柚葉が目を覚ますと、そこは自分の部屋のベッドの中だった。
柚葉はホッとする。
あれは全部、夢だったんだ。
良かった。
奏が死ぬなんて、変な夢だったな…。
きっと、リビングに行ったら奏がいるはず。
柚葉は起き上がると時計を見た。
時計は四時を指している。
しかし、窓の外は明るい。
「夕方…」
待って!なんでこんな時間に、あたしはベッドで眠ってるの…?
急に不安がこみ上げてくる。
柚葉は起き上がると、パジャマのまま部屋から出る。
そして、走ってリビングに向かう。
何もなければ、今の時間、奏はリビングで銀狐か金狐とテレビを見ながらお菓子を食べているはず。
何かあってもお兄ちゃんならリビングにはいるはず。
逸る気持ちが柚葉を走らせる。
リビングに着くと扉を開ける。
そこには誰もいなかった。
「誰もいない…?」
いつもなら奏がいなくても、金狐か銀狐がいるはずなのに…。
お兄ちゃんもいない。
もしかして、奏は…。
「あら、起きたの?柚葉」
声のする方を見ると、キッチンで母親の莉世が料理の手を止めて、柚葉のいる方を見ていた。
「お母さん…」
「あなた、丸二日寝てたのよ。銀狐ちゃんが、言ってたけど…。柚葉の中にいる鳴珂が力を使うと、柚葉の体力が消耗するとか…?意味わかる?お母さん、聞いててよくわらかなかったんだけど」
そう言って柚葉を見ると、柚葉の頬には涙がポロポロと零れていた。
「柚葉…」
莉世は傍まで行くと柚葉を抱きしめた。
「お母さん。あたし恐い夢見たの…」
「うん」
「奏が死ぬ夢…」
「うん」
莉世は柚葉の頭を撫でる。
「大丈夫よ。奏くんも金狐ちゃんも銀狐ちゃんも無事だから」
「う…ん…?」
柚葉は顔を上げる。
「奏が無事って…」
「物の怪と戦って、ケガをしたんでしょう?」
「え…。ケガ…。死んだんじゃなくて…」
夢じゃなかった…。
「え?死んだ?奏くんが?」
「お母さん。奏は⁉奏は無事なの⁉」
「そうよ。ただ、ケガが酷いから傷が治るまで本殿で天狐様が傷を治してくれるって。銀狐ちゃんと金狐ちゃんで言ってたわよ」
「ケガが酷いって…⁉ちょっと、見てくる!」
柚葉は莉世の腕を振り払うと、玄関に走り出す。
サンダルを履いて、本殿に向かって走り出す。
本殿に着くと、階段を駆け上がり、そこでサンダルを脱ぎ捨て本殿の中に入る。
本殿に入ると、すぐ目の前に奥の方が見えないように几帳が置いてあった。
几帳の両端にいた金狐と銀狐が柚葉に気づく。
「柚葉様!」
「柚葉!」
「よかった。目が覚めたんですね」
銀狐がニッコリ笑って言う。
「気を失った時はびっくりしたぞ」
金狐が笑顔で言う。
「気を失った…?」
「覚えてませんか?奏様の体が消滅した跡の地面を見て、気を失って倒れたんです。鳴珂が体の中いる影響もあって、眠ったまま目を覚まされないので心配しました。天狐様の話では鳴珂の妖力が柚葉様の体へ負担をかけているのだとか…。体の中で大人しくしている分には朝起きれない程度の眠気があるらしいのですが…」
「え…。待って…。今、奏の体が消滅って…。やっぱり、奏は死んで…」
柚葉は両手で口を覆う。
それと同時に目に涙が滲む。
そして、ポロポロと涙が零れる。
「柚葉様!」
「柚葉!」
銀狐と金狐がオロオロしながら、柚葉に駆け寄る。
「奏は死んだの…?あたしを庇ったから…?」
「違いますよ。奏様は死んでません」
「そうだ!奏様は不老不死だからな!」
金狐の言葉に顔を上げる。
「え…?」
「今、消滅した体が再生しています。天狐様が力を注いで再生を早めているのです。またオサキ狐が襲ってきては困りますから…」
「それって…奏は人間じゃないってこと?」
「いや。人間だぞ」
金狐が胸を張って言う。
「でも、人間は不老不死じゃないよね?」
「はい。ですが、奏様は天狐様との約束を果たすまで不老不死と戦う力を手にできるという契約を天狐様と交わしているのです」
「契約…?何のために…?」
「それはこの世に禍をもたらす宿敵を倒すためです。玉藻前という…」
「玉藻前…?」
「詳しくは、また今度にしましょう。この話は今の柚葉様の体に障るかもしれませんから」
銀狐は穏やかな眼差しで言った。
その眼差しからは本当に柚葉のことを心配しているのが感じ取れた。
