そこは夜の公園の並木道だった。
並木道に沿って並ぶ外灯が道を照らしていた。
その公園の並木道を近道として通り抜ける人は多く、今夜も一人の男がその道を歩いていた。
男はスーツ姿であることからして会社の帰りのようだ。
誰かと待ち合わせをしているらしく、何度もスマホの画面に表示される時間を確認する度に速足になっていく。
並木道の中程まで来ると、外灯が点滅し消える。
「…なんだ?停電?」
不信に思いながらも立ち止まることはない。
そんな中、スマホに着信が入る。
「はい」
男は電話に出る。
「今…急いでるよ。怒らないで。悪かったよ。でも、急な残業が入って…」
男が話していると、急に辺りが少しだけ明るく感じる。
外灯がついたのかと男が顔を上げると、赤い提灯が並木道に沿って宙に浮いている。
「なんだ…これ⁉」
そう思った瞬間、闇の中から鬼が現れる。
それは平安の絵巻物に書かれたような鬼そのものだった。
人間から鬼になると、その姿は人間にも見えるものになる。
「え…⁉嘘だろ…⁉」
男は後ずさる。
鬼が男に向かって歩いてくる。
「ひっ…!!」
男は恐怖に駆られ、鬼から逃げるように走り出す。
鬼は逃げる男を走って追いかける。
「来るな!来るな!」
必死に逃げる中で男はスマホを落とす。
「ねぇ?どうしたの?」
スマホから女の声がする。
鬼は一瞬立ち止まると、スマホを見た。
男は構わず走って行く。
鬼は逃げる男に再び視線を移すと、男を追って走り出す。
鬼が追ってきているのに気づいた男は必死に走るスピードを上げる。
しかし、男の抵抗も空しく、鬼は一瞬で男に追いつき追い抜く。
鬼が追い抜くと同時に男は倒れた。
鬼は立ち止まると、男に向かって歩き出す。
そして、男の頭を持ち上げる。
男の首は折れていて、すでに死んでいた。
鬼が男の頭の上で大きく口を開けると、男の頭の上に光の塊のようなものが現れる。
それは俗にいう人間の魂というもの。
その魂を鬼は口の中に吸い込み、呑み込んだ。
すると、鬼の体から微かにピリピリといした電流のようなものが発せられる。
それと同時に妖力が増し、辺りの空気が淀んだ。
朝のリビングのソファーに疲れきった奏が横になり眠っている。
銀狐と金狐はダイニングのテーブルで油揚げを美味しそうに食べている。
「おはよう」
ダイニングのテーブルについた柚葉が言う。
「あれ…?奏。何で寝てるの?」
リビングのソファーにいる奏に気づくと、身を乗り出して言う。
「奏様は一晩中、私たちと鬼を探しに行ってたんです。ですから、寝てなくて…」
油揚げを食べる手を止めて、銀狐が言う。
「不老不死なのに眠らないとダメなの?」
「不老不死とは言っても、疲れはたまります。ですから、体を休めるために眠る時間は必要になるのです」
「そういうものなの?不老不死って」
柚葉は不思議そうに言う。
「老化せず死ぬことがない。それを除けば普通の人間と何ら変わりないんです」
「そうなの…。もっと、人間離れしてるかと思ってた」
言いながら、奏を見る。
「いいえ。奏様は確かに人間です。痛みも哀しみも知り、それでも人への思いやりを忘れない。どんなに苦しくても辛くても、誰かに優しくできる。そんな方です」
「そうだよね。奏は優しいよね」
柚葉はニッコリ笑う。
「ただ、優し過ぎて、悩みすぎることがあります。もう、十分すぎる程の優しさだと思うのですが。奏様は、それでは気がすまないようで…」
銀狐は困ったように笑う。
「そう…。そういう人なのね。じゃあ、時々、冷たいように思えるのは何かを悩みすぎてるってこと?」
「そうですね。そういうことでしょうね。きっと」
「そっか…」
柚葉は微笑む。
「あたしね…。奏に嫌われてるのかもって思う時があって…。その時、奏の態度が冷たく感じて。でも、銀狐の話を聞いてたら、違うんだなってわかって…」
そう言うと、柚葉は安心したように笑う。
「ホッとしました?そんな顔してますよ」
銀狐は穏やかな眼差しで言う。
「うん。ホッとした。ありがとう。話してくれて」
柚葉は嬉しそうに言う。
