奏と金狐が寺の門をくぐり、寺の境内に入る。
その視界には幾つかの死体がまばらに転がっているのが見える。
水一滴ない境内に水膨れの水死体が転がっている異様な光景だ。
「栗田の水死体と同じだ。式神水鏡は消滅していなかったか…」
奏は境内を見回して言う。
「式神の仕業か…?」
「そうだ。気をつけろ金狐。この水死体は鬼になって襲って来るぞ」
「鬼になるのか?」
金狐が両手の平を胸の前で合わせ左右に広げていくと、その両手の平の間から炎の剣が出ててくる。
奏は手の平の中から式札を2枚出す。
「光狐!次縹!」
式札は、それぞれ光でできた狐と青い光の塊に変わる。
それと同時に転がっていた水死体が起き上がる。
水死体達の姿はみるみる鬼に変わっていく。
目は赤く変わり、頭には角が生え、口から牙が生え、手の指先の爪は刃物のように尖っていく。
そして、鬼と化した水死達が一斉に奏達に向かって襲いかかってくる。
「光狐」
光狐が宙を飛びまわりながら鬼に向かって光線を放つ。
光線の当たった鬼の体の一部が焼けていく。
「次縹」
そう言って、奏が青い光の塊に手を伸ばすと、青い光は剣に変わる。
奏は青い光の剣を手に取ると、鬼を切っていく。
「炎の剣!」
金狐の炎の剣が宙を飛び、鬼を切り裂いていく。
切り裂いた傷口から炎があがり、鬼の体が焼けていく。
「騒がしいと思えば、おまえたちか…」
いつの間にか、佑に取り憑いたオサキ狐が立っていた。
「オサキ狐!」
オサキ狐は辺りを見回す。
そして、目当てのものが見つからなかったのかのように、ため息をつく。
「奏。詩花は、どうした?」
「だから、言っただろ。詩花はいないと…」
次縹の剣で鬼を切り裂きながら、奏は言う。
「そんなはずがあるか!妾は詩花が転生した日、その力を感じ取ったのじゃ!詩花は妾の産んだ娘だじゃ!間違うはずがない!」
息を切らしながら、最後の鬼を切ると奏はオサキ狐を睨みつける。
「娘…」
「そうじゃ。だから、詩花は妾のものじゃ」
「どこの世界に自分の娘を自分の復活のために取り込もうとする母親がいるんだ!オサキ狐…おまえは玉藻前の作り出した呪であり、玉藻前の分身。母親としての記憶がありながら、自分の娘への愛情はないのか…?」
「これだから人間は…。我が子をどうしようと、妾の勝手じゃ」
オサキ狐は奏をあざ笑う。
「情というものか。くだらない。そんなものがあるから、詩花は死んだようなもの。そうだろう?奏。それは、おまえが良く分かっているはずじゃ」
「…」
奏は言葉を返すことができずにいるた。
オサキ狐は何かを察知したかのように本堂を見る。
奏と金狐も本堂を見る。
そこから感じられていた呪符の力が消え、代わりに銀狐の妖力が感じられる。
「銀狐…」
奏は息を飲んで言う。
銀狐の力では到底敗ることのできない呪符の力を感じ取っていたのに…なぜ?
そんな想いがよぎる。
「何があった。なぜじゃ!?」
取り乱したオサキ狐は本堂に向かう。
「待て!」
奏と金狐もオサキ狐を追う。
柚葉は物陰に隠れて、視線の先にある寺の門を見ている。
そこには奏と金狐がいる。
二人が何かを話ているようだが、柚葉には聞こえない。
「柚葉。何を話しているか気になるか?聞こえるようにできるぞ」
そう言ったのは、柚葉の肩に乗っている管狐の鳴珂だった。
「いいよ。盗み聞ぎなんてよくないから。でも、ありがとう」
柚葉は笑顔で言う。
ありがとう。
陰陽師の主以外には言われたことがない言葉だった。
「柚葉は主に似てる」
「そう…?あたしなんて神通力もないし、何の力もないのに…」
「そんなことない。なんて言ったらいいか…。気持ちがポカポカする」
「…ポカポカ?温かいってこと?」
「うん…」
そう言うと、鳴珂は柚葉の首にピトっと頭をつけてもたれる。
まるで甘えているその行動は主を思い出しているのか…。
それほどまでに鳴珂は主を慕っているのだとわかる。
柚葉は夢の中で初めて鳴珂と出会った時のことを思い出す。
そこはとある古い造りの神社の参道だ。
目の前で詩花が消える。
「あ!待って!詩花!」
まだ、聞きたいことが…。
あたしの中にいる管狐の鳴珂を使って戦うって、どうやればいいんだろう?