「うん。わかった。今度ね」
柚葉は銀狐を安心させるように笑った。
「柚葉。ちなみに戦う力ってオレと銀狐のことだぞ」
金狐は褒めてというかのように自慢げに胸を張る。
こんな時まで、子供みたいなことを言う金狐に思わず笑ってしまう。
「そうなの…?」
柚葉は笑いながら言う。
「ん?柚葉。元気になった?やっぱり、オレ達が仲間だと心強いよな」
金狐は嬉しそうに笑う。
「うんうん。そうだね。ありがとうね。金狐も銀狐も」
金狐の、あまりの能天気さに笑いながら涙を拭く。
押し潰されそうな、さっきまでの気持ちが嘘のように軽くなる。
「幸せなヤツ」
銀狐は呆れたように金狐を見ている。
「で?奏は?」
「この几帳の先にいますよ」
「今、会える…?」
「今は見ないほうがいいですよ。肉体が再生していく状態というのは、柚葉様にとって見るに堪えないと思います」
「グロいからな。普通の人間には見てられない」
金狐は笑顔で言う。
「そう…?」
「奏様も、まだ意識が戻ってませんから。話もできませんよ」
「奏の意識が戻ったら、会いに行かせよう。だから、今は休むのじゃ。柚葉。無理をするでない」
几帳の奥から玄弥の声がする。
今は中身が天狐だと言葉使いでわかる。
その言葉には労わりの気持ちが感じられる。
「…はい。わかりました」
なぜか、そう素直に答えていた。
不思議とずっとあった不安から解放されていくのがわかる。
これが天狐様のご利益…?
そんなことを思いながら、本殿の出入り口に向かう。
「柚葉様。一人で大丈夫ですか?一緒に行きましょうか?」
「オレもついてってもいいぞ」
振り返ると、そこには心配そうな顔の銀狐と金狐がいる。
「大丈夫よ。ありがとう」
柚葉は満面の笑みで言う。
二人の気持ちが嬉しくて思わず笑顔になる。
「わかりました。気を付けてお戻り下さい」
「ならいいや」
銀狐と金狐がホッとした顔になるのを見ると、柚葉は本殿の出入り口から出て行く。
「柚葉…か…」
几帳の奥から奏のかすれた声がする。
「奏様。意識が戻ったんですね!」
「さすが、奏様!」
銀狐と金狐が几帳の奥を覗き込む。
「体の再生は…」
「ほとんど変わってないな」
「まったくじゃ。やっと、人の形になってきたばかりなのに、よくしゃべれるものじゃ」
天狐は関心したように言う。
「柚葉は…無事…だったか…」
銀狐と金狐は顔を見合わせる。
こんな時にまで、柚葉のことを心配して…。
「無事じゃ。そんなに心配なら、早く体を元に戻して会いに行ってやれ」
呆れたように言うと、天狐は温かい眼差しで奏を見る。
天狐は奏のことを良く知っているが、詩花以外の人間をこんなにも心配する姿は始めて見た。
奏の中で何かが変わりそうな予感を感じていた。
夕飯を終えてお風呂も済ませ、柚葉は自分の部屋にいた。
ベッドに横になり、窓を見ると外は真っ暗だった。
昼間あったことが嘘のように、今はリラックスしていた。
柚葉はベッドに寝ころんだまま天井を見上げる。
今日一日で、みんなにどれだけ心配されていたのかを知った。
そのことが安心感に繋がり、今は張りつめた気持ちはなくなっていた。
コンコンとドアをノックする音がする。
「誰?」
「奏だ」
その言葉に柚葉はベッドの上で起き上がる。
「体、元に戻ったの?」
「戻った」
奏は答えるが部屋には入って来なかった。
「心配かけたみたいで、悪かったな」
「ううん。助けてくれて、ありがとう」
「助けたのは俺が柚葉に死んでほしくなかっただけだから」
少し照れたように言っているようにも聞こえる。
「う…ん」
柚葉は嬉しそうに笑う。
「でも、よかった。あたしのために誰かが死んだりしたら、あたし、きっと自分が嫌になってたと思う。あたしに何の力もないからって…」
「そうか…」
「この家の血筋で、あたしだけが神通力がなくて、あたしだけ足手まといで…。物の怪に会っても逃げることしかできなくて…。誰も助けられなくて…。そんな、あたしのために奏が死んだらと思うと…」
柚葉は言葉を詰まらせる。
「でも、奏は死なないんだね」
「銀狐と金狐から聞いたんだな」
その声は少し暗かった。
今までの人生で不老不死と聞いた人間からは利用されようとするか、気味悪がられるか、どちらかだった。
