雨が降っている。
家の庭の土が盛り上がった場所の前で、私は立ち尽くしていた。
つい昨日まで生きていた父が、死んだ。いつも通り、お昼の用意ができたよと仕事場に行くと、地面に倒れて事切れていた。
突然、後ろから傘が出てきて私を雨から避けた。
「この度は、心よりお悔やみ申し上げます」
男性の声がして振り返る。偉い人が着ている洋服、スーツを身に纏い口髭を生やしたご老人が、私に傘を差し出していた。
私は家の中へ入れた男性にお茶を出す。男性は六十代くらいで、口髭を生やしている。ほとんど白髪だが、まだ地毛の赤黒い髪が所々見える。
「ありがとう」
男性はお茶を口にする。
こんな上客がいた覚えはない。誰だ、この人。俯きながらぼんやりとそんなことを考えていると、男性が口を開く。
「悲しいね」
私を見る顔で、上辺だけの同情じゃないと分かる。その目には、父でも私でもない誰かが映っている。でも、私は首を横に振る。
たった一人の家族だった。気の弱くて優しい、私を溺愛してくれた父だった。
なのに、涙が出ない。悲しさが湧いてこない。それより何より先に、「明日からどうやって生きていけばいいのか」と思ってしまった。父の死を悼むより先に、自分の心配をしてしまった。最低な娘だ。
「これからどうするつもりだい」
私はまた首を振って、髪に挿した紅色の玉と金物細工が垂れる簪を抜く。濡れた髪がパラパラと落ちてくる。
母の形見だと言われた物。これで、父の形見にもなってしまった。
無感情に、簪をきらきらと反射させる手遊びをする。
男性は深く長く息を吐いて、こう提案してくる。
「親族を探そう。誰かきっといるはずだ。しばらく分の金も置いていこう」
私はその男性へ視線を移す。
「どうして?」
金持ちの気まぐれか? 何もなしにこんなことするとは思えない。
私は疑いの眼差しを向けるが、男性は真剣に私を見つめている。
「私はこの国の領主だ。未来を担う子供を見捨てることはしない」
そう言って、ネクタイについている家紋を指差す。私はそれを見て、大きく目を見開く。
そこには確かに、領主三上家のみ掲げることを許された家紋、丸に尻合わせ三つ蔦が刺繍されていた。
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