を全く知らない。
私は机の上に、簪を置いた。
隣の部屋のドアの開閉音が聞こえた。実正様が出勤なさったようだ。
私は給湯室へ向かい、緑茶を淹れて領主室へ持って来る。
「あれ。今日は髪、結ってないの?」
私が机にお茶を置くと、座っている実正様が私を見上げる。
「すみません、だらしなく見えますか。どこかで簪を手に入れます」
私は、背中まである髪を耳にかける。
「そんな事ないけど、珍しいから。あの紅の玉簪はどうしたの?」
実正様の瞳の奥が、怪しく光ったように見えた。
私は伏し目がちに答える。
「折れちゃって。それより、他国からの食糧輸入決定を昨日の夜発表された反響は、どうでしょうね」
実正様はしばらく私をじっと見つめた後、変えた話題に乗ってくれた。
「あれだけじゃダメだろうね。国民は先の反乱で、自分達が割を食っている事にも腹を立てている。怒りを鎮める手も考えないと」
「なるほど」
私は相槌を打つと、礼をして部屋を出る。ドアを閉める時、実正様が微笑を浮かべて私に言った。
「今度、新しい簪を買ってあげるね」
それから時が経って、影が長くなり始めた頃。秘書室のドアがノックされ、私宛てに飛脚が置いていったと文を渡された。
『和歌山牡丹様
急啓
本日内密に図書館へいらしてください。伝記が完成しました。
草々
宮峰燈留』
何なのこれ。何かの罠?
私は眉を寄せる。
でも、私を嵌めようとしてるなら、こんなに怪しい文章を書く? 普通にまた話を聞きたい、とかでいいはず。
少し手紙を見つめ葛藤した後、私は静かにカーテンの隙間から外を見下ろす。
集まっている人の数が、昨日と変わってない。実正様の言う通り、食糧の確保だけでは国民は納得しなかったようだ。
この中を進むのは、かなり面倒だろう。でも、行くしかない。
私は手元にあった紙に「急用 すぐ戻ります」と書き残し、茶色い羽織を着て部屋を出る。
ロビーを通り、玄関から外へ出る。閉ざされている門の真ん前までデモ隊が押し寄せている。私は門番へ近づき、デモ隊を抜けるのを手伝ってほしいとお願いする。
「いや、無理ですよ。今日はどんどん人が集まってきてる。リンチに会いますよ」
だよね。私は困りながら、懐から顔を出し、舌をチロチロさせている沐を見る。
能力を使ったとしても、人混みは抜けれない。どうしよう。
「どうした」
誰かが近づいて来て、私に影がかかった。振り返ると、諸星代表が立っていた。
「外へ出たいんです」
「公用車は?」
私は少し気まずくなって、顔を背ける。
「それが、許可をもらってなくて」
代表はそんな私の様子を黙って見下ろす。
「でも急ぎの用で、どうしても今出ないといけないんです」
上目遣いに見上げる私に、代表は小さく息を吐いてから鋭い視線を送る。
「俺にどうしろと」
私は少し考えた後、頭を下げる。
「車でいらっしゃってますよね。デモ隊を抜けるだけで構いません。私をここから出してください、お願いします」
代表は少しして口を開いた。
「お前は何を差し出す?」
私は意表を突かれた。取引?
「えっと。じゃあ、実正様が私を調査していることについての情報。これでどうですか」
私は顔を上げて、挑戦的に代表を見る。一方代表は怖い顔のまま少し私を見た後、口を開く。
「いいだろう」
そして、私を自分が乗ってきた車に連れて来る。
「森田、こいつを外へ出してやれ」
「承知いたしました」
森田さんはそういうと、エンジンをかける。
「ありがとうございます」
私が礼を言うと、何も言わず城へと去っていってしまった。
「自他共に厳しい人だから、後進の指導も容赦ないね」
私が後部座席に乗り込むと、森田さんは徐行で門の前へ向かう。
私は眉を寄せる。もう部下じゃない私を手助けする理由がないから、取引までした。この部分のどこら辺に、指導の要素が?
私の解せないといった様子に、森田さんはこちらに顔を向けて言う。
「和歌山さんが取引に出した情報、諸星さんはもう知ってるよ」
私は目を見開く。
「じゃあ、どうしてそれで取引を」
「いつまでも自分に甘えないように。じゃないかな」
周り中が橙色の光で染まっている。
走って道を進み、図書館に着いた。敷地へ足を踏み入れ、奥の塔の扉の前に来る。乱れた呼吸を整え、扉を押して事務室の中へ入る。
音を聞きつけ、宮峰さんが螺旋階段を降りてきた。私を見ると、真剣な顔つきになる。
「来てくださると思っていました」
私の前までやってくると、螺旋階段へ手を向ける。
「上へどうぞ」
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