そこまで説明してから消えてくれればいいのに…。
柚葉は、ため息をつく。
「柚葉」
後ろから声がした。
「もう、今度は誰よ?」
ため息混じりに振り返る。
そこには宙に浮いている物の怪がいる。
その物の怪はリスぐらいの大きさの顔が猫で体がカワウソ、尻尾だけがリスのように太かった。
「もしかして、鳴珂…?」
始めて見た物の怪なのに、なぜだか、そう思えた。
「そうだ」
「なんで出てきたの?」
「おまえに頼みがある」
「詩花と同じこというのね?」
「ボクの主を救ってほしい。主はオサキ狐という呪に取り憑かれてる。このままでは主はオサキ狐に内臓を食いちぎられて鬼になる。そうなったら、殺すしかない。だから、他の陰陽師に殺される」
「つまり、殺されないようにしてほしいってこと?」
「そうだ。そのためならボクの力を貸してやる。主を救うためなら、何でもする」
すがるような表情の奥に主への強い想いを感じる。
「妖力を使い果たしてボクが消えたとしても、ボクは主を救いたい。だから、頼む!」
「主が大切なのね」
包み込むような温かな笑顔で言う。
「そうだ」
「わかった。あたしでできることならいいよ」
「本当か!」
鳴珂は嬉しそうに言う。
「でも、消えちゃだめだよ。あなたの主が哀しむから」
「うん…」
鳴珂は柚葉の、その言葉に胸が温かくなるのを感じる。
主の佑以外に心配されたことがなかった。
大事にされている。
そんな気持ちで心が満たされていく。
「あたしからもお願いがあるけど、いい?」
「なんだ?」
「奏の力になってほしいの。あたしは何もできないから」
「わかった。オサキ狐は共通の敵だ。ボクは主を救うために、柚葉は奏の力になるために、お互いに協力しよう」
「うん。ありがとう」
柚葉は嬉しそうに笑った。
「ありがとね」
「ん?」
不思議そうに柚葉の顔を見上げる。
「何の力もない、あたしの力になってくれて」
「うん」
鳴珂は嬉しそうに言う。
「柚葉…。柚葉は何の力もなくても大丈夫。ボクが力になるから」
そう言うと、鳴珂は再び柚葉の首に頭をもたれる。
「…うん。ありがと」
嬉しそうに笑うと、門の方を見る。
そこにいた奏と金狐が寺の境内に入って行くのが見える。
「奏達が入っていった。行こう」
そして、柚葉が門まで来ると、少し先にいる奏達の目の前に転がってる水死体達が起き上がるのが見えた。
「ひっ…!」
悲鳴を上げそうになった柚葉の口を鳴珂が尻尾で塞ぐ。
「しっ…!見つかる」
柚葉は声をたてずに頷く。
奏達はあんなものと戦ってたんだ…。
「物陰に隠れながら、本堂に行こう。柚葉は神通力も妖力もないから、オサキ狐に感知されない。本堂から妖狐の妖力を感じる。きっと、柚葉が言っていた銀狐という妖狐のものだ」
「うん」
柚葉は物陰に隠れながら、門をくぐると本堂に向かって行く。
「…ねえ、鳴珂」
「なんだ?」
「鳴珂の妖力はオサキ狐に感知されないの?」
「実態はあるけど、妖力は今は柚葉の中にある。なぜか、その状態だと感知されない」
「そう…なんだ。なんだか難しいね」
「うん…」
そんな会話をしている間に柚葉は本堂に着いた。
そして、本堂に入ると、そこには大仏にロープで縛りつけられた銀狐がいた。
「銀狐」
「柚葉様!」
柚葉は銀狐に駆け寄る。
「どうして、こんな危険なところへ。奏様が柚葉様を連れてくるとは考えられないのですが…」
