空が暗くなる頃、奏と銀狐が帰ってきた。
玄関から入って左側にキッチンがある。
キッチンでは柚葉と玄弥が料理をしていた。
「あれ、珍しいですね。柚葉様と玄弥様でお料理ですか?」
銀狐はににこやかに言った。
「それが…お母さんが帰ってこないのよ」
「帰って来ない?」
奏は考え込みながら言った。
「今、父さんと金狐が探しに行ってるんだ」
玄弥は慣れない手つきでジャガイモの皮を剥きながら言った。
「どうして玄弥様ではなく、お父様が探しに…?」
「料理したくないって」
「…なるほど」
銀狐はうんうんと頷いた。
その瞬間、奏の目の前に狐火が現れた。
「これは…金狐か?」
「奏様」
狐火から金狐の声がする。
「どうした?見つかったか?」
「見つかったけど。すぐ来てくれ!オレの手には負えない!」
「わかった。狐火で案内しろ」
奏は銀狐を見ると、銀狐は奏が何を言いたいのか理解したように頷いた。
「俺達は金狐のところに行ってくる」
「奏。お母さんは無事なの?」
「金狐がいるから、たぶん今のところは…。でも、金狐の手に負えない相手なら、時間の問題だろう」
「そんな…」
柚葉は青ざめる。
「大丈夫ですよ。柚葉様。私と奏様が助けに行きますから」
穏やかな口調で銀狐が言った。
「本当?本当に?」
「約束する。だから、心配するな」
相変わらずの無表情で奏は言った。
「…うん」
なぜか、その言葉は信じられる。
そう、思えた。
「玄弥。柚葉を神社の結界から出すな」
「わかってる」
「じゃあ、行ってくる」
奏が、そう言うと狐火が玄関に向かって動き始めた。
その後を追って、奏と銀狐は玄関に向かい、外に出て行く。
「お兄ちゃん。お母さん、大丈夫かな」
不安そうに玄弥を見る。
「奏がいれば大丈夫」
玄弥は穏やかな笑顔で言った。
そこは夜の工事現場だった。
そこにはマンションが建つ予定になっていて、まだ骨組みだけの状態だった。
その敷地内に不自然にも湖があった。
湖の中央には気を失って倒れている柚葉の母親と、一人の少年が湖に沈むことなく水面にいた。
その少年は霧の中で見た管狐の主の分身そのものだった。
その瞳の瞳孔は縦長のスリット状に変わっていた。
まるで、その狐のような瞳は紛れもなく少年に取り憑いた、あの女の姿をした分身のものだった、
少年は片膝をつき、片手には竹筒を持ち、片手にはナイフを持って母親の首に向けている。
そして、湖の端には金狐がいた。
その傍らには炎の剣が宙に浮いている。
その後ろに柚葉の父親がいる。
金狐達から動けば、母親は殺される。
だから、動けずにいた。
「あの娘はどうした!」
少年の怒鳴り声と同時に竹筒から数匹の管狐が出て水面の上を走って来る。
「管狐。鬼変化!」
走りながら、管狐の姿はみるみる鬼に変わっていく。
そして、金狐達の数メートル先で完全な鬼の姿に変わる。
「解!」
父親が、そう言って札を飛ばすと、札は勢いよく鬼のところまで飛んでいき、鬼の額に張り付く。
すると、鬼の姿がグニャグニャに歪んで、管狐の姿に戻る。
それを金狐の操る炎の剣が貫き、管狐は炎に包まれ、最後は灰も残らず消える。
そうやって、次々と鬼化した管狐を退治していく。
鬼のまま退治してしまうと、妖力の消費が激しい。
そこで父親が管狐に戻し退治することで、妖力の消費を抑えていた。
この状態では戦いが長引くのは目に見えていたため、その方法を取っていた。
しかし、これまでかなりの管狐を倒してきたため、すでに金狐と父親は多くの力を消費し、疲れから肩で息をし始めていた。
「大丈夫か?お父さん」
金狐が父親を見ると、父親は地面に膝をついていた。
「もう、霊力が限界だ…」
「次はオレが何とかする。だから、お父さんは休んでてくれ」
「悪いな…」
