昔ながらの瓦屋根と並んで、最新の建築技術で建てられたレンガの建物も何軒か見える。行き交う人の殆どは着物だが、スーツを着た人もチラホラ見える。
ここは、守樹の国の首都。多くの人で賑わう中、違う意味で賑わっている場所がある。
この大きな銀行の前では、警官達が多く集まり、何やら忙しそうにあちこち走り回っている。そのさらに外側に、野次馬たちが集まっていた。
そこへ先頭を切り人を掻き分け、警官達の中へ入って行く男の子。私は、それになんとかはぐれないでついて行く。
秋の優しい日の光が、濁ったピンク色のまとめ髪に挿してある簪の丸い飾りに当たって光る。私は和歌山 牡丹、十六才。
「隊長は喋んなくても大丈夫です。あ、どんな感じですか?」
私が追いかけた男の子は張り切った様子で、たまたま近くにいた警官に声をかけた。この子は旗ノ柄 京也、十四才。私よりもわずかに背が高く、紅鬱金色の髪をしている。
「なんだお前たち。警備のやつが立って……?」
話しかけられた警官はピリピリした様子だったが、私たちの緑みの灰色の羽織を見てその勢いは死んだ。
「警察署から要請されて来ました。花水木です」
旗ノ柄の言葉を聞いて、警察官はやっぱりと言う顔で動揺する。
「あ、えっと、お疲れ様。花水木ね、新聞で見たよ」
「上の人に通してほしいんですが」
年上相手に怯むことなく、はっきりと要求を伝える旗ノ柄。
よくハキハキ話せるなぁ。
私は人見知りを発動させ、旗ノ柄の後ろで存在感を消すように黙ったまま、成り行きを見守る。
警官は気まずそうに、他の警官に指示を出している人の所へ案内してくれた。そしてその男性に引き継ぎをすると、そそくさと去っていった。
「どうも、指揮官の浜屋だ。要請を受けてくれて感謝する」
浜屋さんがお辞儀をする。四十代くらいで、がたいのいい男性だ。
「隊長の和歌山と、旗ノ柄です」
紹介されて私はびくっとする。ほんの一瞬だけ浜屋さんと目を合せ、頭を下げた。
「おれたちは何をすればいいですか」
浜屋さんは頷いて、まずは状況の説明を始める。
「強盗犯は二人、中の行員と客を人質に立て篭っている。正面出入り口も裏口も施錠されていて、我々は身動きが取れないまま七時間が経過した。だがここにきて、犯人達は逃走用の車を要求してきた。これを利用しようと思う」
外に出てきたところを捕まえる、って感じか。
「恐らく人質を連れて出てくるだろう。君たちには、その保護を頼みたい」
浜屋さんが私達に真剣な目なざしを送る。それを受けて、段々と自分が緊張してくるのが分かる。
「承知しました」
旗ノ柄は張り切った様子で返事をする。
「車はもう手配してあるから、もうすぐで着くはずだ」
私は頷いて会釈し、浜屋さんの元を後にする。旗ノ柄も「いってきます」と告げてついてくる。
警官達を縫って銀行の真正面まで来ると、私は大きく呼吸する。
「大丈夫ですか?」
旗ノ柄が心配そうに私の顔を覗き込む。
「よく緊張しないわね、旗ノ柄」
発足して間もない組織なので、ここまで切迫して人命のかかった仕事は初めてだ。私は喉の渇きを感じる。
「おれ、あと二ヶ月で元服なんで」
旗ノ柄はニヤっと笑うが、その笑顔はぎこちない。ごめん旗ノ柄、さっき言ったこと訂正するわ。
そうこうしている間に黒塗りの車がゆっくりとやってきて、出入り口の前に置かれる。さっきまで動き回っていた警官達も私たちの周りに集まり、車を囲むような陣形を組んだ。手にはほとんどの警官が警棒、一部の上官が刀を持ち、緊張した面持ちをしている。
「私達も準備しなきゃね」
私は着物、旗ノ柄は袴の懐から、沐__体長五センチほどの小さな蛇みたいな生き物を取り出した。灰色の体は、河原にいたら石と同化して見つけられないような模様をしている。そして元々から存在していなかったように、目がない。窪みすらない。
それを、左手の親指と人差し指の間に近づける。すると沐は、その指の間に噛みつき親指に巻きつく。もちろん皮膚に歯が食い込んでいるので、痛い。
「はあ、やっぱり熱っぽくなるな」
旗ノ柄が頭に手を当てて言う。その横で、私はきゅっと口を結んだ。
いよいよ始まる。
私の懐中時計では二十分、体感では一時間ほどが経ったとき。ガタガタと中から音が聞こえ出した。
一気にこの場が張り詰めた空気に変わった。心臓の鼓動が速まる。
