「ううっ…」
銀狐は目を覚ました。
目を覚ますと、一人で地面にうつぶせ寝になっていた。
何で、私は地面に寝っ転がってるんだ?
頭の中の記憶を辿る。
荒れた寺から二つの妖力を感じ取って、一つは金狐のものだった。
そして、奏と寺に向かって歩いて…。
寺が爆発して…!
脳裏に奏が庇うようにして銀狐を押し倒した記憶が蘇る。
うつぶせ寝の視界に見えるのは爆発した寺の瓦礫。
奏の姿が見えない。
「奏!」
銀狐は体を起こした。
そして、視界に飛び込んできたのは寺の瓦礫の中で、何者かと対峙する奏だった。
「奏」
銀狐はホッと微笑む。
私は…なぜ、今安心した?
自分の感情に困惑しながら、銀狐は金狐を探した。
金狐は無傷で青い光に包まれ、宙に浮いていた。
「あれは式神?奏の神通力を感じる」
奏が守ってくれたのか…。
「…どうして」
哀しそうに呟く奏の声がした。
銀狐はゆっくりと立ち上がった。
そして、奏の視線の先いる何者かを見た。
そこには奏より少し若い少年がいた。
瞳の瞳孔は縦長のスリット状になっていた。
それは玉藻前の呪に意識を乗っ取られてる証拠だった。
あの少年の姿、誰かに似てる…?
銀狐は頭の中で、その誰かを探した。
「どうして、俺の弟の体を乗っ取った」
その言葉を聞いた銀狐は奏を見た。
そうだ。
奏に似てる…。
「どうして?おかしなことを云う」
少年は不気味に笑う。
「おまえの弟だからに決まっておろう。おまえを苦しめ殺すには、これが一番の方法だからじゃ」
弟はケタケタ笑う。
「奏…。私が…!」
銀狐は思わず奏の前に出た。
とても見ていられなかった。
兄弟と戦うしかない状況を。
自分も同じ状態なら…と。
兄弟のいる自分と奏が重なって見えて動かずにはいられなかった。
その銀狐の肩を奏は掴む。
「まだ、大丈夫だ。今なら元に戻せる」
「神通力の力でか…」
「取り憑いた物の怪の妖力を失わせる。下がってて」
奏の言葉に銀狐は無言で下がる。
「ほう。神通力を使うか…」
弟はニッと笑う。
奏は右手で印を結ぶ。
「迷夢」
辺りが霧に包まれていく。
やがて、辺りに何があるのか変わらなくなる程、霧は濃くなる。
そして、霧に物の怪の心が映し出され、物の怪の妖力が失われるはずだった。
しかし、何も起こらない。
そして、代わりに血の匂いがした。
「奏。血の匂いが…」
「わかってる」
奏は印を結んだ手を振り上げ、迷霧を解いた。
次第に霧は消えていく。
そして、目の前には奏の弟が立っていた。
口から血を流している。
苦痛に歪む顔で奏を見つけると、ホッとしたように笑う。
「兄様」
そして、膝をつく。
「源!」
奏は駆け寄ると、倒れかけた源の体を受け止めた。
そして、地面の上に寝かせる。
「大丈夫か…?」
「内臓を食いちぎられた…」
「内臓…」
「オサキ狐だ」
銀狐は深刻そうに言う。
「オサキ狐…?」
「呪だ。おまえの弟に取り憑いていたのは玉藻前ではなく、その九尾でできた呪だ。玉藻前の九尾…つまり玉藻前の分身であるオサキ狐という呪がおまえの弟を操っていたんだ。そして、その呪いは最後には体の中で狐の姿になり内臓を食いちぎり、呪の対象者の命を奪う」
「玉藻前ではなく呪…」
「そうだ」
「もう、手遅れなのか…?」
か細い声で奏は言う。
「残念だが…」
銀狐は辛そうに言うと、うつむく。
「そうか…」
「兄様…。最後に会えてよかった」
顔を上げて言うと、源は笑う。
「源…」
奏は源の口元の血を拭く。
それでも顔色は悪く、血の気が引いていくのがわかる。
源に死の瞬間が近づいている。
変えられない目の前の運命に奏は胸が押し潰されそうになる。
「どうして、こんなことに…。俺の弟だったからか?だから、おまえが狙われたのか…」
哀しみに満ちた奏の瞳は涙で潤む。
「兄様…。悲しまないで」
源は温かい眼差しで微笑んだ。
「兄様は人間にとって希望なんだ。唯一、妖狐玉藻前に立ち向かえる陰陽師。神に選ばれた陰陽師なんだから。きっと、あの玉藻前を倒してくれる…。そして、…世の中に…平和をもたらしてくれる…と信じてる…」
苦しそうに息をしながら源は言う。
「源…。もう、喋るな」
奏の頬に涙が零れ落ちる。