「気にするなって。それに、狐火を奏様に送ったから、もうすぐ奏様が助けに来る」
笑顔で言うと、金狐は少年を見た。
少年は何かの念に取り憑かれたようで異常ともいえる行動をとっていた。
一方的に自分の要求を繰り返すだけで、金狐達からの言葉を受けつけなかった。
そして、言葉を口にする度に管狐を出して、鬼に変えて金狐達を襲わせる。
それをずっと、繰り返していた。
「くそっ!話が出来れば時間稼ぎできるのに…」
「娘は、まだか!」
少年は、また竹筒から管狐を出す。
今度は数十匹の管狐が出てきて鬼に変わる。
「何だ⁉この数…!」
湖の水面がすべて鬼で埋まるほどの大群だった。
「お父さん。オレの後ろから離れるなよ」
「…わかった」
金狐は炎の剣を飛ばして、次々と鬼を切って炎で包み焼きつくしていく。
しかし、炎の剣をしのぐほどのスピードで鬼たちは襲ってくる。
「くそっ!倒しても倒してもきりがない」
すでに鬼たちを倒しきれず、金狐の目前まで鬼たちは来ていた。
そして、隙をついて鬼達が金狐に襲い掛かる。
「クソッ!」
炎の剣が間に合わず、金狐は熊程の大きさの金色の狐に姿を変える。
それは金色の瞳に金色の毛並みの狐の姿で、尻尾は二尾ある。
狐の姿になった金狐は鬼を鋭い牙で嚙み砕いたり、爪で切り裂く。
金狐から傷を負わされた鬼は管狐の姿に戻り消滅していく。
牙や爪が間に合わず父親に近寄ろうとする鬼は、二尾ある尻尾で払いのけた。
それと同時に炎の剣が他の鬼達を焼き尽くしていく。
しかし、鬼の数が多すぎた。
防ぐ間を与えず、大量の鬼が一斉に飛び掛かってきた。
金狐は父親を一瞬見ると、父親を庇うように体で覆った。
「金狐!」
「大丈夫。お父さんだけは守る」
「こんなことしたら、金狐が…!」
鬼達が金狐にしがみついてくる。
そして、爪を振りかざす。
その衝撃が金狐の体から伝わってくる。
「金狐…」
「大丈夫…だから…」
その声は穏やかだった。
その間も金狐の体からの衝撃はやむことはなかった。
金狐の体に覆われて見ることはできないが、恐らく金狐の体は傷だらけのはずだ。
「もう、やめてくれ。金狐。このままじゃ…」
「お父さんは何も心配するな。オレ、嬉しいんだ。お父さんを守れて。誰かを守れるって、今ここに、ちゃんといるってことだよな。見えないオレは、いないことにされない。だから、嬉しいんだ」
金狐の声は傷の痛みに震えるでもなく、むしろ穏やかで満たされているようだった。
「金狐…」
そんなことのために…。
そう言いたかった。
それでも金狐の気持ちを思うと、言うことができなかった。
「迷夢」
奏の声がして、辺りが深い霧に覆われる。
「この霧…」
少年の顔が引きつる。
深い霧の先に銀狐の無数の光の刃が見えた。
そして、次々と鬼と化した管狐の気配が消えていくのを感じた。
「おのれ!」
少年はナイフを母親に向けて振り下ろした。
しかし、そこには母親はいなかった。
「何…!」
素早く何かが去って行く気配を感じた。
それは、2メートル程の鳥に変化した奏の式神次縹に乗った銀狐だった。
腕の中には意識を失っている母親を抱えていた。
「待て!」
少年が竹筒から管狐を出そうとする。
それより早く、少年の近くの宙に浮いていた月から光の刃が無数に少年に放たれた。
「水鏡!守れ!」
湖の水全てが少年を覆った。
その覆った水が渦を巻きながら、光の刃を弾く。
そして、少年を覆った水の塊は宙に浮くと、夜空に消えていった。
それを見送ると、銀狐は奏のいる所で次縹から降りた。
奏は倒れている金狐の傍で膝をついていた。
金狐は狐の姿のままで横たわっていた。
その体には鬼の爪で引き裂かれた傷が無数にあった。
「金狐は、私を庇って…」
金狐の傍に座っていた父親が涙ぐんで言った。
「金狐…。よくやった」
