鳴珂はリスほど小さな姿のまま、街中で何かの匂いを鼻で嗅ぎながら追っていた。
その姿は普通の人間には見えていない。
今いる場所では奏と柚葉以外には。
「奏様。柚葉様を連れてきて良かったんですか?」
銀狐が心配そうに言う。
つい先日、柚葉が危ない目に遭ったばかりで、いつ佑がオサキ狐に取り憑かれた状態になるかもしれない。
それなのに柚葉を連れていくことを不安に思っていた。
「鳴珂がどうしても主を探したいというんだ。だけど、今の鳴珂は柚葉の中に自分の妖力の核をおくことで存在している式神だ。妖力の核から離れることはできない。つまり、柚葉と一緒でなければ移動さえできない。それを知った柚葉が鳴珂のためにどうしても一緒に行くと聞かなかったんだ」
奏はため息混じりに言う。
「それは…困りますね」
「誰かを助けたいと思うのはいいことだ。だけど、自分の身を危険に晒してまで…というのはな…」
再びため息をつく。
「…奏様が、それ言います?」
「どういう意味だ?」
「いくら不老不死といえ、自分を犠牲にし過ぎです。必ず体が再生するとは言っても、体の痛みや死の恐怖は本物です。いつか心が壊れてしまわないか心配です」
「そんな風に思ってたのか…」
穏やかに言うと奏は笑った。
「ありがとな。でも、俺はいいんだ。誰かを守るために俺はいる。そのことが俺の存在理由だから。本来なら俺は生きてていい人間では…」
「奏様!それ以上言ってはなりません!奏様は何も悪くありません。それに奏様は今まで多くの人間や物の怪を助けてきました。間違いなく、この世界に必要な人間です。だから、自分をそんな風に云わないでください。式神である私が哀しくなります」
奏以上に辛そうな眼差しで銀狐は言う。
「…銀狐」
そんな銀狐を何の表情もなく見つめている。
そして、ため息を零し微笑む。
「そうだな。主の俺がこんなじゃ…。悪かった」
「謝らないでください。ただ、奏様には生きる価値があることを知っていただきたかったんです。この世に生を受けて価値のないものはありません。それは奏様も同じです」
「そうだな。生まれてくる全ての命に価値がある。だから、誰一人死なせたくないと思うんだ」
そう言うと金狐と一緒に鳴珂の後を追う柚葉を見る。
「それは柚葉だって同じだ。だから、何があっても守るつもりでいる。例えオサキ狐が相手だとしても…」
「奏様…」
「それに鳴珂には危なくなったら柚葉を守るように言ってある。柚葉がいなくなれば、柚葉の中に妖力の核のある鳴珂は消えてしまうからな。鳴珂にとっても柚葉は守らなくてはならない人間だからな」
そう言うと、奏は笑った。
「そうですか…。それなら少しは安心ですね」
銀狐は穏やかな笑顔で言いながら、鳴珂を見る。
「でも、鳴珂がそこまでして主を探したい気持ち、よくわかります。私も同じ状況なら、きっと…」
そう言うと、銀狐は寂しそうに笑う。
「式神とは、そういうものなのか…?」
奏は不思議そうに言う。
「はい。主を信じていますから」
銀狐はニッコリ笑って言う。
「そうか…」
奏は嬉しそうに笑う。
誰かに信じられている。
必要とされている。
その事実が、何よりも嬉しかった。
「奏!こっちよ!」
柚葉が手招きしている。
「何か見つけたのか…?」
「この公園に鳴珂が入っていったの。早く」
奏は柚葉に手を引かれ、公園の中に入って行く。
その後を追うように銀狐が公園に入っていく。
公園の中にある池の淵に鳴珂と金狐がいた。
「鳴珂。見つけたの?」
柚葉は奏と駆け寄りながら言う。
ハッとしように鳴珂と金狐が柚葉を見る。
「柚葉。それ以上来るな!」
鳴珂の声に柚葉は思わず立ち止まる。
「え…?なんでよ?」
「池の中に人間の死体がある…。柚葉は見ないほうがいい」
「死体…」
その言葉で柚葉は立ちすくむ。
「柚葉はここにいろ。銀狐。柚葉を頼む」
「はい」
奏は池の淵に向かい、銀狐は柚葉の傍に立つ。
