奏と金狐はオサキ狐の後を追って本堂に入る。
そこには銀狐とオサキ狐がいた。
銀狐の左右にスイカほどの大きさの月が4つ浮いている。
その月は宙を移動しながら、無数の光の刃をオサキ狐に向けて放つ。
オサキ狐は器用に無数の刃を避けている。
「銀狐」
奏はホッとしたように言う。
「銀狐!」
金狐は嬉しそうに言った。
「奏様!金狐!」
嬉しそうに銀狐は言う。
「無事でよかった」
「奏様。ご心配かけました。しかし、今はオサキ狐を」
「わかった」
奏は片手で印を結ぶ。
「迷夢」
辺りに一瞬で濃い霧が立ち込める。
とある村の庄屋の屋敷に座敷牢がある。
その座敷牢の柵には結界呪符が貼られていた。
「こちらです」
裕福そうな身なりの中年の男が座敷牢を指して言った。
それは屋敷の主である、庄屋だった。
庄屋に案内されてきた陰陽師は座敷牢の中をじっと見ていた。
その陰陽師は凛々しい顔をした青年だった。
見るからに清潔感があって、誰からも信用されそうな青年だった。
座敷牢の中には綺麗な着物を着た黒髪の綺麗な女がいた。
その女は人間のものとは思えない程血の気を感じられない肌の白さと、縦長のスリット状の瞳孔を持っていた。
それは紛れもなく妖狐が人間の姿に変化したものだった。
「その女、美しいが気持ちの悪い目をしているでしょう?」
「狐の目だ。これは妖狐だ。まだ妖術が未熟で、完全に人間の姿に変化できていないのだ」
「なるほど…。では、それほど強い物の怪ではないということでしょうか?」
「そうだ」
「そうですか…」
庄屋は、ホッと胸を撫で下した。
「もう、解放してもよいだろう」
「この物の怪をですか?」
「そうだ。何か異論でも?」
「物の怪ですよ。解放すれば、いつか人間を襲うかもしれません」
「しかし、今は誰も襲っていないのだろう?」
「そうですが…」
「なら、大丈夫だろう。妖狐は邪悪なものだけではなく、善良なものもいる。善良なものは神格化する。神に近いものになるのだ。そうなれば人間を襲うどころか人間を守ってくれる」
「ですが…、この物の怪が善良かどうか…」
言いながら庄屋は妖狐を見る。
「人間を誰も襲っていないのだろう?それが答えだ。邪悪なものなら、すでに人間を殺しているだろう」
「そうですが…」
「なあに、未来の守り神を助けたと思えばいい」
陰陽師は笑って言う。
「…そうですね」
庄屋は苦笑いする。
「では、私が連れて行こう。いいな?」
「はい…」
陰陽師の有無を言わせぬ言葉に庄屋は、そう言うしかなかった。
陰陽師は片手で印を結ぶ。
「解」
そう唱えると、座敷牢の柵に張られていた結界呪符に火がついて跡形もなく燃え尽きる。
そして、柵の扉を開ける。
「さあ、来い。ここから出るんだ」
妖狐は一瞬、怯えたように後ずさる。
「大丈夫。私が誰にも、おまえを傷つけさせない」
妖狐はじっと陰陽師を見つめる。
「約束する。だから、私を信じろ」
陰陽師は真っすぐな曇りのない眼差しで言う。
妖狐は無意識に陰陽師に手を伸ばしていた。
その手を陰陽師は、しっかりと掴むと妖狐を引っ張りだした。
「よく出てきたな。さあ、行こう」
陰陽師は温かい眼差しで言う。
「はい…」
陰陽師は妖狐の手を取り歩き出す。