「いいえ。柚葉様の気持ちが少しでも楽になったのなら、良かったです」
銀狐も嬉しそうに笑う。
「それで、昨日の夜は鬼は見つかったの?」
「いいえ。残念ですが」
銀狐は眠っている奏を見つめる。
「ただ、鬼に殺された人間は見つけました」
「そう…。このままだと犠牲者が増えそうね…」
「はい。急がなければ…」
銀狐はため息をつく。
「何か手がかりはないの?」
「手がかりになるか、同じ町に鬼は出没しています。毎回、場所は違うのですが…」
言いながら、銀狐は柚葉の肩に鳴珂がいるのに気づく。
いつの間に出てきたのだろう。
鳴珂はテレビを食い入るように見ている。
つられるように銀狐もテレビを見る。
そこには異常犯罪者による連続殺人事件のニュースだった。
昨夜も、また人が殺されたというニュースだ。
ここ数日、こういうニュースが毎朝報道されている。
実際は鬼に殺されている事件だが、物の怪を見ることも信じることもない人間にはそんな発想はない。
テレビには事件現場が映し出されている。
その現場の映像を鳴珂は食い入るように見ている。
「鳴珂。テレビが珍しいか?」
銀狐は鳴珂の顔を覗き込む。
「違う。あの場所…懐かしくて」
「懐かしいとは?」
「主の住んでいる町だ」
「佑の…」
銀狐は考え込む。
「そうか…」
言いながら、眠っていたはずの奏が起き上がる。
「奏様」
「あ、おはよう。奏様」
ずっと、油揚げを食べることに没頭していた金狐が言う。
「佑の家だ。佑の家を中心にして鬼は出没している」
「佑って…、あの陰陽師の…?」
「確かめに行くぞ。柚葉も着いてきてくれ。鳴珂の案内がいるんだ」
「え…でも、あたし学校が…」
「柚葉。頼む。もう、誰も死なせたくないんだ。協力してくれ」
奏は真剣な眼差しで言う。
その瞳には一寸の曇りもない真っすぐな想いがあった。
誰かの命が奪われるのをこれ以上見ていられない…。
そんな切実な想いが伝わる。
「うん。わかった」
柚葉は無意識に笑顔で答えていた。
奏の力になりたい。
素直に、そう思えた。
奏と柚葉達は、事件の多発する町を鳴珂の案内で歩いてた。
奏と柚葉が並んで歩き、その後ろを銀狐と金狐が歩く。
柚葉の肩にはリスほどの大きさの鳴珂が乗っていて、道案内をしている。
「こっちだ」
鳴珂が指さす方に進んでいく。
その道の途中に事件現場となった場所が幾つかあった。
町に入って、しばらくして一件の家の前で鳴珂の案内が終わる。
「ここだ。ここが主の家だ」
鳴珂が目の前の家を指して言う。
「金狐は柚葉を守って、ここにいろ」
「御意」
「銀狐は俺と家の中へ」
「御意」
「オレも…オレも行きたい」
奏は柚葉の肩にいる鳴珂を見る。
「主が心配」
懇願するように言う。
断れば今にも泣きだしそうに見える。
「…わかった」
奏は穏やかな眼差しで言う。
「ただ、柚葉を家の中には入れられない。家の中に鬼が潜んでいる可能性があるなら尚更だ。だから、柚葉から離れられるギリギリの距離までだぞ。それでいいか?」
「いい。少しでも主のことがわかるなら…」
鳴珂は頷く。
「じゃあ、こっちに来い」
奏が手招きすると、鳴珂は柚葉の肩から奏の肩に飛び乗る。
「柚葉と金狐は扉から離れていろ」
奏が玄関の扉に向かって歩き出すと、その後に銀狐がついて歩き出す。
「扉は私が壊します」
奏を追い越し、銀狐が扉の前に立つ。
そして、すぐに扉の違和感に気づく。
「どうした?銀狐」
「少しお待ち下さい」
そう言うと、扉の取っ手に手をかける。
すると、簡単に扉は開いた。
「鍵がかけられていないのか…?」
「はい。人が住んでいるのなら、鍵がかっているはず…」
奏の言葉に答えながら、頭の中で巡らせる。
「つまりは…この家には人がいない。そういうことでしょうか…?」
「人がいない?…死んでるということか…」
「恐らく…」
奏は手の中から式札を出す。
「次縹」
そう呼ぶと、式札が青い光の塊に変わる。
「柚葉を守れ」
奏が命令すると、次縹は柚葉の傍に移動する。
「金狐。鬼が出てくるかもしれない。柚葉を守れ」