池の淵に立つと、奏は池の中の死体を見る。
そこには見たこともない男の死体があった。
死体の首は何かの強い力でへし折られていた。
その首の折れ方から、尋常ではない力でへし折られているのがわかる。
「これは…鬼の仕業…」
そう言って、奏は口をつぐむ。
そして、鳴珂を見る。
鳴珂は死体を見つめたまま動かなかい。
微かな震えから、泣いているようにも見える。
「鳴珂…」
どう声をかけていいのか、わからなかった。
その死体からはオサキ狐の妖気が感じられる。
その人間を殺したのはオサキ狐の妖気をまとった鬼。
それはオサキ狐の呪で鬼になった人間のことを示す。
「主が鬼になった…」
鳴珂の絶望的な呟きは、主である佑を助ける方法は死以外にないことを意味している。
「鳴珂」
傍にいた金狐も何も言えずに、鳴珂の名だけを呼ぶしかなかった。
その様子を離れて見ていた柚葉は胸を押さえる。
「どうしました?」
銀狐は柚葉の異変に気づく。
柚葉は苦しそうに胸を押さえ、その頬には涙が零れる。
「柚葉様…?」
「苦しい…、辛い…。鳴珂の…哀しみが伝わってくる…」
「鳴珂の…?体に取り入れた式神の感情も共有できるということか?」
そう言った銀狐の目の前で柚葉は崩れ落ちるようにその場に座り込む。
「柚葉様!」
銀狐は膝をつくと、柚葉の背中をさする。
「柚葉!どうした⁉」
奏が駆けつける。
「どうやら、柚葉様は体に取り込んだ式神の強い感情を共有できるようです」
「鳴珂の…」
言いながら柚葉を見ると、柚葉は震えるように泣いている。
柚葉は奏の腕にすがりつく。
「柚葉」
奏は柚葉の隣に座り込むと、柚葉の頭を撫でる。
「大丈夫か…」
それ以上何をどうしたらいいか、奏はわからずにいた。
「お願い…。鳴珂の主を助けて…」
柚葉は辛そうに震え、涙を流しながら言う。
「柚葉…」
その姿を見ていると胸が押し潰されそうになる。
できることなら、助けると言いたかった。
しかし、鬼になった人間を救うには殺す以外に方法がない。
もう、助けることができない。
「ごめん。柚葉。鬼になった人間を助ける方法はない…」
奏は柚葉を抱きしめる。
「力になれなくて、ごめんな」
言いながら、柚葉の頭を撫でる。
「ごめん…」
抱きしめたまま、何度も何度も柚葉の頭を撫でる。
柚葉は鳴珂から感じ取った深い哀しみに肩を震わせ泣いた。
奏はリビングで銀狐と金狐が一緒にテレビを見ていた。
いつもはテレビを何となく見ていることはある二人だが、今は食い入るように見ている。
今テレビで流れているのは、最近多発する連続殺人事件のニュースだ。
内容は、とある町で夜道を歩いている人間が襲われ、殺されるというものだった。
ただ、その殺され方が異常だとニュースでは伝えている。
到底、人間の力で殺されたとは思えない殺され方をしていた。
体のあらゆる部分をへし折られたり、遺体によっては体の骨を粉々に砕かれている。
異常犯罪者の仕業だと世間では噂になっていた。
「奏様。これは…」
銀狐は奏を見る。
「間違いなく。鬼の仕業だ」
「人間達の中で大騒ぎになってるぞ」
テレビを見たまま、金狐が言う。
「騒ぎが大きくなれば、鬼を探しづらくなるな」
「そうですね。早急に鬼を探さなくては…」
「じゃあ、今夜にでも鬼探しに行くか?夜に出るんだろ?」
金狐はワクワクして楽しそうに言う。
そんな金狐を奏と銀狐がじっと見つめる。
「何だ?どうした?」
金狐は不思議そうに言う。
「その…こんな状況にも関わらず楽しそうだと思って」
銀狐は少し呆れ気味に言う。
「そうか?」
金狐は首をかしげて言う。
「…まあ、前向きでいいんじゃないか。金狐らしいというか…」
そう言って、奏は笑う。
「奏様。駄目ですよ。そうやって、金狐を甘やかしては…。いつまで経っても子供のように振舞うようになりますから」
「オレが子供だと⁉」
金狐はムキになる。
