時は戻って銀行強盗事件の次の日。
曇り気味な朝。最近ようやく暑さも消え、涼しくなってきた。
「て感じで、めっちゃ大変だったんですよ。ほら、新聞にも書いてあるでしょ」
基地の一階、右の部屋にある休憩室。旗ノ柄が今日の朝刊の記事を見せながら、昨日道場の手伝いで休みだった優に説明する。
「今回はうまくいったからよかったけど、一歩間違えば交戦になってたわね」
私は思い出して、少しげっそりする。
「これからもこんな仕事が来るんだったら、何か武道でもしないとダメかな」
「そうだな」
私のぼやきに、優が同感する。
「おれ剣持ちたいです!」
旗ノ柄が目を輝かせて私を見るので、私は優の方を見る。
「親父に聞いてみようか」
それを受けて、優が旗ノ柄に聞く。
「やったー!」
ガッツポーズしている旗ノ柄を横目に、私は遠慮がちに優に言う。
「仕事なくて待ちぼうけの時間は、優が教えてあげたら」
優は下を見て首を振る。
「もう剣を置いた。教えられない」
何の感情も顔に現れない。何も言わない。でも悲しそうな優の雰囲気。
「そう」
私からは、もうこれ以上言えない。
すると、上の階から諸星代表が疲れ切った様子でやってきた。
「お疲れ様です」
揃って挨拶し、私が「紅茶でいいですか」と聞くと頷く代表。
「まったく、狂ったように依頼が来る」
乱れた七三分けをかき上げ、椅子に腰掛ける。
「有名になったからか。でもいいことですよね、ちゃんと良いアピールになってるってことだし」
「どうだかな。来るもののほとんどが、便利屋みたいな仕事だ」
旗ノ柄に、ため息混じりに言う代表。
私は急須に紅茶の茶葉を足して、部屋の隅に置いてある火鉢に載せてある鉄瓶の元へ向かう。「地味な仕事は好きじゃないけど、それが仕事ならやります」
旗ノ柄はキリッとした顔で言う。それを横目に私は急須にお湯を注ぎ、優は戸棚からティーカップを一つ出す。
「バカか。そんなものに手を出したら、その類いの仕事は全部受けないといけなくなる。贔屓だなんだと騒がれるからな。だがそうしたら、見境なくなるだろ」
代表はそれを一刀両断する。
そりゃそうだ。私は急須をテーブルに置いて、席につく。
「じゃあやっぱり、昨日みたいなやばい仕事ばっかこれからやるんですね。そしたらおれ、頑張って剣の腕磨かなくっちゃ」
なんの話だ、と代表が私と優を見る。
「実は昨日の仕事を受けて、武術でもやった方がいいんじゃないかと話し合ってたんです」
優が簡潔に説明する。
「ああ、そうだな。これは俺が想定しておくべきだった。各々何か身に付けた方がいい。必要なら経費も認める」
あっさり了承する代表に、私はちょっと意表を突かれた気持ちになった。
「ありがとうございます」
私達は頭を下げる。「で、経費ってなんすか?」と代表に聞いている旗ノ柄。
代表が説明している横で、私はそろそろ蒸されたであろう紅茶をカップに静かに淹れ、差し出した。
「すまない。じゃあ部屋に戻る」
「オレも、飛丸の体洗ってくる」
代表が紅茶を持って立ち上がると優も椅子から腰を上げ、二人して部屋を出ていった。
「あの、ちょっと気になってることがあるんですけど」
旗ノ柄は玄関の扉が閉まるのを待ってから、私に聞いてくる。
「なんで副隊長は、帯刀してないんですか。剣士の息子なんですよね?」
飛丸の方へ歩いていく優を窓越しに見ながら、私はどうしようか迷う。
「してたわ。でも、元服した時にやめた」
人の過去を勝手に話すのはどうかと思ったが、優のお父様の道場へ通うならいずれ耳にすることだろう。
「優は有段者で、ある程度の腕はあると思う。けど、剣の申し子と言われるお父様には遠く及ばなかったみたい。どちらかというと妹の奈々子ちゃんの方が筋がいいみたいで、剣を置く前には優に勝ち越すくらいの腕前になってたはず」
