曇りがちで朝日が差し込まず、朝なんだか夕方なんだか分からない明るさの日。
「おはようございます」
オレは冷えた手を擦り合わせながら、事務室に入る。
「昨日の幹川の報告をしてくれ」
館長が螺旋階段を下りてくる。
「はい」
来て早々頭を回し、簡潔にまとめる。
「で、それを言いふらしていた目撃者は?」
館長は真面目な顔で聞く。
「お隣に住むご老人でした。厠に起きたときに見たと。睡蓮さんが良い家柄ではないかとの疑惑が出ていたので、親が連れ戻しにでも来たかと思って『何か家紋は見なかったか』と聞きました。しかし、何も見ていないと」
オレは懐から取り出した小さな雑記帳を見ながら、答える。
「有力な手がかりはなしか。この後はどうする?」
「百合様の交友関係を当たります」
良い家柄といっても数はあるし、駆け落ちして出ていったかもしれない娘のことを喜んで語るとは思えない。これ以上睡蓮さんのことを追うのは難しい。
オレは館長と別れ、百合様の文献を順番に読み込んでいく。
模範的なご息女だったらしい。真面目で誠実、思いやりのある優しい人柄だったと書かれている。友人は同じ女学院の人が数名上がっているが、睡蓮という名は出てきていない。領主に即位されてからは弱者救済制度の設立に尽力されていたようだが、そのための租税の引き上げやその使い道が納税した自分達でないことに国民の理解を得られず。苦境に立たされる中、玄磨二十二年、芍薬様がご逝去。それが決定打になり、精神的に参ってしまったようだ。領主の業務を側近に任せるなど消極的になり、亡くなる三日前には容体が急変して病院へ入院。そのまま亡くなる。
「昼だぞ」
館長に呼びかけられ、はっとする。
「何か分かったか?」
オレはちょっと眉を寄せる。
「なんか気になるですよね」
「何が?」
館長が怪訝な顔をして聞いてくるので、オレは説明する。
「普通三上家の人間が亡くなったら、葬儀は大きく執り行うし、国民が参加できる追悼式も開かれます。でも、百合様はそのどちらもない」
館長は「そのことか」と、上へ視線を向ける。
「当時は、『実は自殺されたからじゃないか』とか、『実就様がとてもそういった類のものに出席できる様子じゃないのかも』とか言われてたな。実就様は子煩悩で有名だったし、三ヶ月の間に妻と娘を亡くしたんだ。誰だってやられる」
どっちであったにしろ、何年か後に追悼式くらいやってもよくないか?
オレは顎を摘む。
「私は先に休憩を取るぞ」
館長が事務室を出ていった後、オレは本をさらに読み進める。
遺品項目と書かれている章には、百合様の持ち物が誰に相続されたのか記載されている。
そういえば、芍薬様の簪は死後どこへいったんだろう。
オレはふと気になって、芍薬様の遺品について書かれている書物を探す。そして、簪の行方についての記述を見つけた。簪四十五個は百合様が相続された、と書かれている。
オレは、さっきの百合様の本をもう一度確認する。
『髪飾り五十本は鶯様が相続』
それを見て、オレはすぐに出かける準備を始める。そして雑記帳に「城へ出かけます」と書き記して破り取り、テーブルへ置く。そして扉を開け、事務室を出た。
十五分ほど歩いて城の周辺に着くと、デモ隊が溢れかえっていた。
「米を寄越せ!」
今にも暴動が起こりそうな殺気だった集団の周りを、警官達が疲れた顔で警備している。
「すいません。城へ用があるんです。中に入る手伝いをしてもらえませんか」
オレは中年の警官に話しかける。
「騒ぎが収まった後でいいでしょ」
警官はやる気なしの様子でオレを見る。
「急用なんです」
「嘘つけ。本当に急用があるような政府関係者は、車で来る」
しっしっと手を払う警官に、オレは思わず眉を寄せる。
「何しに行くんですか?」
中年警官の後ろから、オレと同じ年代くらいの警官がやってきた。
「実正様直々の命で伝記の執筆を行っていて、その用で」
オレが説明すると、その警官は頷いて中年警官に話しかける。
「じゃあ、私が警護して連れて行きますよ」
「ダメだ。一人一人にそんなことやったらキリがない。次から次に、城へ連れてけと言われるだろ」
中年警官が叱りつける。
「証明できます」
オレはイラつきを覚えながら、その中年警官に懐から出した文を見せる。
「末尾に丸に尻合わせ三つ蔦の、三上家の家紋があるでしょ」
文の最後のところに、実正様直筆の署名と金箔で押された家紋がある。これは、伝記を書くよう命じる旨の手紙だ。各方面へ調査する時に怪しむ人が出て来るだろうからと、実正様が調査依頼書と同封してくれた。
「えっ」
中年警官は明らかに動揺する。だったら最初から食ってかかってくるな。
「これで問題はないですね。行きましょう」
若い警官がにっこり中年に笑いかけ、集団の方へ歩き出す。オレは軽蔑の眼差しを中年に送ってから、ついていく。
声をかけて、人を退かしながら進む警官とオレ。デモをする人達の睨みつけてくる視線が痛い。
「ありがとうございました」
門番と向かい合っている最前線に、ようやく辿り着いた。
「帰りは門番に頼んでくださいね」
警官はそう言って、引き返していった。
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