「その通りよ。だから、勝手に来たの」
「柚葉様…。なんて無茶を。奏様が知ったら…」
銀狐はため息をつきながら、柚葉の肩にいる鳴珂に気づく。
「おまえは…。そうか…。主に愛されてるのか。主の想いで復活したのだな」
「そうだ」
「でも、どうして柚葉様と一緒にいるのです?」
「その話は後よ。もう、すでに奏と金狐がここに来てる。オサキ狐の目が奏に向いている内に助けないと…」
「これは呪符…」
鳴珂は答えると銀狐を縛っているロープに呪符が貼ってあるのに気づく。
「呪符で封じられたか」
「そうです。私としたことが、大失態を犯してしまいました」
銀狐はため息をつく。
「鳴珂。この呪符何とかできる?」
「うん。これは主が作った呪符だ。同じ力を帯びるボクの力なら解呪できる」
「本当!お願い!」
柚葉は嬉しそうに言う。
「任せて」
鳴珂は柚葉の肩から宙に浮かび上がると、呪符の目の前まで移動する。
そして、呪符を見つめていると、鳴珂の両眼が光る。
それと同時に呪符に火がついて、炎に包まれて跡形もなく消えていく。
「こんな簡単に…」
銀狐は呆然としたように言う。
鳴珂が爪でロープを切り裂き、銀狐を縛り付けていたロープが外れる。
ロープから解放された銀狐は床に着地すると、鳴珂を見る。
「ありがとう」
「え…あ、うん」
鳴珂は聞き慣れない銀狐からの感謝の言葉に照れたように、そっぽを向く。
銀狐は何かに気づいたように本堂の外を見つめる。
「子供よ。出てきなさい」
銀狐が言うと、仏像の後ろから小さな男の子が出てくる。
「お兄ちゃん…」
「生きてる人間がいたのね」
柚葉は少しホッとしたように男の子を見る。
「柚葉様。この子を連れて本堂の裏から逃げて下さい。オサキ狐の妖力が迫っている。オサキ狐がこちらに向かってきているのです」
「オサキ狐が…」
「呪符が解呪されたのを察知したのです。今のオサキ狐は危険です。たくさんの人間を殺し過ぎた。そのせいで力が増している。私も奏様も柚葉様を守る余力がないかもしれません」
「え…」
戸惑う柚葉をよそに鳴珂は体を牛ほどの大きさに変化させる。
その姿は巨大化した化け猫そのものだった。
「柚葉。そこの子供。ボクの背中に乗って!早く!オサキ狐が来る」
「おいで!」
柚葉は男の子を抱えると、鳴珂の背中に乗る。
「急げ!鳴珂」
銀狐はオサキ狐の妖力を感じる方向に向かって歩き出す。
「行くよ!捕まって」
オサキ狐は本堂の裏の出口に向かって走り出す。
その扉を抜けたところで、背後に強力な妖力が本殿に入ってくるのがわかる。
押し潰されそうなほど、圧力のある強大な妖力だ。
「何これ…!」
柚葉は恐怖に血の気がひいていくのを感じる。
「ううっ…」
抱きかかえた男の子は、その妖力を感じてか震えている。
この子、妖力を感じ取れるの…?
本音言えば、あたしも怖い。
こんな強力な妖力、恐くない方がおかしい。
でも、今はあたしがしっかりしなくちゃ。
だって、今、この子を守れるのは、あたししかいない。
「大丈夫よ」
そう言うと、柚葉は落ちないように、男の子の背中に回していた腕に力を入れる。
「あたしと鳴珂で、君は必ず助けるから!」
まるで自分に言い聞かせているように言った。
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