その夜は空一杯に星がちりばめられて吸い込まれそうな夜空だった。
その夜空の下、神社の本殿正面の石段に奏は座っていた。
その目の前に銀狐が立っている。
本殿にはご神体として天狐がいるが、結界を張ることに集中しているため本殿から出てくることはない。
本殿とはご神体のある建物で、よくお参りをするのが拝殿といわれる。
本殿は拝殿より奥に建てられていて、鳥居の前に立っても見えない場所にある。
夜とはいえ、一目につくのを避けて奏達は本殿の前にいた。
夜空に浮かぶ月が本殿と奏達を薄っすらと照らしている。
その光景は幻想的で、夢の中にいるかのようだった。
「柚葉様が、奏様があまり親しくされないので、気にしていらっしゃいました」
「そうか…」
奏は星空を見上げる。
「俺は目的を果たすまで、物の怪につけ狙われる。でも、何の力もない柚葉と親しくなれば巻き込むかもしれない。そうなれば、柚葉は…」
奏は辛そうにうつむく。
「そうですね。今は柚葉様を遠ざけるのが最善の方法ですね。すべては柚葉様を守るためですよね」
「そうだ」
「あの方のように死なせたくないんですね」
「そうだ…。もう、あんなことは…」
奏は辛そうにうつむいたまま右手で額を押さえる。
銀狐は、それ以上何も言わなかった。
今の奏にかける言葉が見つからなかったからだ。
大切な人を失ったあの時、奏様が嘆き悲しんだ姿を忘れた日はない。
あの日から、大切な人の仇を取るために生きるようになった奏様だったが、柚葉様と出会うことでその憎しみが少し和らいでいるようだった。
もう、あんな奏様の姿は見たくない。
どんなことがあっても、柚葉様を守らなくては…。
ある晴れた日、幼い柚葉は神社の境内から道路に出ていた。
絶対に神社の敷地内から出てはいけないと言われていたが、幼い柚葉が守るはずもない。
道路を歩いていると、何かの気配に気づいて振り向く。
そこには神社にある古い巻物に出てくるような、おどろおどろしい鬼がいた。
「見つけた」
柚葉を見ると、そう言った。
「オニ!」
何もわからない柚葉は、鬼をじっと見つめた。
神社で見た絵巻物に書かれている鬼、そのものだった。
「わぁー。しゅごい!」
「おお。そうか、そうか。なら、一緒に行こう」
そう言って、鬼が柚葉に手を伸ばしてきた。
その手からは呪いのような禍々しい力を感じる。
背筋に寒気がするような、気持ちの悪い感覚だ。
ついていってはいけない。
そう、心の奥の何かが警告している。
「いや!」
柚葉は思わず走り出した。
走りながら、込み上げてくる恐怖に涙が零れる。
「柚葉!」
逃げる方向に奏が立っていた。
「たすけて!」
奏は幼い柚葉を抱きかかえると、手の中から式札を出す。
「金狐」
式札が金狐に変わる。
「鬼をやれ」
「御意」
笑顔で、そういうと両手の平を胸の前で合わせた。
そして、その両手を左右に引き離していく。
その両手の平の間から炎の剣が出てくる。
「行け!」
金狐がそう言うと、柚葉を追いかけてきていた鬼に向かって炎の剣が飛んでいく。
鬼が炎の剣を避けてかわしても、炎の剣は再び鬼目掛けて飛んでいく。
「そいつは、おまえを倒すまで追い続ける。逃げられるものなら逃げてみろ」
金狐は自信満々に言う。
鬼はかわしても無駄だと悟ったのか、走り出した。
「貫け!」
金狐がそう言うと、飛んでいく炎の剣のスピードが速くなる。
そして、一気に鬼の体を貫いた。
それと同時に鬼の体は炎に覆われた。
そして、炎の塊に変わると、その炎は小さくなっていき、最後には消えた。
柚葉は恐怖から奏にしがみついて震えていた。
奏はそっと柚葉の頭を撫でた。
「もう、大丈夫だ。もう、鬼はいない」
何度も撫でる奏の手が温かくて、柚葉の気持ちは落ち着いていく。