「きっと…僕みたいに…死んでいく人間のいない未来を作ってくれると…信じてるよ」
そう言うと、源は力の入らない震える手を奏に向かって持ち上げた。
奏はその手を両手で掴んだ。
源は嬉しそうにニッコリ笑う。
「兄様…」
「何だ…?源」
「僕…兄様の…弟に生まれて…よかった」
「俺もおまえが弟でよかったと思ってる」
「また、生まれ変わっても…兄様の弟に…」
言いながら、掴んだ源の手から力が抜けていくのがわかる。
最後まで言いきる前に源は動かなくなった。
もう、源の開いたままの瞳には何も映っていなかった。
「源…!」
奏は源を抱きしめ、声を殺して泣いた。
「奏…」
銀狐の緊張に張りつめた声が聞こえた。
「すぐに弟から離れろ」
「何言って…」
言いながら、抱きしめた源の亡骸から妖力を感じ取る。
思わず奏は源から離れた。
源の瞳は赤くなり、頭には角が生え、口に牙、指先の爪は刃物のように尖っていた。
「グルルルル」
鬼になった源は、ゆっくりと立ち上がった。
「奏。鬼は私が…」
銀狐が前に出ようとすると、奏が銀狐を腕で制した。
「俺がやる…」
「しかし、あの鬼はおまえの弟…」
「関係ない。鬼になったら、殺す以外方法はない。源の魂を救うために殺すしかないんだ」
「奏…」
手の平から式札を出す。
「光狐」
式札が光でできた狐に変わる。
光狐はフワフワと宙に浮いている。
「鬼を殺れ」
光狐は大きく口を開けた。
その瞬間、鬼は飛び上がり奏に向かって来る。
同時に光狐は口から光線を出した。
鬼は光線に体を焼かれ、地面に着地する前に燃え尽きた。
灰も残らず跡形もなく消えた。
最初からそこには何もなかったかのように…。
それを見ていた奏の瞳に感情はなかった。
そこに哀しみにくれる奏の姿はなかった。
奏の弟が死んでから数日後、銀狐は境内を掃除する奏を、本殿の手すり付きの縁側で寝転んで見ていた。
奏の様子は弟が死ぬ前と何ら変わらない。
あれは夢だったのか?と思うほどに。
「銀狐」
いつの間にか、銀狐の傍に天狐が立っていた。
「天狐様」
銀狐は体を起こす。
「奏はどうじゃ?おまえが思ったような人間だったか?」
銀狐はうつむく。
「どうした?」
「違う…と、思ってました。奏が鬼になった弟を殺すまでは…」
「鬼になった弟を殺しても、何とも思わないように見えるか?」
「はい…」
「感情を殺しているのじゃ。今は感傷に浸っている場合ではない。いつ、またいつ玉藻前と戦うことになるかわからん。そんな時に感傷に浸っていては戦えないじゃろ?」
「しかし、そんなに簡単に割り切れるものですか?」
「簡単ではない。自分の肉親を鬼になったとはいえ、自分の手で殺したのじゃから辛くないはずがない。どんなに辛くとも玉藻前を倒す。奏はそれだけの覚悟を持って、玉藻前を討伐すると自分の意志で決めたのじゃ。だから、儂は力になろうと思ったのじゃ」
「…どうして、そこまで」
「奏は優しい。優しすぎる程じゃ。これ以上、玉藻前に人の命が奪われていくのを見たくないのじゃ」
「…」
「ただ、優しすぎて、いつか心が壊れてしまわないか心配じゃ。だから、奏を支えられる式神を奏につけたかった」
「それで、私と金狐を…」
「そうじゃ」
銀狐の脳裏に目の前で死んでいった弟を抱きしめ、声を殺して泣く奏の姿が浮かび上がる。
そして、鬼になった弟を殺す時の感情のない瞳。
弟の魂を救いたいとしても、自分の手で鬼になった弟を殺すことは辛かっただろう。
感情を殺さなければできない。
だとしても…。
銀狐は立ち上がった。
そして、奏の元へ向かって歩き出す。
「銀狐」
歩いてくる銀狐に気づいた奏は笑顔で言う。
「奏。どうして、あの時、おまえは自らの手で鬼になった弟を殺した?私なら、ためらわずに殺せたのに…」
「…本当にそうか?」
奏は哀しそうな眼差しで言う。
「どういう意味だ?」
「あの時、俺が大切に想ってるってわかってる弟を殺せたのか?」
「それは…」
「あの時、自分の兄弟を大切に想う銀狐が、誰かが大切に想ってる人間を平気で殺せるようには思えなかった」
奏は穏やかな表情で言う。
「だから、自分で殺したのか?」
私が心を痛めるのを知っていて…。
そのために自分の感情を殺した…?