庄屋を横目に陰陽師は妖狐を連れて座敷牢を後にする。
ただ、無言のまま、陰陽師は妖狐の手を引いて、屋敷の敷地内を歩いていく。
繋いだ手が温かくて、妖狐は不思議と安心感に包まれた。
この人間なら信用できる。
そう思えた。
屋敷を出ると、陰陽師の牛車に乗せられる。
「もう、ここまで来れば安心だ」
穏やかな笑顔で陰陽師は言う。
「私のように陰陽師であれば、物の怪と関わることがあるが。普通の人間はない。だからこそ、無暗に物の怪を恐れ傷つけようとする。悪気はないのだ」
落ち着いた口調で言いながら、陰陽師は妖狐の手首を見る。
手首には縄できつく縛られたのか、傷跡となって縄の跡が残っていた。
「だとしても、こんなことをしていいというわけではないがな」
言いながら、妖狐の手首を取り傷を見つめる。
「この傷が治るまでは、私の屋敷にいるといい」
「あなたの屋敷に…」
「そうだ。といっても、今は人間を信じられないだろう。無理にとはいわない。でも、できるなら償いをさせてほしい。同じ人間として、おまえを傷つけたことのな」
温かな眼差しで陰陽師は言う。
妖狐は陰陽師をただただ見つめていた。
こんなに優しい人間には会ったことはない。
妖狐というだけで、誰もが傷つけようとしてきた。
恐怖にかられた顔で。
誰も傷つけようとしていないのに…。
妖狐の頬に涙が零れる。
「…痛いのか?」
包み込むような優しい眼差しで言うと、陰陽師は妖狐の涙を拭いた。
更に涙がポロポロと溢れる。
「そんなに痛いか?」
陰陽師は困ったように妖狐の手首の傷を見つめた。
「ありがとう…」
妖狐の言葉を聞いて、陰陽師が顔を上げると涙でグシャグシャの顔で笑っていた。
「…そうか」
陰陽師はニッコリと笑った。
「奏様。これは…玉藻前の記憶ですね」
そう言ったのは迷霧に映し出されたオサキ狐の記憶を見ていた銀狐だった。
「そうだ」
懐かしくも寂しい複雑な感情の入り混じった眼差しで、その陰陽師を見つめていた。
「奏様。あの陰陽師知ってるのか?」
奏の表情を不思議に思って言う。
「知ってる…」
そう言った奏は辛そうに陰陽師から視線を逸らす。
銀狐と金狐は顔を見合わせ、それ以上は何も聞けずにいた。
その状況を打ち破るように辺りに水が押し寄せる。
「奏様!」
銀狐が結界で奏の体を覆うと、そのまま、三人は流されていく。
水に押し出され、奏達は本堂から外にいた。
オサキ狐もまた本堂の外に倒れていたが、水のクッションの上にいた。
そして、その視線の先に釘付けになる。
その視線の先には巨大化した鳴珂に乗って裏門に向かう柚葉の姿があった。
「あの娘…!なぜ…?」
柚葉が男の子を抱えているのに気づく。
「子供を助けるためか…。くだらぬ…」
いつか助けられた自分、そして裏切られた…。
なぜか、柚葉が助けようとしている男の子は裏切られることのないように思えた。
そう思うと、無償に腹がたつ。
なぜか助けられる男の子と、男の子を助けようとする柚葉、二人への怒りがこみ上げてくる。
それは云うなら、嫉妬。
自分が得られなかったものを得る者と、それを与えうようとする者への。
なぜ自分は得られない?
なぜ自分に与えてくれない?
腹が立つ!腹が立つ!
あいつらを殺してやる!