出入り口の扉が開いた。中から女性が二人と、それに短刀を向ける覆面の人が出てきた。盾にするように、完全に女性達の背中に隠れるよう位置取っている。
「人質は誰とも接触してないです」
旗ノ柄が小声で伝えてくる。これはラッキーだ。
さらにその覆面の後ろから、両手で袋を抱えたもう一人の覆面が出てきた。体格から見て、たぶんどちらも男。
「お前らもっと下がれ!」
刃物をもった方が大声で叫ぶと、女性達も助けを求めて悲痛に嘆く。
私達は致し方なく、ジリジリと後退する。それに合わせて、ゆっくりと前に出てくる犯人たち。
「そろそろ行くわよ」
私達は汗でぎとぎとの手を繋ぎ、打ち合わせをする。
「左の女性を保護する」
「じゃあおれが右で。透明化」
旗ノ柄が真剣な顔で呟く。すると自分達の体が瞬時に消え、自分の体がないかのように景色が透けて見える。真後ろにいた警官は「へっ?」と声を上げたが、犯人達は私たちが消えたことに気づいた様子を見せていない。
小走りで、犯人達が向かう車の前へ先回りした。その時私は、油を差していない機械かのように関節がギシギシするのを感じた。
車の前で待ち伏せしていると、恐怖で引きつった顔の二人の人質がやって来た。
私が左の女性の腕へと手を伸ばす。自分の指先が震えているのを感じる。
あと数センチで届く。その瞬間、旗ノ柄が私の手を離した。
すると、透明で見えなかった私の腕が現れる。旗ノ柄の能力の効果範囲から外れたからだ。女性達が驚きのあまり、口を大きく開ける。
私は左の女性の腕を掴んだ。
「時間遅延」
私が叫ぶと、一気に私と左の女性以外の景色が白黒になった。犯人達や警官達が、突然の私の出現にびっくりする表情をゆっくりと浮かべていく。
「えっ、ええ!」
その様子に、女性が混乱して掴まれた腕を引っ込めようとする。
「ダメ! 今私から離れたら死にますよ!」
私はそう叫んで、女性を引きずるように駆け出す。しかし、犯人達は私達のことを追って来られない。それどころか、周囲の人間の誰も私達を目ですら追えてない。
徐々に景色が色づいてきた。私は何とか車体の後ろへ女性を連れ込む。と同時に、景色が元の色を取り戻した。周囲の人間たちの動きも元の速さに戻る。
「な、消えただと」
私と旗ノ柄を除いたその場にいる全ての人間が、何が起こったのかと理解に苦しんでいる。連れてきた女性も、キョロキョロと辺りを見渡している。
私は女性から手を離して懐中時計を取り出し、秒針の位置を確認する。今から一分間は、能力を使えない。
そしてタイヤの横から顔を覗かせ、残された人質の方を見る。
その瞬間、右にいた女性もパッと姿が消えた。
よし、もう一人も保護した。私は安堵のため息をつく。
「もう一人も消えたぞ」
周りがさらにパニックになる。そんな中車の後ろにいた警官達は私と女性が隠れているのにやっと気づき、それも込みで大パニックになっている。
人質を失い犯人達は焦って周囲を探すが見つからず、諦めて銀行の中に引き返そうとする。そこで警官達はようやく自分の仕事を思い出し、一斉に犯人達目がけて走り出す。
「もう逃げられない、観念しろ」
警官たちが、わっと全員で犯人達を掴みかかっている。
「終わった」
ヘトヘトな旗ノ柄の声がして、振り返る。何も見えなかったが、一瞬で女性と共に姿が現れた。旗ノ柄は自分が保護した女性から手を離し、膝から崩れ落ちて座り込む。
「ひゃっ」
私が連れてきた女性が驚きの声を上げる。
「大丈夫ですか」
何人かの警官が毛布を手に女性達の元へやってきて、肩にかける。そしてどこかへと誘導していった。
「お疲れ様、旗ノ柄」
私はその後ろ姿を見て力が抜け、同じように座り込む。今でも呼吸が早いままだ。それに、一気にぐったりした。
「お疲れ様です」
旗ノ柄が眉間に皺を寄せながら「あー、痛い痛い」と言って沐の頭を摘む。すると沐は口を開いて、親指に巻きつくのをやめた。しかし不思議なことに、噛みついていたところは出血していない。
無事に女性達を助けることができた。私も同じように沐を取りながら、徐々に現実味を帯びてきた事実に満ち足りた気分になっていく。
私は沐を懐にしまって、呟く。
「任務完了」
その後、銀行の中にいた残りの人質達全員の無事も確認され、この銀行強盗事件は一件落着となった。
玄磨(げんま)三十九年 十月 十九日
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