「え、妹さんすごいっすね」
旗ノ柄が素直に驚く。
「周りから『見劣りする』とか色々言われてたのは知ってたし、それで悩んでる様子もあった。だけど、それに負けないくらい剣を愛してた。だから刀を置いたと言われた時、驚いた」
私が遠くを見ながら話し終えると、旗ノ柄は難しい顔をして「そうだったんですか」と言う。
「でもそのくらいの腕前なら、充分仕事で使えると思うんですけど。父ちゃんに敵わなくても、それじゃダメなのかな」
「優の中では、そう単純じゃないんでしょう」
旗ノ柄はうーんと口を山形にして、私に提案してくる。
「隊長から話してみたらどうですか。絶対勿体無いですって」
私は首を横に振る。
「私が言ったって」
それを受けて、旗ノ柄が口を尖らせて「なんでですかあ」と反論してくるが相手にしない。
人からどうこう言われて刀を持ち直すようなやつなら、もっとずっと前に刀を置いていただろう。
「昨日の銀行強盗逮捕は、お手柄だったね。お疲れ様」
実就様が微笑む。
午後、赤実城の領主室。窓の向こうは黒い雲で空が覆われ、まだ日は暮れ出していないのに薄暗い。
「直接伝えたくて。わざわざ来てもらってありがとう」
「こちらこそ、お褒めいただき光栄です」
私は実就様の座るデスクの前に立って返答する。すると実就様は私の顔をじっと見て、控えめに聞いてくる。
「何か悩み事?」
図星なのでちょっと焦る。
「あ、いえ。ただ」
私はさっきの休憩室での話をする。
「そうか。確かに、君たちみたいにまだ元服前後の子たちに振る仕事じゃないよね。危なすぎる。すまないね」
「やめてください。私は実就様への恩返しのために、自らやっているんですから」
謝る実就様に、私は慌てて両手を振る。
「旗ノ柄も正義の剣士に憧れてたらしくて、花水木に入れて喜んでいるみたいです。だから武術の話になった時、真っ先に剣がやりたいと」
私が言うと、実就様はそうかと力なく微笑む。
「牡丹くんは、どうするつもりだい?」
「それが、私は運動が苦手で。武術なんてどれもやれる自信ないです」
私は困ったように言う。
「なら、ピストルはどうかな」
実就様が提案する。
「ピストルって、あの最近外国から入ってきた武器のことですよね」
おじいちゃんから聞いたことがある。小さな鉛玉が目にも止まらぬ速さで、物はもちろん人の肉をも破り抜けるとか。しかも、その弾はかなり遠くまで飛ぶらしい。
「うん。軍に視察に行った時に、撃ったところを見せてもらったことある。あれは規格外の武器だね。他の武器を持っていても、太刀打ちできないと思う」
おじいちゃんも「あれに敵うものはない」と評していたが、実就様もそう思うのか。
「だがそれは、あくまでも当てられればの話だ。まだまだ性能があまいらしく、使いこなした人間でも狙った所に確実に当てるのは難しいと聞く」
私は「そうなんですか」と相槌を打つ。
「でも、体術のように体は使わないし、剣のように間合いに入って動き回ることもしない。牡丹くんには合ってるんじゃないかな」
確かに。思ったところに百発百中は難しいだろうけど、ある程度練習してかすりでもすれば充分凶器になる。
「誰か教えてくれる人を探してみます」
私は頷いてそう伝えるが、実就様は首を振る。
「実正に教わればいいよ。私から頼んでおく」
思わぬ申し出に、私は恐れ多いと断る。
「そんな、実正様もお忙しいでしょうし、お手を煩わせることでは」
「遠慮しなくていいよ。ピストルはまだ希少品だから、軍でも選抜試験に受かった人間しか持てない。そんな物を教えられる人間など、そう簡単に見つからないだろう」
実就様はそう言うと、にっこりと笑った。
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