その理不尽な怒りは殺意に変わる。
「水鏡!あの娘を追え!」
足元にあった水のクッションが柚葉に向かって動き出す。
それに気づいた鳴珂が走るスピードを上げる。
「柚葉。子供。しっかり掴まれ!」
「柚葉!なぜ…ここに!」
奏は状況がつかめず焦る。
「柚葉様が私を助けて下さったのです。すぐに逃がしたのですが…」
言いながら、銀狐は奏を守る結界を解き、無数の光の刃で水鏡を狙う。
オサキ狐の取り憑いてる佑は、まだ生きている。
だから、傷つけることも殺すこともできない。
金狐も同様にオサキ狐を運ぶ水鏡を炎の剣で狙う。
鳴珂の背中に必死にしがみつている柚葉を見つめる奏。
「柚葉…」
柚葉が詩花に重なって見えた。
誰かを助けるためを危険を顧みない。
純粋な真っすぐな心…。
守らなければ死んでしまう。
詩花のように…。
「もう、後悔はしたくない」
そう呟いた奏を銀狐と金狐は見る。
「銀狐。金狐。援護を頼む」
そう言うと、次縹を大きなハヤブサの姿に変える。
そして、奏はハヤブサの背に乗る。
「俺は柚葉を助けに行く」
真っすぐに柚葉を見つめながら言うと、乗っていたハヤブサが飛び上がる。
「御意!」
銀狐と金狐は、そう言うと奏に続く。
銀狐の光の刃と金狐の炎の刃、そして、光狐の光線がオサキ狐の乗っている水鏡を削っていく。
「くっ…!」
後ろから追って来る奏達を睨みつける。
「水鏡。あの娘の前に先回りして、行く手を塞ぐのじゃ!」
そう言うと、オサキ狐は水鏡から飛び降り走り出す。
水鏡は柚葉達の前に先回りする。
水でできた壁が柚葉達の前に立ちはだかり、鳴珂は立ち止まる。
「水鏡!」
「オサキ狐が…!」
後ろを振り向いた柚葉が言う。
オサキ狐が走りながら、両手を広げる。
すると、目の前に無数の青白い光の狐火が現れる。
「焼け死ね!」
オサキ狐が言うと、無数の狐火が柚葉達目掛けて飛んでいく。
「きゃあっ…!!」
柚葉は男の子を抱きしめ鳴珂にしがみついた。
もう、駄目だ。
そう思った瞬間、誰かの気配がして顔を上げる。
目の前に奏が背を向けて立っている。
奏の前では青い光の次縹が狐火を通さない結界となっていた。
奏は両手を次縹に向けて、力を注いでいる。
結界に狐火が当たる度に消滅していく。
それと同時に銀狐と金狐が狐火を無数の光の剣と炎の剣で消滅させていく。
「奏…」
「柚葉…。ケガはないか…?」
背を向けたまま言う。
その声にいつもの突き放すような冷たさはなかった。
穏やかで温かい声だった。
「良かった。柚葉が生きてて良かった。本当に」
心から、そう言っているように聞こえる。
「奏…。ごめんね」
いつのもの奏なら冷たく突き放しそうな状況なのに、なんで、そんなに優しいの?