「御意」
金狐の返事を聞くと、奏は銀狐の方を見る。
「いくぞ」
「はい」
銀狐は頷く。
「奏」
柚葉が不安そうに言う。
振り返り、その顔を見る。
「柚葉。大丈夫だ。鬼は、まだオサキ狐ほど強くない」
「でも…」
「俺は不老不死だ。死ぬことはない。だから、何があっても戻ってくる。心配はいらない」
奏は笑顔で言う。
「うん…」
わかってる。
それでも、奏の体が傷つくのがわかっているのに何もできないことが嫌だった。
人間と同じなら傷の痛みだってあるはずだから…。
心配そうな眼差しの柚葉を置いて、奏は銀狐を見る。
「銀狐」
「はい」
銀狐は扉を開ける。
しかし、中から何かが出てくる様子はない。
「入るぞ」
「はい」
奏と銀狐は家の中に入って行く。
玄関に入ると、靴は散乱し埃が溜まっていた。
「掃除がされていない。何の気配もない」
「妖力を感じません。人間の気配も…」
奏は靴のまま玄関から廊下に一歩踏み出す。
そして、廊下を歩きだす。
その後を銀狐がついていく。
廊下の左側に扉がある。
「ここはご飯を食べる部屋だ」
肩にいる鳴珂に言われ、奏は扉を開ける。
「…これは」
そこにはシステムキッチンとダイニングテーブルがあった。
システムキチンの前に中年の女の死体があり、テーブル備え付けの椅子に中年の男の死体があった。
奏と銀狐は部屋の中に入ると、死体の状態を見て回る。
二人とも人間の仕業とは思えないような力で首を折られている。
そして、その顔は恐怖に引きつっていた。
「死後数日経ってますね」
「佑がやったのか…」
奏は哀しそうな眼差しで言う。
「自分の両親を、その手で殺したのか…」
辛そうに奏は目を細める。
「鬼になっているとはいえ、佑だった部分も残っていたはずです。きっと、辛かったでしょうね」
銀狐も哀しそうな眼差しで言う。
「そうだな。だからこそ、佑だった部分を消すためにやったんだろう。完全な鬼になるために…」
「そんな…主は…」
鳴珂は震える。
まるで泣いているように…。
「鳴珂。おまえは辛いだろうが。鬼を退治することが、おまえの主の魂を呪いから解放することになる。主を想うなら鬼のままではなく。殺して人間の魂に戻してやるしかない」
「主を…」
鳴珂の声は震えている。
「でなければ、その手で次々と人間を殺していく。自分の両親を殺したように…。おまえの優しかった主が人間を殺す姿を見てられるか?」
そう言うと、奏は死体から目を逸らす。
「俺は見てられなかった。だから、弟を殺した…」
辛そうな声で言う。
すぐ近くで響く奏の声は哀しみに満ちていて、その気持ちが痛い程伝わる。
同じ痛みを持っているからこそ、奏の言葉は信じられる。
そう思えた。
「オレも見てられない…。人間を殺し、心で泣いている主を…」
「そうか…。それなら、一緒に、おまえの主の魂を救おう。これ以上苦しまないように…」
「…わかった」
そう言った鳴珂の声は未だ哀しみに震えていた。
その夜は曇り空だった。
月は雲に隠れ地上を照らすことはなかった。
しかし、月の光を必要としない場所があった。
そこは、とあるビアガーデンだった。
屋外にもかかわらず、昼間のように明るく照明で照らされていた。
多くの人が酒を飲み、料理を食べていた。
テーブルの間を料理や酒を持ったボーイが歩き回る。
そんな中、ほろ酔い気分になった男が夜空を見上げた。
「綺麗だ…」
うっとりしたように言う。
「何がだ?月も出てないのに、空に何がある…?」
そう言って、隣に座っていた男が夜空を見上げる。
夜空には赤い提灯が無数に浮いていた。
「あれ?あんな照明あったか…?でも、綺麗だ…」
うっとりと見ていると、悲鳴があがる。
「なんだ…⁉」
悲鳴のあがった場所には、人間ではない者がいる。
傍には強力な力で首をへし折られた男が倒れている。
「グルルルル…!!」
魂を食らい、雄叫びをあげる。
それは紛れもなく、佑が鬼になった姿だった。
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