やがて、震えが止まると柚葉の体から力が抜ける。
「もう、大丈夫だ」
「う…ん」
そのまま、奏は神社に向かった。
そして、鳥居の下に柚葉の父親を見つける。
父親の隣には銀狐が立っていた。
「銀狐から話は聞いたよ。柚葉を助けてくれて、ありがとう」
「おとうたん!」
父親に気づいた柚葉は手足をジタバタさせた。
奏が柚葉を降ろすと、柚葉父親に向かって走って行った。
そして、父親の足に抱き着く。
「柚葉。恐かったな」
そう言って、父親が柚葉を抱き上げる。
「う…ん。でも、たすけてもらった」
「そうか。良かったな。あの人は奏というんだ。本物の陰陽師だ」
「おんみょうじ?」
不思議そうに言いながら、柚葉は奏を見た。
「柚葉。俺は柚葉を守るためにきた」
「まもる…?」
「さっきの鬼とか、物の怪から守るためにな」
「オニ…」
「でも、しばらくはこれを持っていれば大丈夫」
そう言って、奏は勾玉のペンダントを柚葉の首にかけた。
すると、勾玉が光だし、柚葉の体を包んだ。
「いまの…なに?」
「勾玉の結界だ。何ともないか?」
「うん…」
柚葉は勾玉を手に取って、じっと見つめた。
「その勾玉が柚葉を守ってくれる。だから、いつも持ってるんだ。そして、絶対に失くすなよ」
「オニこない?」
「そうだ。オニは来なくなる」
「うん!わかった!なくさない」
柚葉は笑顔で元気に言った。
「もし、勾玉でも守れなくなったら、俺が守りにくる。約束だ」
奏は笑顔で言った。
「うん。やくそく」
柚葉は嬉しそうに言った。
柚葉はゆっくりと目を覚ます。
時計を見ると、午前2時頃だった。
「これは夢…?」
柚葉は起き上がって、考え込む。
「そうじゃない。…違う。あたし、奏に会ったことがある。思い出した…」
そして、夢の違和感に気づく。
「あれ?なんで…?奏は歳をとってないの?」
夢の中の奏は今と変わらない若さだった。
「どういうこと…?」
朝が来ると、柚葉の部屋には銀狐が起こしにきていた。
「柚葉様。起きて下さい」
「ううん…」
柚葉は起きない。
というより、起きれなかった。
奏の夢を見て、深夜に起きた後、なかなか眠れなかったのだ。
「遅刻しますよ。柚葉様」
「うーん…。え⁉遅刻!」
柚葉は勢いよく起き上がった。
「おはようございます」
銀狐が笑顔で立っていた。
「時間は…?」
「朝食を食べる時間はないか…と」
「うそー!」
柚葉はベッドから出る。
「着替えるから、部屋から出て」
「はい」
銀狐は笑顔で言うと、部屋から出て行く。
しばらくすると、身支度をして通学バックを持った柚葉が部屋から出てくる。
「銀狐。行くよ」
「はい」
玄関に向かう途中でキッチンを通る。
「あら、柚葉。朝ごはんは?」
柚葉に気づいた母親が言った。
「時間ないから、いらない」
「トーストだけでも食べながら行きなさい。ほら、牛乳も。お弁当もね」
母親からトーストと牛乳パック、お弁当を渡される。
「え…。そんな時間ない」
「銀狐ちゃんは油揚げね」
「ありがとうございまーす!」
嬉しそうに銀狐が飛びついた。
「銀狐は式神だから、食べなくても大丈夫」
その姿を見て、油揚げを食べながら金狐が言った。
「おまえだって食べてるじゃないか」
銀狐は油揚げを受け取りながら言った。
「オレは時間あるから、油揚げ休憩中」
金狐は嬉しそうに満面の笑みで言うと、次に口に入れる油揚げをつまんだ。
「金狐ぉぉ…!」
ムッとしている銀狐を置いて、柚葉はトーストを食べながら歩き出す。
油揚げのことで喧嘩してる大人が二人もいる光景って、変なの。
本当は妖狐二匹だけど…。
そんなことを考えながら、柚葉は玄関で靴を履く。
「あ。柚葉様!」
銀狐は急いで後を追う。