「銀狐が悪いわけじゃない。あの時は他に方法がなかった。それだけだ」
そう言って、奏は笑う。
何でもない事のように…。
平気なはずがないのに…。
…優しすぎる。
奏は、これからも辛くても感情を殺して前を向くだろう。
それが周りには心のない冷たい人間に見えるかもしれない。
でも、私は奏の優しさを知っている。
きっと、奏は自分を犠牲にしてでも、誰も死ぬことのない未来を作ろうとするだろう。
目の前で死んでいった弟の信じた未来を作るために…。
だとしたら…。
銀狐は奏の目の前でひざまずく。
「奏様。どうか、私を奏様の式神にしてください」
この優しすぎる人間を支えたい。
その心が壊れてしまわないように…。
奏は驚いたように銀狐を見ていた。
そして…。
「ありがとう。これから、よろしく頼むよ」
そう言って笑う。
その笑顔を見て、銀狐はホッと笑う。
しかし、次の瞬間、奏の目が赤く変わり、角が生え、鬼の姿になった。
「奏様!?」
「グルルルル!」
奏が襲い掛かってくる。
銀狐は何とか奏を避けた。
「違う。あの時、奏様は鬼にはならなかった。おまえは誰だ!?」
銀狐がそう言うと、銀狐のいる空間がぐにゃりと歪んだ。
「銀狐!」
奏様…!
銀狐は意識を取り戻した。
目の前で奏が銀狐の両肩を掴んで揺すっていた。
「奏様…」
奏は銀狐と目が合うと、安心したように笑う。
「やっと、戻ってきた」
辺りを見ると、校舎に水が入り込んできていた。
銀狐の結界が緩んで、水鏡の侵入を許してしまったのだ。
「私が意識を失っている間に…」
「気にするな。水鏡の術中にはまっていたんだ。しかたない」
奏は穏やかな表情で言う。
「申し訳ありません」
「それより、何があった?なぜ、固まったように動かなくなった?」
「それが…。窓の外の水の中に二つの目が現れたんです。目が合うと動けなくなり、何かが意識の中に入り込んできて…、昔の夢を見ました。夢には奏様がでてきていて、最後に鬼になるのです。ですが、偽物だと見破ると意識が戻りました」
「意識の中に入り込む…。水鏡の仕業か…?」
「そうだと思います」
奏は少しの間、考え込む。
「その目を探そう」
「目をですか?」
「その目が水鏡の核となる部分かもしれない。それを壊せば、この場所を地上に戻せるかもしれない」
「なるほど…」
「時間は、あまりない。すでに銀狐の結界が破られ始めている。結界に水が満ちれば、中にいる人間達は死んでしまう。そうなる前に核となる、その目を探すんだ」
「はい。奏様」
「校舎の外に出るぞ。俺を囲む結界を頼む。銀狐」
「はい。すぐに」
答えると、銀狐は奏を新しい結界で包んだ。
「外に出るぞ」
「はい」
銀狐は奏の入っている結界に手の平を当てて、引っ張るようして窓の外に出て行く。
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