柚葉は奏を利用しないだろう。
でも、気味悪がられるかもしれない。
そんな不安からだった。
だかこそ、部屋に入って柚葉と面と向かって話すことができなかった。
自分を気味悪がっている柚葉の顔を見るなんて、考えるだけで耐えられなかった。
「うん…」
「そうか」
「奏。生きててくれて、ありがとう。自分を嫌いにならなくて済んだよ」
柚葉は明るい声で言う。
「…」
奏は驚いたように目を見開く。
それから目を細めて笑顔になる。
「そうか…。それなら、良かった」
「うん。本当にありがとう」
「柚葉」
「うん」
「何の力もないことは悪い事じゃない。俺や銀狐や金狐みたいに力がある者は、何の力もない者を守るためにいるんだ。だから、何の負い目も感じずに守られてくれればいい」
穏やかで心地いい声で奏は言う。
「う…ん」
その声で心が満たされていくのがわかる。
「俺達は死なない。だからこそ、死を迎える弱い存在を見捨てることが出来ない。守りたいと思うんだ。この力で…」
「うん…」
穏やかで温かな気持ちにでいっぱいになる。
やっぱり、奏は優しい。
「じゃあ、今日はもう寝ろ。疲れてるだろ。長話して悪かった」
「ううん。大丈夫」
「じゃあな」
そういうと、奏が歩く足音がする。
柚葉は思わず立ち上がる。
そして、部屋のドアの前に行くと、ドアを開ける。
その先には奏の後ろ姿があった。
体は完全に元に戻っている。
その姿を見て、ホッとする。
「奏」
柚葉の声に奏は振り向く。
「おやすみ。また、明日ね」
柚葉は笑顔で言う。
その顔を見ると奏は笑顔になる。
少しホッとしているようにも見える。
不老不死という異質な存在の自分を受けて入れてくれたことに安心したのだろう。
「おやすみ。明日な」
そう言うと、背を向けて歩き出す。
奏の後ろ姿が見えなくなるまで柚葉は奏を見ていた。
そして、見えなくなると笑顔になる。
元気そうな奏を見れて、安心した。
そんな笑顔だった。
夜も更けた頃、佑は灯りもつけず自分の部屋のベッドに両ひざを両手で抱えて座っている。
何かに怯えるように…。
その姿が、カーテンを開けたままの窓から降り注ぐ月の光で照らされていた。
孤独な姿を月の光が不思議と美しく見せていた。
「僕は、たくさんの人間を殺してしまった…」
佑は震える声で言う。
「これから、どうしたら…」
ふと、昼間見た鳴珂の姿が浮かぶ。
「鳴珂…。生きててくれたんだね」
涙が頬を伝う。
「鳴珂だけが、唯一の僕の救いだ…。でも…」
佑は自分の両手の平を見つめる。
「僕は人を殺した。この手で…」
何の変哲もない両手の平が血に染まって穢れているように思えた。
もう二度と、まともに心から笑えないような気さえしてくる。
僕は、それだけのことをしたのだから…。
この先、幸せになることなんてない。
幸せになんてなれない。
たくさんの人を殺しておいて…。
佑は両ひざの上に顔をうずめて泣く。
〝生きるのは辛いか?〟
オサキ狐の声が頭の中に響く。
「辛いよ。もう、嫌だ…」
その声がオサキ狐のものだとしても、今の佑にはどうでもよかった。
ただ、心の中に鬱積した気持ちを外に出せれば相手がなんでもよかった。
それ程、目の前の現実が辛かった。
〝死ねば楽になれるぞ。辛いと思うこともなくなる〟
「楽にか…。そうなれたらいいね。でも、僕には死ぬ勇気もない」
〝それなら、妾が死なせてやろう。おまえを今の苦しみから解き放ってやろう〟
「苦しみから解き放つ…」
〝そうじゃ〟
佑は再び自分の両手を見つめる。
殺してしまった人間の苦しみ悶える顔が今にも浮かび上がってきそうだった。
死ぬことで、自分の罪を見なくて済む。
それは逃げだと、わかっている。
それでも、心が耐えられなかった。
「僕を殺して」
呟くように言った瞬間、佑の口から血が流れ落ちる。
「内臓が…」
そう言うと、血を吐いて倒れる。
〝願いは叶えたぞ。おまえは人間としては死ぬ。これからは鬼となって人間の魂を食らうがいい〟
オサキ狐は、そう言うと高らかに笑った。
勝ち誇ったように…。
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