玄関を出て神社の境内を抜け、学校に向かう道に出る。
その頃になると、トーストを食べ終わって牛乳パックの牛乳を飲みきろうとしていた。
「柚葉様。どうしたんです?珍しく、今日は朝遅かったですね」
「う…ん。実は奏の夢を見て」
「奏様の?」
「そういえば、奏いなかったね」
「奏様は物の怪退治に行かれています」
「物の怪退治?」
「はい。近くに物の怪の気配を感じて出て行かれました」
「でも、神社の敷地内なら天狐の結界が張ってあって、物の怪は入れないはずだけど」
「そうですが。朝、柚葉様が学校に出られる時に物の怪が外にいたら、また襲われてしまうでしょう?」
「…」
そういえば、奏が来てから朝食の時にいない日が何日かあった。
「もしかして、物の怪が近づいてきた日は、いつも奏があたしが家を出る前に物の怪を退治に行ってた?」
「はい。柚葉様を物の怪から守るために」
銀狐は笑顔で答えた。
あの時の約束守っててくれてたんだ。
「そう…」
柚葉は元気なく言った。
「柚葉様。どうしました?」
「ううん。あたしの知らないところで、奏はあたしを守ってくれてたんだな~と思って。それなのに、あたしと話をしてくれないなんて不満ばかり言って…」
「しょうがないですよ。何も知らなかったんですから」
「う…ん。本当に何も知らない。奏のこと…」
柚葉は寂しそうに言った。
「柚葉様」
「色々、聞きたいことはあるけど。奏にも都合があるもんね。奏が話をしてくれるようになるまで待つよ」
柚葉はニッコリ笑って言った。
「…そうですね。それがいいでしょう」
言いながら、銀狐は複雑な心境になる。
距離を置くことが柚葉を守ることになると奏が思ってる限り、そんな日が来ることがないとわかっているからだった。
「さあ、急ぎましょう。柚葉様。時間ないですよ」
「え?うそ!」
「走りましょう。柚葉様!」
「うん!」
柚葉は銀狐と走り出した。
その様子を遠くから見ている人影があった。
「あれは遅刻かな」
玄弥が笑顔で言った。
その隣には奏がいた。
二人で物の怪を退治にいっていたのだった。
「でも、珍しいな。いつもなら、寝坊なんてしないのに」
「…」
柚葉を見ていた奏は何かに気づいたように表情を変え、走り出す。
「あ!おい!奏!」
玄弥は奏の後を追う。
奏が本殿に入ると、奥に白い狩衣を着た白髪を一つに束ねた美しい青年がいた。
その青年の頭には狐の耳がある。
「天狐!」
「気づいたか。奏」
天狐は本殿奥にある三宝という台の前に立っていた。
その三宝の上には緑青の勾玉が置いてある。
勾玉のあるところまで行くと、奏は勾玉をじっと見つめる。
「これは…」
奏は不可解そうに目を細める。
「勾玉が、どうした?奏」
後を追ってきた玄弥が言う。
「勾玉から感じられる力が変わった」
「変わった?そんなはずはない」
「…そうなんだが。何かがおかしい」
「何かの力が作用しているのじゃ」
「おかしいといえば…今朝の物の怪。何の攻撃技も持っていなかった」
「あいつは管狐といって、操る術者の意志に基づいた妖術を使う。今回は夢を操っていたようだ。夢魅といって、昔の懐かしい記憶を夢として見せて、夢を見せた相手の心を操ろうとする妖術だ。夢魅を使うと管狐の目は赤くなる」
「懐かしい夢…。なぜ、そんな妖術を…?」
天狐は首をかしげる。
「さあ、なんでだろうな…?」
「どっちにしも、退治したから大丈夫だって…」
玄弥が楽天的に言う。
「だといいけどな」
何かスッキリしないものを感じながら、言う。
何も起こらければいいが…。
そんな不安が胸に湧きあがっていた。
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