奏は穏やかに笑って、金狐の頭を撫でた。
「奏様」
金狐は嬉しそうに笑った。
「少し休め」
「うん」
金狐が笑顔のまま、光に包まれ式札に変わる。
奏は式札を掴むと、式札は奏の手の中に消えていった。
「金狐は大丈夫なのか?死んだりは…しないよな?」
父親は心配そうに言った。
「大丈夫だ。式札にして休ませておいて、しばらくすれば傷は治る」
奏は穏やかな眼差しで言った。
「金狐は子供のように素直で純粋ですからね。自分の心に従っただけですよ。お父様を守りたいという、その気持ちにね」
銀狐は穏やかに笑って言った。
「そうか…。ありがとうな。金狐」
父親は涙ぐんで言った。
「…にしても、こんなにも思いやりがあるのに、世の中では式神が認知されないのは残念だよ」
父親はため息をつく。
「しかたありません。式神とはいえ、物の怪である私たちは普通の人間には見えませんから」
「普通の人間なんて、そんなものだ。自分の目に映らないものは全て否定する。本当のことなんて何も見えてないのに、それでも正しいと思って疑わない。目に見えない存在が自分達を守っていることも知らないのにな…」
奏は遠い目をしながら言った。
これまで奏は式神達がどんな大変な状況でも人間を救ってきた姿を見てきた。
しかし、それは時に恐れられ、忌み嫌われることが多かった。
誰かを助けても、誰にも感謝されることはない。
それでも、助けずにはいられない。
そんな温かいある存在だっているのに…。
「でも…人間すべてがそうじゃないけどな」
そう言って、父親を見ると奏は笑った。
「そうだよ。君も私は知ってる。式神がどれだけ優しいかを」
父親は穏やかな笑顔で言った。
「そうですね。多くの人間の目に映ることもなく、存在を知られなくても、奏様やお父様のように…私たち式神を受け入れて信じてくれる人間がいる。それだけで十分です。それが例え、僅かな人間だとしても」
銀狐は満ち足りた笑顔で、そう言った。
夜も更けた頃、奏達は神社の敷地内にある家にたどり着いた。
銀狐が抱きかかえた母親を見た柚葉は両手で口元を覆って涙を流した。
「よかった…」
そういうと、肩を揺らして泣いた。
「柚葉」
穏やかな声で言うと玄弥は柚葉の肩に手を置いた。
妹を想う兄、その姿を奏は見ていられなれずに、家の外にでた。
神社の本殿まで来ると、本殿正面の石段に奏は座った。
雲一つない夜空にある月が神社の境内を明るく照らしていた。
こんな夜は思い出す。
大切だった存在を。
もうすでに、この世界にはいない。
どんなに求めても、もう二度と会うことはできない。
「奏様。やっぱり、ここにいましたね」
穏やかに言って、笑顔を見せたのは銀狐だった。
「銀狐か…」
奏はため息をついた。
「柚葉様と玄弥様、仲がいいですね。まるで昔の奏様とあの方を思い出します」
「銀狐。俺はあの二人が羨ましいんだろうか?仲のいい二人を見ていられなかった」
「孤独ではなかった頃を思い出して、寂しいのでしょう」
「寂しい…?俺が…?」
「はい」
「だとしても、俺にはやらなきゃならないことがある。そんな感傷に浸っている余裕はない」
「そうですね。そのために私も金狐も奏様の式神になったのですから」
そう言うと、銀狐は夜空の月を見上げた。
「ですが…、奏様は人間です。人というものは一人では生きていけません。それほど、人の心は弱いのです。寂しいと思うのは当然ですよ。そのことから目を背けてしまったら、人の心は壊れてしまいます」
「そして、あいつの呪いの餌食になる…か。あの陰陽師の少年のように…」
そう言うと、奏も月を見上げた。
その眼差しは切なく揺れていた。
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