そして、すぐに考え込む。
「…そうだったのか。オレ、まだ大人じゃなかったんだ!」
意外と素直に言う金狐に奏と銀狐は思わず笑う。
「頭がいいのか、悪いのか…。金狐は…」
銀狐はため息混じりに笑う。
「素直でいいじゃないか」
奏も笑いながら言う。
金狐の言葉に一気に近況の糸が途切れる。
今までも、どんな深刻な状況でも金狐の子供のような無邪気さに救われてきた。
心が重苦しくなるほど、金狐の存在は貴重だった。
「でも、何で夜なんだ?」
納得いかないように金狐は言う。
「鬼になってすぐは力が弱いから、昼間は活動しないことが多い。昼間は夜以上に力の消耗が激しいから、陰陽師にでも出会えばすぐに殺されることになる」
「それは嫌だな」
奏が丁寧に説明すると、金狐は頷く。
「ですが、人間を殺し、その魂を食らい続ければ力が増し、昼間でも活動できるようになります。ですから、力の弱い今の内に退治するのです」
「そうか…」
銀狐の説明に金狐は腕組する。
「その態度。…また、忘れてましたね?」
「え…?また…?」
「私たちが生きてる1300年の間に数えきれないほど説明しましたけど。未だに記憶に残ってないのはどういうことでしょう?」
「そうだっけ…?でも、そんな重要…?」
「重要です!…結局、興味のないことはすぐ忘れますからね。ずっと、そうでしたからね」
銀狐は冷めた声で言う。
「で…でも、油揚げのことは覚えてるぞ」
「…それしか興味ないってことですね」
銀狐はため息をつく。
奏はおかしそうに笑いながら、その様子を見ていた。
このやり取りは銀狐と金狐と出会ってから、数百年も続いている。
二人らしくて、いつ見ても笑ってしまう。
長い年月を生きて、周りの人間が老いて死んでいき、時代が切り替わっても、この二人だけは変わらない。
移り変わる世の中を見ながら、それでも孤独に怯えることがなかったのは、銀狐と金狐がいたお陰だと奏は感謝している。
辛い日々も変わらず彼らは傍にいてくれた。
それは、これからも変わらないだろう。
常に奏の心の中では二人への感謝があった。
傍にいてくれて、ありがとう。
「とにかく、夜に鬼探しに出かけよう」
「わかりました」
「わかった」
「しかし、闇雲に探しても徒労に終わるかもしれません」
「そうだな」
そう言うと、奏は少し考える。
「…死体は同じ町で発見されている。同じ町で探せば見つかるかもしれない」
「なるほど。そうですね」
「さすが、奏様!」
「それで範囲は絞られるな」
「はい」
銀狐と金狐が答える。
「それじゃあ、俺は夜まで仮眠を取る。おまえ達は眠らなくてもいいから、出かけるまでゆっくりしているといい」
そう言うと、奏はリビングから出て自分の部屋へと向かった。
リビングに残された銀狐と金狐は顔を向かい合わせる。
「ゆっくりと言われても、どうしましょうか」
銀狐は困ったように言う。
「決まってるだろ!鬼退治に備えて油揚げを食べて力をつけるんだ!」
金狐は胸を張って言うと、キッチンに行く。
「お母さん。油揚げ、たくさん食べたい。今日の夜、鬼退治なんだ」
まるで、学校の部活にでも行くかのような言い方だ。
「あら、大変!でも、そんなに油揚げないわよ」
「…そうなのか」
金狐はため息をつく。
「でも、これからお買い物につき合ってくれたら、たくさん買ってこれるんだけどな」
莉世は楽しそうに言う。
「本当か!オレ、買い物についていく!」
金狐は嬉しそうに言う。
「結局、油揚げのことしか考えていないのか…」
銀狐はため息をつく。
「銀狐ちゃんも油揚げ、たくさん食べるのよね?鬼退治があるから」
莉世も鬼退治をまるで部活のように…。
「はい!」
銀狐は嬉しそうに元気よく返事をする。
その顔は子供のようにワクワクしていた。
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