「生きてさえいてくれれば、それでいいから…」
背を向けたままで顔が見えない状況だったが、奏がどれほど安心したのか声でわかる。
それだけ、心配されていた。
その気持ちに胸が一杯になって涙が溢れる。
「ありがとう。奏」
やっぱり、奏は優しい…。
冷たい態度には、きっと意味があったはず…。
だから、奏を信じよう。
その状況を見たオサキ狐の怒りが増し、狐火の数と勢いが増す。
すでに狐火の形を成していない。
青い光の矢が無数に雨のように降り注いでくる。
次縹の結界は時折、矢のような狐火を通す。
狐火が当たった箇所の奏の皮膚が焼け、火傷を負う。
「くっ…!きりがない」
火傷の痛みに奏はよろめく。
「奏!」
「鳴珂。柚葉を連れて逃げろ。光狐で突破口を作る」
「でも…」
火傷を負った奏を置いて逃げることはできなかった。
まるで見捨てるようで…。
「その子供を守れるのは柚葉しかいない。その子を守るためにも逃げてくれ」
奏は火傷の痛みに耐えながら言う。
子供と何の力もない柚葉、明らかに足手まといでしかない…。
「…わかった」
柚葉は渋々、そう答える。
「ありがとう。柚葉」
ホッとしたような奏の声だった。
「光狐。光線で水鏡を裂いて逃げ道を作れ」
光狐は水鏡に向かって、光線を放ち水鏡を焼き切り通り道を作った。
「行け!鳴珂!」
「わかった!」
鳴珂は飛び上がり、通り道を通る。
「奏!無事に帰ってきてね!」
「大丈夫だ。心配するな」
そう言って笑った奏が、次の瞬間、体中に狐火を浴びるのが見えた。
「奏!!」
その瞬間、柚葉の乗った鳴珂は通り道を通過し、その直後切り裂いた水鏡の通り道が塞がる。
鳴珂は振り向かず走り出す。
「待って!鳴珂。奏が!」
「ボクたちにできることはない。今は逃げるんだ」
「でも…」
肉の焼ける臭いがする。
きっと、奏が体中に火傷を負ってる。
もしかしたら、奏はもう…。
「奏…!」
辛そうに瞼を閉じると、涙が頬に零れる。
奏、生きてて。
そう思った瞬間、水鏡の壁が所々吹き飛んでいく。
オサキ狐の狐火を受けて水鏡の壁が崩れていった。
狐火は物の怪が受ければ体が吹き飛び、人間が受ければ火傷を負う。
水鏡の壁がなくなり、開けた視界の中で柚葉は奏の姿を探した。
しかし、奏の姿は、どこにもない。
奏がいた場所には黒い煤が残っていた。
その先にはオサキ狐が立っているのが見える。
オサキ狐は奏がいた場所をじっと見つめている。
そして、その後ろでうなだれるようにして立っている銀狐と金狐の姿が見えた。
その状況が、奏の体が跡形もなく狐火に焼かれてしまったことを物語っている。
「まさか…。嘘…」
柚葉は現実を受けいられずに、ただただ奏のいた場所を見つめていた。
放心した状態の柚葉を見たオサキ狐はニヤッと笑う。
そして、狐火を柚葉に向けて放とうする。
「主!目を覚まして!」
鳴珂がオサキ狐に意識を乗っ取られた佑に呼びかける。
オサキ狐は動けなくなる。
「もう、誰も殺さないで。優しいボクの主には、これ以上誰も殺ろしてほしくない…」
オサキ狐はピクリとも動くことが出来ずに、それまであった憎しみの表情が消えていく。
「お願いだから、優しい主に戻って。ボクの大好きだった主に…」
祈るような声で鳴珂は言う。
オサキ狐の目の瞳孔が丸みを帯び人間の瞳孔に変わる。
それと同時に頬に涙が零れ落ちる。
「鳴珂か…?生きていたのか…?」
オサキ狐の意識は消え、完全に元の佑に戻っていた。
「そうだ。主の想いがボクを蘇らせたんだ。大切に想ってくれて、ありがとう」
鳴珂は嬉しそうに笑った。
「そうか…。良かった」
嬉しそうに笑うと、佑は辺りを見回した。
そして、頭の中に蘇るオサキ狐だった時の記憶。
たくさんの人間を殺した記憶が…。
「あ…ああっ…。僕はなんてことを…」
涙が溢れて止まらなくなる。
「主。すべては主のせいじゃない!」
「こんなにも人を殺して…。僕は…」
佑はガクガクと震えだす。
「違うんだ。主!これはオサキ狐が…」
すでに佑に鳴珂の声は聞こえなくなっていた。
佑は震えながら、うずくまる。
「…水鏡」
佑の言葉で水鏡は佑を覆うと宙に飛び上がった。
そして、どこかに向かって飛び去って行く。
「主!!」
柚葉の中に妖力の核のある鳴珂は柚葉から離れることが出来ない。
追いかけることもできず、ただただ哀しそうに佑が飛び去った空を見上げていた。
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